カンザキシュウ(52歳・天ぷら職人30年)
海老の尾を切り、腹に三本、包丁で筋を入れて真っ直ぐに伸ばす。尾の中に溜まった水気を、包丁の先でしごき出す。これを残すと、油の中でぱちんとはねる。二十二歳の春、一九九六年にこの店に入って、最初の一年は揚げ場に立たせてもらえず、この仕込みと洗い物ばかりだった。
衣は冷たい水で溶く。粉と水を、混ぜすぎない。混ぜればねばりが出て、衣が重くなる。親方は「粉を、水に泳がせるだけだ」と言った。菜箸で二度か三度。だまは残っていていい。だまが、揚がったときの花になる。
油は胡麻油を配合する。野菜は百六十度、海老は百八十度。温度計は見ない。菜箸の先から衣を一滴落とし、それが鍋底まで沈んでから浮くか、半分まで沈んで返すか、表面で散るかで、油の温度を読む。種を見れば、衣を落とすべき高さが手に分かる。それを覚えるのに、何年もかかった。
揚げ場に立たせてもらえたのは二年目の夏だった。鱚を揚げていた。私は鍋を覗き込み、衣の色が変わる瞬間を目で追っていた。早すぎても遅すぎてもいけない。色だけが頼りだった。後ろから親方の声がした。「目で揚げるな」。
「耳で揚げろ。種の水が抜ける音が変わる。その変わり目が頃合いだ」。意味が分からなかった。手が次の種に伸びかけて、止まった。親方はもう一度言った。「目をつぶってみろ」。言われた通り、目をつぶった。すると、色に隠れて聞こえなかった音が、急に立ち上がってきた。
最初は、ぼこ、ぼこ、と低い。大きな泡が鈍くはじける。種の中の水が、まだたっぷり残っている。それがだんだん細かく、高くなる。ぴちぴち、と軽くなる。水が抜けて、衣が締まる。箸の先にも、それは来た。種を持ち上げると、ずしりと重かったものが、ふっと軽くなる瞬間がある。音の変わり目と、箸の軽さが、同じ場所で重なった。そこで上げた鱚は、いままで揚げたどれとも違う色をしていた。
カウンターに立つようになって、もう一つ覚えた。揚げたては、置いた瞬間から冷めていく。客が前の一品の最後を噛み、箸を皿に置く。その音で、次を鍋に入れる。春は山菜、夏は鱚、秋は松茸。市場の暦が、そのままカウンターの上を流れる。
色で揚げていた二十二歳の私は、もういない。あの日、目をつぶってから、私は油の音を聴いている。ぼこ、ぼこ。ぴちぴち。種の水が抜ける、その変わり目を。