ササキハルカ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
「昭和レトロの街歩きツアー」を企画してほしい——旅行会社でそういう依頼が増えている。古民家カフェ、銭湯、商店街、クリームソーダ。インスタグラムで「#昭和レトロ」と検索すると300万件以上の投稿が出てくる。
私はこの手のツアーを何本も企画してきた。だからわかる。昭和レトロは「過去の事実」ではない。過去のポエマイゼーションだ。
仕事で年に20軒は古民家カフェを下見する。オーナーの話を聞き、写真を撮り、ツアーに組み込めるかを判断する。
パンフレットにはこう書いてある。
「築80年の古民家を改装。昭和の温もりが残る空間で、こだわりの珈琲を」
「懐かしい時間が流れる、おばあちゃんの家のような場所」
「昭和の暮らしを今に伝える、時を超えた喫茶店」
美しい言葉だ。しかし下見に行くと現実が見える。築80年の建物は寒い。断熱材がない。夏は暑い。エアコンを後付けしているが、天井が高すぎて効かない。トイレは改装済みだが配管が古い。段差が多くてバリアフリーではない。
オーナーはそれを知っている。知った上で「味わい」と呼ぶ。
これはソノダが匂わせ暗号#1で指摘した変装そのものだ。「古い」が「味わいがある」に着替えている。「不便」が「懐かしい」に着替えている。不動産広告の「閑静な住宅街」が「不便な立地」の変装であるように、「築80年の味わい」は「築80年の不便」の変装だ。
「昭和レトロ」の広告やPRで語られる昭和はこうだ。
「人情味あふれる商店街」
「近所の人が声をかけてくれた時代」
「子どもたちが路地裏で遊んでいた風景」
「活気に満ちた日本」
「古き良き時代」
では、「昭和」に何があったか。書いてないものを並べる。
昭和から消去されたもの
これがソノダの言う消去だ(S2#10)。「都合の悪いものを意図的に消す」。マンションのチラシに隣のビルが写らないように、「昭和レトロ」のPRから公害は写らない。セクハラは写らない。体罰は写らない。
残されるのは「人情」「温かみ」「活気」だけだ。
ソノダのポエマイゼーションの定義をもう一度引く。
ポエマイゼーション:事実・データ・仕様が広告コピーに変換される過程で、具体性が失われ、印象と感情だけが残る現象。
この定義の「事実・データ・仕様」を「過去の出来事」に置き換えると、レトロポエマイゼーションが見える。
レトロポエマイゼーション:過去の出来事が広告・観光PR・メディアに変換される過程で、不都合な事実が消去され、懐かしさと温かみだけが残る現象。
ソノダが観光ポエムで分析したのは空間のポエマイゼーションだった。「何もない」土地を「心やすらぐ里山」に変換する操作。あれは空間軸——「ここ」を美化する技術だった。
レトロポエマイゼーションは時間軸で同じことをやっている。「あの頃」を美化する技術。
ドバイの不動産広告(ソノダがS1#7で分析した)は未来をポエム化していた。「2030年の理想都市に住む」。レトロポエマイゼーションは過去をポエム化している。「1970年代の温もりに帰る」。方向が逆なだけで、操作は同じだ。
| 方向 | 対象 | 操作 | 例 |
|---|---|---|---|
| 空間 | 「ここ」 | 補填+消去 | 「心やすらぐ里山」(観光ポエム) |
| 未来 | 「そのうち」 | 補填+消去 | 「2030年の理想都市」(S1#7ドバイ) |
| 過去 | 「あの頃」 | 変装+消去 | 「昭和の温もり」(本稿) |
正直に言う。私はレトロポエマイゼーションの実行者だ。
「昭和レトロの街歩きツアー」を企画するとき、私がやっていることを分解する。
ツアー企画のレトロポエマイゼーション工程
つまり私は、ソノダがポエマイゼーションで定義した6つの操作のうち4つを、毎日の仕事で使っている。マンションのコピーライターがやっていることと、旅行プランナーがやっていることは、同じだ。
