一個ちがい
秋の夕方、犬連れの二人

十月の夕方、五時半。川沿いの遊歩道。五月に葉桜の下で立ち話をした二人が、同じ道で、こんどは落ち葉を踏んでいる。相変わらず、お互いを犬の名前で呼んでいる。本当の名前は、まだ知らない。

連れているのは、ぎん(白い柴犬、夏に十三歳になった)と、もも(トイプードル、三歳。元気がありあまっている)。

ぎんと、もも

日が短くなった。街灯が、ひとつずつ点きはじめる。ぎんの足取りが、春より少しゆっくりになっている。

ぎんあら、ももちゃん

ももぎん、こんばんは。……あれ、ちょっと、痩せました?

ぎん分かります? 夏に、糖尿病って言われて

もも犬も、なるんですか

ぎんなるんですって。それで、朝と晩に、注射

ももぎんさんが、打つんですか

ぎん私が。首の後ろの皮を、こう、つまんで

ももうわあ

ぎん最初は手が震えてね。今は、ぎんのほうが慣れました。打ったらご飯、って分かってるから、おとなしく待ってるの

ぎん(犬)が、ももの匂いをゆっくり嗅ぐ。ももは、そのまわりをくるくる回っている。

ぎん先生がね、面白いこと言ってたんですよ

ももはい

ぎん犬のインスリンって、豚のと、まったく同じなんですって

もも豚の

ぎんだから、豚のを、そのまま使える

ももへえ

ぎん猫だと、牛のに近いんですって。でも、一個だけ違う

もも一個

ぎんアミノ酸っていうのが、ずらっと並んでて。その並びが、一か所だけ

もも人間は、どうなんですか

ぎん人間は、豚と一個ちがい、って言ってたかな

ももじゃあ、ぎんは、僕らと一個ちがい

ぎんそうなるのかしら

もも猫のは、人には使えないんですか

ぎん使えない、って言ってた気がする。いや、使わない、だったかな。そこは、覚えてなくて

もも名前は、同じインスリンなのに

ぎんそう。同じ名前で、ちょっとずつ、違うもの

ももなんか、変な感じですね

ぎん私もそう思った。同じ名前なら、同じものだと思うじゃない

手紙

ぎんそのとき、酵素とホルモンは違うんです、って話も聞いたんだけど。それも、忘れちゃった

もも酵素は……娘が試験前に言ってましたね。自分は変わらないで、相手を変えるやつ

ぎん相手を

もも化学反応の、仲人みたいなもんだって

ぎん仲人

ももで、ホルモンは、手紙

ぎん手紙

もも体のどこかで書かれて、血に乗って、遠くの誰かに届く

ぎんじゃあ、インスリンも手紙

もも手紙ですね。「糖を、取り込んでください」っていう

ぎんぎんの体は、その手紙が、書けなくなったのね

もも……それで、ぎんさんが、代筆を

ぎん朝と晩に、代筆

短い間。ももが、落ち葉を一枚、前足で押さえる。

もも手紙って、長いんですか

ぎんインスリンは、アミノ酸が五十いくつ、って言ってた

もも短いのは

ぎんアミノ酸一個からできてるのもあるんですって、ホルモンって

もも一文字の手紙

ぎん「来い」みたいな

もも「逃げろ」とか

ぎんああ、そっちかもしれない

ぎん(犬)が、くしゃみをひとつ。

ぎんインスリンって、冷蔵庫に入れとかないと、だめなんですよ

もも壊れちゃう

ぎん凍らせてもだめ、温めすぎてもだめ。形で働くから、形が崩れたら、効かないんですって

もも形で

ぎんでも、DNAって、何万年も前の骨からでも、読めるっていうじゃない

もも言いますね。マンモスとか

ぎん設計図のほうは何万年も残るのに、そこから作ったものは、冷蔵庫から出しっぱなしにもできない

ももうちの仕事と、一緒ですね

ぎんあら

もも図面は、何十年も、事務所の棚に残ってるんです。建てた家のほうが、先に、なくなる

ぎん家じまい

ももこの前、四十年前の図面が出てきて。その家、春に、うちで壊したやつでした

ぎんあらまあ

もも並びで覚えてるものは残って、形で働くものが、先に壊れる

ぎん形で働くもの

もも家とか。インスリンとか

ぎん人とか、ね

川の音。どこかの家で、夕飯の匂い。

一単位

ぎん昔はね、インスリンの量そのものは、測れなかったんですって

