ササキハルカ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
旅行プランニングの仕事をしていると、自治体の観光パンフレットを年間で何百冊と読む。ふるさと納税の返礼品カタログも同じくらい目を通す。ある日、友人のソノダマリが51本のエッセイをまとめたポエマイゼーションを読んで、頭を殴られた気がした。
私が何年もかけて読んできたあのパンフレットたちは、補填の原理の極限だったのだ。
旅行会社のカウンターには、全国の自治体が送ってくる観光パンフレットが並んでいる。北海道から沖縄まで、市区町村が税金を使って印刷した四色刷りの冊子だ。私はそれを手に取り、旅程に組み込めるかを判断する。毎日やっている仕事だ。
しかしソノダのポエマイゼーションを読んだ後、同じ棚の前に立ったとき、景色が変わった。
私は気づいたのだ。パンフレットが美しい自治体ほど、お客さんを連れていくのが難しいということに。
逆に言えば、京都のパンフレットは素っ気ない。「清水寺」「金閣寺」「嵐山」。名所の名前と写真。それで十分だ。名前がブランドだから。ソノダが高校パンフ#2で書いた「偏差値70台の学校はパンフが薄い」と、まったく同じ構造だった。
仕事柄、何百と見てきたコピーを思い出せるだけ並べてみる。
「ここにしかない絶景」
「心やすらぐ里山の風景」
「悠久の時を刻む古刹」
「大自然の恵みに抱かれて」
「人の温もりに触れる旅」
「四季折々の彩りに出逢うまち」
「日本の原風景が残る場所」
「暮らすように旅する」
どの自治体のコピーか、わかるだろうか。わからない。わかるわけがない。どこにでも貼れるラベルだからだ。
マンションポエムS1#1で「上質」「洗練」「静謐」がどのマンションにも使えたように、「里山」「絶景」「温もり」はどの自治体にも使える。ソノダの言う「固有名詞を持たない言葉」そのものだ。
しかし旅行プランナーとして言わせてほしい。問題はもっと深い。マンションのコピーライターは、少なくとも「駅徒歩5分」「南向き」という固有のデータを持っている。そのうえでポエムを添えている。自治体の観光PRは、固有のデータ自体を持っていないことがある。名所がない。名物がない。歴史的建造物がない。だからポエムしか書けない。
ソノダが高校パンフ#2で作った偏差値別ポエム文法。あれの観光版を作れる。何年もパンフレットを読み続けてきた私の実感だ。
| 観光地の「偏差値」 | パンフの特徴 | 代表例 |
|---|---|---|
| 70台 世界的観光地 |
パンフが要らない。名前がブランド。地図と営業時間だけ | 京都、鎌倉、日光 |
| 60台 地方の人気観光地 |
数字で勝負。「年間来訪者○万人」「ミシュラン三ツ星」 | 高山、倉敷、由布院 |
| 50台 「知る人ぞ知る」系 |
ポエム出現。「隠れた名所」「通が選ぶ」「知られざる」 | 各地の「小京都」 |
| 40台 観光資源が乏しい |
ポエム全開。「心やすらぐ」「人の温もり」「日本の原風景」 | (多数) |
| 30台以下 過疎・限界集落 |
究極の補填。「何もないがある」 | (多数) |
京都は「清水寺」と書けばいい。高山は「飛騨牛」「古い町並み」と書ける。しかし40台以下の自治体には、パンフレットに載せる固有名詞がない。固有名詞がないから、普通名詞で埋める。それが補填だ。
ソノダの言う「ポエムの饒舌さはその場所の不足に比例する」(S1#9)。観光パンフレットでは、この原理が最も露骨に、最も大規模に作動している。
匂わせ暗号(全6回)で不動産広告の変装を解読したように、自治体の観光ポエムにも定型の変装がある。何年も読み続けて気づいたパターンだ。
| 観光ポエム | 匂わせている価値 | 不在の正体 |
|---|---|---|
| 心やすらぐ里山 | 癒し・静寂 | 過疎化で人がいない |
| 人の温もりに触れる | 人情・おもてなし | 観光施設がないので住民が対応するしかない |
| 日本の原風景 | 懐かしさ・本物 | 開発されていない(開発する予算がない) |
| ここにしかない絶景 | 唯一性・希少性 | 固有名詞で言えないから「ここにしかない」で代用 |
| 暮らすように旅する | 本格体験・深い旅 | ホテルがないので民泊しかない |
| 時間がゆっくり流れる | 贅沢・非日常 | 何もすることがない |
| 四季折々の彩り | 自然の豊かさ | 通年で集客できる施設がない |
不動産の「閑静な住宅街」が「不便」の変装であるように(暗号#1)、「時間がゆっくり流れる」は「することがない」の変装だ。同じ操作、違う領域。
旅行プランナーの守備範囲は旅行だけではない。近年はふるさと納税の返礼品カタログもよく見る。地域の魅力を伝えるツールとしてお客さんに勧めることがあるからだ。
そしてここにも、ポエマイゼーションが充満している。
「職人が一つひとつ丁寧に手作りした」
「この土地でしか育たない希少な」
「豊かな自然が育んだ」
「昔ながらの製法で」
「数量限定」
| 返礼品ポエム | 匂わせている価値 | 別の読み方 |
|---|---|---|
| 職人が一つひとつ丁寧に | 高品質・手仕事 | 大量生産できない規模 |
| この土地でしか育たない | 希少性 | 他の土地で育てるほど需要がない可能性 |
| 豊かな自然が育んだ | 自然の恵み | 自然以外の産業がない |
| 昔ながらの製法 | 伝統・本物 | 設備投資ができていない可能性 |