ソノダがDXポエム#5で書いた「増幅」を思い出す。"Scalable"は英語では平凡だが、「スケーラブル」は日本語では専門用語に聞こえる。
同じことが「レトロ」で起きている。
「古い喫茶店」→「レトロな喫茶店」
「古い銭湯」→「レトロ銭湯」
「古いビル」→「ヴィンテージビル」
「中古品」→「アンティーク」
「使い古された」→「ユーズド」
「懐かしい雰囲気」→「ノスタルジックな空間」
カタカナに変換した瞬間、「古い」のネガティブな響きが消えて、文化的価値が増幅される。日本語で「古い喫茶店」と書けば「潰れそうな店」を連想するかもしれない。「レトロな喫茶店」と書けば「行ってみたい店」になる。
マークがDXポエム#5で指摘した「カタカナは権威の増幅装置」。レトロの文脈では、カタカナは価値の増幅装置だ。「古い」が「レトロ」になるだけで、廃棄対象が保存対象に変わる。
ツアーの参加者を見ていて、面白いことに気づく。「昭和レトロツアー」に申し込んでくるのは、20代が最も多い。昭和を知らない世代だ。
昭和を生きた60代は「あんな不便な時代に戻りたくない」と言う。昭和を知らない20代が「懐かしい」と言う。
これは矛盾ではない。レトロポエマイゼーションが完璧に機能した証拠だ。
昭和を体験した人には、消去される前の記憶がある。エアコンがない夏。たばこの煙。セクハラ。彼らにとって「昭和レトロ」は不完全なポエムだ——消去されたものが見えてしまうから。
昭和を体験していない人には、ポエムしかない。「人情」「温かみ」「活気」——消去後の昭和だけを受け取っている。だから純粋に「懐かしい」と感じる。体験したことがない過去を懐かしむ。それがレトロポエマイゼーションの到達点だ。
マンションのモデルルームに住人はいない。
昭和レトロのカフェに昭和はない。
どちらも「一番いい瞬間」を再現した空間だ。
日本だけの現象ではない。旅行プランナーとして海外のツアーも見ている。
| 国・地域 | ポエム化される時代 | 残されるもの | 消去されるもの |
|---|---|---|---|
| 日本 | 昭和30〜50年代 | 人情、活気、クリームソーダ | 公害、体罰、セクハラ |
| アメリカ | 1950年代 | ダイナー、キャデラック、ロックンロール | 人種隔離、マッカーシズム |
| イギリス | ヴィクトリア朝 | 紅茶、マナー、建築美 | 児童労働、植民地支配 |
| 台湾 | 日本統治期 | 鉄道、建築、温泉文化 | 植民地支配の抑圧 |
| 韓国 | 1970〜80年代 | 屋台、学校文化、大衆歌謡 | 軍事独裁、民主化弾圧 |
どの国でも構造は同じだ。政治的・社会的に暗い部分が消去され、文化的に美しい部分だけが残される。アメリカの「フィフティーズ・ダイナー」にジム・クロウ法は写らない。台湾の「日本統治期の建築巡り」に植民地の抑圧は写らない。
ソノダがS1#9で発見した「補填の原理」——弱い部分ほどポエムが濃くなる——はここでも成立する。暗い過去を持つ時代ほど、レトロポエマイゼーションが濃い。消去すべきものが多いから、補填する言葉も多くなる。
ソノダがポエマイゼーションでまとめた3つの対抗手段を、レトロ版に翻訳する。
レトロポエマイゼーションへの3つの対抗手段
ここまで書いて、自分の仕事を否定したのかと言われそうだ。違う。
ソノダがポエマイゼーションで書いた。「ポエムを愛でながら、騙されない」と。私もそうだ。
古民家カフェは美しい。築80年の梁を見上げながら飲むコーヒーは格別だ。商店街のコロッケは美味しい。銭湯のタイル絵は見事だ。それは「昭和が良かったから」ではない。今ここにあるその建物、その味、その意匠が良いからだ。
レトロポエマイゼーションの問題は、「古いもの」を「良かった時代」にすり替えることだ。古民家カフェの梁が美しいのは事実。昭和が「古き良き時代」だったのはポエム。この二つを区別できれば、レトロは純粋に楽しめる。
「あの頃」は存在しない。
「あの頃」のポエムが、今ここにあるだけだ。
それを楽しむのに、騙される必要はない。