ホテル朝食ビュッフェのポエム
——「地元食材」「海の恵み」の地理学

※本エッセイはすべて創作です。登場するホテル・地名・メニュー文面・出来事はすべて架空のものであり、実在のいかなる施設・地域とも関係ありません。

北陸のある温泉ホテルに、3泊した。仕事の下見だった。

2日目の朝、エレベーターを降りて、絨毯敷きの廊下をスリッパで歩いていく。スリッパの裏が絨毯の毛に沈んで、足音が消える。朝食会場の入口に、A4サイズのメニュー表が用意されていた。一枚ずつ手に取れる仕様で、紙はマット紙、少し厚手で、角がきれいに揃っていた。指の腹に、紙のざらつきが気持ちよかった。

表紙の最初の行に、こうあった。

「漁師町から届いた、本日の海の恵み」

「漁師町」の漁師町とは、どこのことだろう。「本日」の本日は、いつのことだろう。「海の恵み」の海は、太平洋なのか日本海なのか。何も書いていない。けれど、このホテルは日本海に面した町に建っているから、たぶん日本海なのだろう、と読み手が補ってあげる仕組みになっている。

その朝、私は職業病を発動させた。スマートフォンのメモ帳を開いて、メニュー表の文面を写し始めた。3日間で12行ぶん、書き写した。

一.地元食材ポエムの4原理

3日間の朝食メニュー表から、構文を抜き出してみる。観光地のホテル朝食は、どこも似た文体で書かれている。年に何十軒と下見する旅行プランナーの実感だ。

① 距離の演出——「届く」「直送」「朝採れ」

「漁師町から届いた、本日の海の恵み」

「○○漁港 直送 ぶりの照り焼き」

「朝採れ きゅうりの一夜漬け」

「届いた」「直送」「朝採れ」。距離が短いことを、動詞の選択で演出する。本当はホテルの厨房と漁港の間には市場と業者と冷蔵トラックが入っているのだが、メニューの文体は、漁師さんが直接ホテルの裏口に魚を運んでくる絵を浮かべさせる。「届いた」は、誰が届けたかを書かない。届ける主語が省略されているから、読み手は「漁師町ぜんぶ」が動いてくれた気がする。動詞ひとつで、町が一斉にこちらに向かって歩いてくる。

② 匿名の作り手——「契約農家」「地元の名人」「目利きの板長」

「契約農家から仕入れた、こだわりの卵」

「地元の名人が漬け込んだ、自家製いか塩辛」

「目利きの板長が選び抜いた、本日の旬魚」

名前が出てこない。「契約農家」の名前。「地元の名人」の名前。「目利きの板長」の名前。3日間で、固有名詞は一度も出てこなかった。

固有名詞を出さないのは、たぶん2つ理由がある。ひとつは、出すと事実確認が可能になるからだ。「○○農場の田中さんの卵」と書けば、宿泊者は田中さんに会いに行ける。「契約農家」のままなら、会いに行けない。もうひとつは、固有名詞を出すと、その日その人が休みだったときに困るからだ。「契約農家」は無人称で常に存在し続けてくれる。匿名であるほど、メニューは持続可能になる。

「目利き」「名人」「板長」。役職名はあるが、人格はない。後光だけが残って、本人がいない。

③ 時の固定化——「昔ながらの」「伝統的な」「○○年から続く」

「昔ながらの製法で仕上げた、自家製味噌の味噌汁」

「江戸期から続く、伝統の塩漬け技法」

「先代より受け継がれた、秘伝の出汁」

「昔ながら」の昔とは、いつのことだろう。「伝統的」の伝統は、何年からなのだろう。「先代」とは、誰のことだろう。書かない。書かないことで、時間が固定される。

これは、私が レトロポエム の回で書いた「過去のポエム化」と同じ操作だ。具体的な年号を書くと、その後の歴史が見えてしまう。「明治12年創業」と書くと、明治・大正・昭和・平成・令和の出来事を読み手が思い出す。「昔ながら」と書けば、何も思い出さない。時の固定化は、歴史の消去でもある

④ 量と原価の隠蔽——「厳選した」「選び抜かれた」

「厳選した北陸の朝の幸を、心ゆくまで」

「選び抜かれた素材だけを使用」

「とっておきの一品をお楽しみください」

「厳選」「選び抜かれた」「とっておき」。何を、何個から、何個に絞ったのか。答えはない。「厳選」は選定基準を持たない選定の動詞だ。基準を書かない選定は、選定したことの主張だけが残る。

そしてここには、もうひとつの隠蔽がある。原価だ。「厳選」の対義語は「適当」ではなく、「原価」だ。「原価率18%で仕入れたタラ」とは書けないから、「厳選した」と書く。原価をポエムに変換する装置として、「厳選」は強い。

①〜④に共通するのは、検証可能な数字を、検証できない形容詞に置き換えることだ。距離・人・時間・量、4方向で、検証可能性が同時に消されている。地元食材は、4方向すべてで地理から剥離していく。剥離した先に何があるかは、最終章で書く。