もも測れない

ぎん血糖値は測れたのよ。だから、兎に打って、兎の血糖値がどれだけ下がるかで、決めてた

もも兎

ぎんそれで、一単位

ももじゃあ、ぎんさんが毎朝打ってる、その単位って

ぎん兎の、名残りなの

もも……兎

ぎん毎朝、三単位って、目盛りを見てるでしょう。あれ、もとをたどると、兎が一羽ぶん、とか、そういう話だったのかしらね

もも兎、一羽ぶんの

ぎん量そのものが測れるようになったのは、もっとあと

ももどうやって

ぎん牛や豚のインスリンを何年も打ってた患者さんの体に、抗体っていうのが、できてたんですって

もも一個ちがいでも

ぎん豚で一個、牛で三個。体は、それにちゃんと、気づいてた

もも気づいてた

ぎんその気づき方を逆に使って、量を測る方法を作った人がいたの

もも違いに気づく力で、測る

ぎん先生、そこだけ、すごく熱心に話してくれてね。ぎんの注射の話は、五分くらいだったのに

もも獣医さんって、そういうとこ、ありますよね

あと五年

ももそういえば、ラジオで言ってたんですけど

ぎんはい

ももあと五年もしたら、人は年を取らなくなるかもしれない、って

ぎんあら

ももそういう研究が、ここ何年かで、すごい勢いで進んでるらしくて

ぎん五年

もも前は、ここが悪い、あそこが悪い、って一個ずつ直してたのを、今は、年を取ること自体を、病気みたいに扱って

ぎん年を取ること、自体を

ももAIで、何万通りも試すんですって。人が一生かかっても試せない数を

ぎん便利ねえ

もも犬のほうが、先らしいですよ

ぎん犬

ももアメリカで、年取った犬の寿命を延ばす薬を、審査にかけてるって

ぎん……ぎんのぶん、間に合うかしら

ももどうでしょうね。もう通ったのか、まだなのか、そこまでは

ぎんぎんはね、今年、私を追い越したのよ

もも追い越した

ぎん犬の十三歳って、人で言うと七十くらいなんですって。私より、上

ももぎんさん、年下になっちゃった

ぎん春までは、私のほうが、お姉さんだったのにね

ももが、ぎんの前で伏せて、見上げる。ぎんは、ゆっくり、腰を下ろす。

暇

ぎんでも、年を取らなくなったら、何するのかしら

ももそれ、僕も考えたんです

ぎん何するの

もも暇に、耐えられないと思うんですよ

ぎん暇に

もも定年がなくなって、終わりもなくなったら、毎日、何かしてないと

ぎん宝くじが当たったら何するか、っていうのと、似てるわね

もも似てますね。買ってないのに、考える

ぎん何するの、当たったら

もも思いつかないんですよ、それが。結局、月曜には現場に行ってる気がする

ぎん解体の

もも建てるほうだと、いいんですけど

ぎん私はね、たぶん、朝と晩に、三単位

もも……

ぎん時間がいくらあっても、そこは変わらないと思う

もも十二時間おき

ぎんそう。暇には、ならないのよ。十二時間ごとに、手紙を一通、書くから

それじゃ、また

ぎんそろそろ戻らないと。六時が、晩のぶんなの

ももあ、すみません、引き止めて

ぎんいいのよ。ぎん、帰るよ

ぎん(犬)が、立ち上がるのに、少し時間をかける。

ももそういえば、ぎんさん

ぎんはい

もも僕、ぎんさんのお名前、知らないんですよね。まだ

ぎんあら。私も、ももさんの、知らない

ももずっと、ぎんさん

ぎん犬と同じ名前で呼ばれて、半年

ももインスリンみたいですね

ぎんえ

もも同じ名前で、ちょっとずつ違う

ぎん……一個ちがい

もも一個ちがい、ですね

ぎんじゃあ、それでいいんじゃない。当分

もも当分

ぎんそれじゃ、また

ももまた

二人、それぞれ反対方向へ。ぎん(犬)は、家のほうへ、少しだけ先を歩いていく。六時が近い。冷蔵庫の中で、三単位ぶんの手紙が、待っている。

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このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。