| 数量限定 | 希少・プレミアム | 生産能力が低い |
「別の読み方」が常に正しいわけではない。本当に職人が丁寧に作っている場合もある。本当にその土地でしか育たない品種もある。しかしポエムと事実が同じ言葉を使うから区別がつかない。それがポエマイゼーションの厄介なところだ。
何百冊ものパンフレットを読んできて、一つだけ忘れられないコピーがある。
「何もないがある」
実際に使われている自治体のコピーだ。初めて見たとき、笑った。次に、考え込んだ。
これはソノダの6つの操作のうち、変装の究極形だ。「古い」を「味がある」に、「狭い」を「コンパクト」に変えるのが変装なら、「何もない」を「ある」に変えるのはその最高到達点だろう。一語も足さず、視点だけを180度回転させる。禅の公案のようだ。
しかし旅行プランナーとして、私はこの言葉の裏側を知っている。このコピーを書かなければならなかった自治体の担当者の気持ちを。名所を並べるページが埋まらない。特産品が思いつかない。予算会議で「うちの町の売りは何ですか」と聞かれて答えられない。その末に生まれた言葉が「何もないがある」だ。
絶望の底で発明された言葉が、なぜか詩になっている。
ソノダのドバイの回を思い出す。ドバイは「砂漠にオアシスを召喚」した。しかしドバイには石油マネーがあった。過疎の自治体には、言葉しかない。ドバイは金で現実を作り、ポエムはその現実を飾った。過疎の自治体は金がないから、ポエムだけが先に存在する。現実が追いつくかどうかは、わからない。
ここまで書いて、ソノダに読んでもらった。
ソノダ:「ササキさん、面白いね。でも一つ聞いていい? あなたは旅行プランナーとして、ポエムのパンフレットの自治体にお客さんを送るの?」
送る。送ることがある。
ソノダ:「なんで? ポエムだってわかってるのに?」
わかっているからだ。パンフレットが「心やすらぐ里山」と書いているとき、それは「過疎」の変装かもしれない。しかし私は旅行プランナーだ。過疎の村にも泊まったことがある。パンフレットに書いてあることと、実際に行って見ることは違う。パンフレットは嘘を書いているのではない。書き方を間違えているのだ。
「心やすらぐ里山」は何百もの自治体に使える。しかし「朝5時に、裏山から降りてくる鹿が、宿の露天風呂の湯気越しに見える」は一箇所しかない。その固有名詞的な体験を知っているのが、旅行プランナーの仕事だ。
ソノダ:「つまりあなたは、ポエムを固有名詞に翻訳し直す仕事をしてるわけだ」
そうかもしれない。自治体がポエマイゼーションで普通名詞にしてしまったものを、私が固有名詞に戻す。「人の温もり」を「民宿のおばあちゃんが朝4時に起きて作る味噌汁」に。「四季折々の彩り」を「10月第3週の、あの峠の紅葉が夕日に染まる17時」に。
ソノダのポエマイゼーションは、事実がポエムに変わるプロセスだった。6つの操作。補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅。
私がやっている仕事は、その逆だ。
逆ポエマイゼーション(de-poemization)
ポエムを固有名詞に戻すプロセス。普通名詞で埋められた広告から、具体的な体験を復元する作業。
旅行プランナーは、ポエマイゼーションの出力を受け取って、逆変換をかける職業だ。自治体の担当者が「里山」という普通名詞に蒸発させてしまった具体性を、現地の体験から復元する。
ソノダが「具体性を要求すること」がポエマイゼーションへの対抗手段だと書いた(ポエマイゼーション)。それは正しい。しかし観光の場合、具体性を要求するだけでは足りない。具体性を自分で見つけに行く必要がある。だから旅行プランナーが存在する。だから「行ってみること」が最終回答になる。
余談だが、自治体のパンフレットを読んでいると、ソノダの友人が分析している科研費ポエムを思い出す。科研費の申請書が「パラダイムシフトを創出する」と書くとき、それは具体的な研究計画がぼやけている可能性がある。自治体のパンフレットが「新たな価値を創造する」と書くとき、具体的な観光戦略がないのかもしれない。
どちらも予算獲得のための文書だ。科研費は国から研究費をもらうため。観光パンフレットは観光客(と、その予算を承認する議会)のため。予算のためのポエムは、どの世界でも同じ文法で動いている。
自治体の観光PRは、ソノダのポエマイゼーション理論における補填の原理の極限だ。
マンションは「駅徒歩12分」を「上質がそびえる」で補填する。高校は「偏差値42」を「一人ひとりが輝く」で補填する。SaaS企業は「機能に差がない」を「DXを加速する」で補填する。
しかし自治体の過疎地は、すべてが不在だ。人口が減り、産業がなく、若者がいない。名所がなく、名物がなく、交通が不便だ。すべてが足りない。だからすべてを言葉で埋める。補填に次ぐ補填。変装に次ぐ変装。その果てに、究極のコピーが生まれる。
「何もないがある」
不在を不在のまま肯定する。足りないものを埋めるのではなく、足りないこと自体を価値にする。これは補填を超えている。変装を超えている。ポエマイゼーションの6つの操作のどれとも違う、第7の操作かもしれない。
しかし私は旅行プランナーだ。ポエムの分析はソノダに任せる。私がやるのは、「何もない」と言われた場所に実際に行って、「何か」を見つけることだ。
何もない場所には、パンフレットに書けなかった何かがある。それを見つけるには、パンフレットを閉じて、行くしかない。
ポエムの向こう側には、ポエムにできなかった現実がある。
それを見つけるのが、旅だ。