二.同じ町の、市場の表示

下見の3日目、私は朝食を済ませてから、ホテルの徒歩圏内にあった地元の食品スーパーに歩いて行った。観光客が行く市場ではなく、地元の人が買い物をする普段使いのスーパーだ。

鮮魚コーナーの値札を、メニューと同じように書き写してみた。

「タラ切り身(解凍) ノルウェー産 298円」

「ぶりカマ(養殖) 398円」

「あじの開き(冷凍解凍) 中国産 158円」

「いか塩辛(業務用) 国内製造 228円」

同じ町、同じ朝、同じ食材ジャンル。書き方が、まったく違う。

スーパーの表示は、JAS法と景品表示法と原産地表示の規則に従って、産地・解凍・養殖・業務用を全部書く。書かないと違反になる。書くことが義務だ。書く側に、書くことの権利と義務がある。

ホテルの朝食メニューは、どの法律にも縛られない。書かないことが、書くことだ。書かないことで、スーパーの値札と同じ食材が、別の世界に持ち上がる。「ノルウェー産タラ切り身」を「漁師町から届いた本日の海の恵み」と書き直す装置が、観光地のホテルだ。

同じ町。同じ食材。違う言語

地元の人が「あじの開き 中国産 158円」と読んでいるのと同じ朝に、観光客は「目利きの板長が選び抜いた、本日の旬魚」を食べている。原料の流通網は同じで、文体だけが分岐している。観光客向けと地元向けで、町の言語が二重化されている。

鮮魚コーナーの値札を写しているあいだ、後ろを通る買い物カートのキャスター音がして、私は手を止めた。値札を写真に撮ろうとして、店員さんと目が合った。会釈して、メモ帳に書き写すほうに切り替えた。観光客が朝食メニューを記念に写すのとは違う、この場所で書き写すことの居心地の悪さがあった。私はこの町の住人ではなく、この町の言語の二重化を、観光客の側からのぞきに来た不審者だった。

三.「期待と違った」レビューと、書く側の罪悪感

旅行プランナーとして言えば、こういうメニューポエムは、観光ポエム で書いた自治体PRよりも、もっと近い距離で「裏切り」を発生させる。

自治体PRは、行ってみなければ裏切られない。パンフレットの「心やすらぐ里山」と、現地の閑散とした駅前の落差は、移動という時間の壁を経て確認される。だから読者は、自分でその壁を越えるかどうかを選べる。

朝食ビュッフェのメニューは違う。テーブルに着いてから3分で、ポエムと現実が照合される。「漁師町から届いた、本日の海の恵み」と書いてある皿の上に、解凍タラの切り身が乗っている。文と物が、同じ視野に同時にある。落差を、皿の上で目撃させられる。

宿泊予約サイトのレビュー欄を、仕事柄、何百件も読む。朝食評価で多いのが、「期待と違った」「写真と違った」「説明ほどではなかった」だ。星3。コメントは穏やかだが、トーンには裏切られた感じがある。

その人たちが期待していたのは、味ではなくて、メニューに書いてあった景色だ。漁師町から朝届いたぶりが、目利きの板長によって、伝統の出汁と一緒に出てくる景色。その景色を、宿泊代に含めて支払ったつもりでいる。皿の上にそれが現れないと、書いてあったほうの料金分が裏切られる。

同業として、罪悪感がある。「漁師町から届いた」と書く側は、「期待と違った」を発生させていることを、知っている。知っていて書く。書かないと、競合の隣のホテルが書くからだ。書かなかったほうの予約数が落ちるからだ。書かないと飯が食えない。だから書く。書いたぶん、星3を引き受ける。

業界構造の説明はここまでにする。書き手の現在に戻る。私が今朝写したメニュー表の12行は、いまも現役だ。今日の朝、別の宿泊者が同じメニュー表を読んで、同じ皿を待っている。その人が午後、宿泊予約サイトに星3を書く可能性が、あの12行の中にもう仕込まれている。書き続けるかぎり、私は今朝のメニュー表を、未来の誰かの星3に変換し続けている。観察するだけでは、降りられない。

「ポエム→裏切り」のサイクルは、観光業の構造だ。ふるさと納税のポエム が税の動線で「擬血縁化」を演じるなら、朝食メニューのポエムは食卓の動線で同じ擬血縁化を演じている。蒼月町を「あなたの第二のふるさと」にする操作と、漁師町を「届けてくれる存在」にする操作は、入口が同じだ。出口が、税か食卓かの違いしかない。

四.新人時代に、書いていた

新卒で入った旅行代理店で、私は店頭のチラシ文面を書いていた。22歳から24歳の2年間。社員5人の小さな営業所だった。

春のチラシのキャッチコピーを任されたとき、私は何を書いたか。覚えている。

「絶景! 息をのむパノラマ!」

「最高の朝食ビュッフェ! 地元の幸が大集合!」

「忘れられない、感動の三日間!」

下見にも行っていない宿の朝食を「最高」と書いた。写真は宿側が送ってきた素材を貼った。チラシ全体に、その宿に行く人の感情の出来上がり図が、先に書かれていた。私は感動を企画した。

