クマザワダイチ(45歳・製粉所の職人23年)
夏になると、その年の新麦が入ってくる。トラックの荷台から袋が降りて、倉庫に積み上がっていく。実りの恵みとはよく言ったもので、袋の山を見上げると、ああ今年もこの季節が来たのだなと、しみじみとした気持ちになる。けれど職人にとって、新麦が来たということは、まだ一度も挽いたことのない小麦と、これから一年付き合うということだ。
新麦が入ると、まず検査をする。水分計に試料を入れて、水分の値を読む。容積重を量る。タンパクを測る。数字が一通りそろうと、その年の小麦の第一印象のようなものが見えてくる。水分が高めなのか、実が詰まっているのか、タンパクは強いのか。去年の検査票を引っ張り出してきて、横に並べて見比べる。同じ産地でも、年が違えば数字が違う。
穫れたての新麦は、実はすぐには挽きにくい。穫れたばかりの小麦は水のなじみが悪く、調質をしても胚乳がうまくほどけてこない。だから少し寝かせてやる。倉庫に積んだまま、何週間か置く。どのくらい寝かせるかは、その年の水分と気候を見ながら決めるのだが、このあたりの判断は、長年やってきた勘のようなものに頼っているのかもしれない。
寝かせた新麦を、いよいよ少量だけ挽いてみる。試験製粉という。本番のロットを流す前に、ほんのわずかを挽いて、粉の顔を見るのだ。出てきた試験製粉の粉を手に取って、指で揉む。色を見るのではない、指で重さと湿りを確かめる。去年の同じ時期に挽いた粉と握り比べてみて、今年の麦が去年よりかたいのか、やわらかいのか、ようやくわかってくる。
新麦の挽き始めには、産地の天候を一年分振り返る癖がついている。梅雨にどれだけ雨が降ったか、収穫期にちゃんと晴れが続いたか。雨の多かった年の小麦は水をふくんで、タンパクの出方も変わる。収穫前にぐずついた年は、粒の張りがいまひとつだ。空のことなど自分には何もできないのに、毎年つい、あの地方の夏はどうだったかと、新聞の天気欄を思い出すように考えている。天候は、必ず粉に出る。
試験製粉でその年の麦の顔がわかると、得意先に「今年の麦」を説明しに行く。長く付き合っているうどん屋の主人には、毎年この時季に年次報告をする。今年はタンパクがやや強いので、いつもの配合だと少しかたく出るかもしれません、加水を見直してもらえますか、と。向こうも長年の職人だから、こちらの予告を聞いて、自分の手の方を先に整えてくれる。数字の話を、お互いの手の話に翻訳していく時間でもある。
配合の調整を予告し終えて製粉所に戻ると、倉庫にはまだ手をつけていない新麦の袋が、天井近くまで積み上がっている。これを一年かけて、少しずつ挽いていくのだ。一袋ずつが、これからの一日一日の仕事の量でもある。検査票の数字も、寝かせの判断も、試験製粉の一握りも、すべてはこの山と向き合うための準備だったのだと思う。
新麦の初挽きは、いつも少し緊張する。去年とは違う小麦が、今年の自分の手を試している。けれど考えてみれば、新麦との最初の対話こそが、私にとって一年の始まりなのだ。同じ小麦は二度と来ない。その一回きりの夏に、私はまた指を伸ばしていく。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。