当時の私は、これを「文章力」だと思っていた。先輩は「コピー上手いね」と笑った。お客さんは申し込みに来た。チラシのおかげだと言われた。記録に残った数字は、星3ではなく、その月の成約率だった。星3が立つのは半年後で、半年後の数字は別の人が見ていた。同じ営業所の中でも、書く人と評価される人と、星を受け取る人が、別の月の別の机に分かれていた。

2年めの夏、リピーターのお客さんから電話があった。前年のチラシで送ったホテルに、今年も行きたいと。日程を組んだ。お客さんが帰ってきた日、店に立ち寄って、こう言った。「朝食、思ってたのと違ったわよ」。

私は「次回は別の宿にしましょう」と答えた。ほんとうは「私のチラシが、思っていたのを作ったんです」と答えるべきだった。けれど、その言葉は、店頭の蛍光灯の下では出てこなかった。

五.「地元」は地理ではなく、書き方だった

3日目の昼、駅に向かうタクシーの中で、運転手さんに聞いてみた。「あのスーパーで売ってるタラと、ホテルの朝食のタラ、同じ業者ですか」。運転手さんは笑った。「全部、隣町の物流センターからですよ。スーパーもホテルも」。

後部座席で、私はハンドバッグの取っ手を握り直した。3日分の取材メモが入っている鞄だった。同じ物流センター。同じ食材。違う言語。それを言葉で確認した瞬間、3日間が一本になった気がした。

「地元食材」と書くとき、書き手は地理を書いているつもりでいる。半径5キロ、10キロ、50キロ。地元の範囲。けれど書いた瞬間、それは地理ではなく、書き方になっている。

「地元」は、地理ではなく、書き方だった。

地名は、土地を指す。「北佐久郡蒼月町」と書けば、地図の上の点が指される。指された点は、検証可能だ。緯度経度がある。役場がある。住んでいる人がいる。

「地元」は、土地を指さない。書き方を指す。「地元食材」は、地元という地名の食材ではなく、「地元」という形容詞のひびきを持った食材だ。半径5キロから来ていても、半径500キロから来ていても、「地元」と書けば「地元」になる。検証されない。検証する手段が、メニュー側に書かれていない。

地名のポエマイゼーション で書いたのは、地理が書き方に上書きされていく長い歴史だった。「蛇谷」が「希望ヶ丘」になり、地層化していく。あれは100年単位の上書きだ。「地元食材」は、毎朝、メニュー表を一枚刷るたびに、地理が書き方に再上書きされる。100年単位ではなく、24時間単位の永久ポエムだ。

地名は土地を指す。「地元」は書き方を指す。これが、3泊した北陸の温泉ホテルで、私がメニュー表を写しながら気づいたことだった。

結び.それでも私は、メニュー表を集める

3泊で写した12行のうち、固有名詞はゼロだった。海の名前さえ、書かれていなかった。各地の宿の朝食メニューは、地名以外の語彙がほぼ揃う。仕事で見てきた範囲では、北海道の「オホーツクの朝の幸」と、九州の「玄界灘の朝の恵み」は、海の名前以外、同じ構文をしている。日本中の観光地ホテルが、同じ言語を共有している。

その言語を、私は書いてきたし、これからも書くだろう。チラシではなくWeb記事の形で。「絶景」とは書かなくなったが、「○○の朝の幸」は、たぶん来月の原稿でも書く。書かないと記事が成立しない。読者がその語彙を期待している。期待された語彙を返さないと、読まれない。

ただ、3泊の温泉ホテルから帰ってきて、ひとつだけ仕事を変えた。記事の最後に、できるだけ固有名詞を入れるようにしている。「地元の名人が漬け込んだ」ではなく、「○○町の田中漬物店の田中さんが漬け込んだ」と書く。書いていいと田中さんから許可をもらえたら、書く。許可が出なかった日は、その段落を削る。「目利きの板長」のままなら、書かない。

これを 観光ポエム の回で「逆ポエマイゼーション」と呼んだ。ポエムを固有名詞に翻訳し直す仕事。朝食メニューにも、同じ手術が要る。「地元」を「○○町○○丁目」に置き換える。それだけで、書き方が地名に戻る。地名は検証可能で、検証可能なものは、ポエムから降りる。

朝食会場のスリッパの音は、いまも耳に残っている。絨毯の毛に沈んで、消えてしまう、あの音。あの音と、メニュー表の指のざらつきと、解凍タラの切り身。3つを同じ視野で見たあの朝が、私の仕事のいちばん新しい教科書だった。

地名は土地を指す。
「地元」は書き方を指す。
その差を、毎朝、皿の上で目撃している。

書き手・ササキハルカ(旅行プランナー)

本サイトの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。ササキハルカは架空の書き手です。