ソノダマリ・ヨコヤマサトシ
13回にわたって、マンションポエムを外から分析してきた。地域差、国際比較、歴史、学術概念。しかし一つ、決定的に欠けている視点がある。ポエムを実際に書いている人の声だ。
長谷工のウェブメディア「マンションプラス」が、マンション広告コピーの「中の人」へのインタビュー記事を公開している。この貴重な証言を軸に、ポエムの裏側を覗いてみたい。
マンションプラスの取材に応じた広告制作会社のクリエイター・Tさん(仮名)の証言は衝撃的だ。
マンション広告業界は新規参入がしにくいガラパゴスな業界で、プレーヤーは狭い世界の限られた人たち——業界全体で約50人程度。
50人。日本全国で販売されるすべての新築分譲マンションのポエムを、わずか50人ほどのコピーライターが書いている。
制作の流れはこうだ。デベロッパー(野村不動産、三井不動産など)から広告代理店を通じて制作会社に委託される。キャッチコピーを考えるのは制作会社のコピーライターだ。つまり「プラウド覚王山」のポエムは野村不動産の社員が書いているのではなく、外部の専門家集団が書いている。
50人の世界。この閉じた環境が何を意味するかは想像に難くない。同じ人たちが、同じクライアントの、同じ種類の物件を、何十年も書き続けている。語彙が似通うのは当然だ。大山顕氏の分析で「街」「都心」「上質」「洗練」が繰り返し頻出する背景には、この業界構造がある。
#1で「不動産広告規制がポエムを生んだ」と書いた。Tさんの証言は、その現場を活写する。
営業的には特定の言葉を入れたい。しかしそれを断定すると虚偽広告になってしまう。「言えることと言えないことのせめぎ合い」を通じて、ポエム的な表現が生まれる。
具体例が挙げられている。物件の近くに目黒川があるが、実際にはかなり距離がある。「目黒川沿い」とは書けない。しかし「目黒川」に言及したい。そこで——「遥かに臨む目黒川」。「遥かに」を入れることで、距離があるという事実を認めつつ、目黒川のブランドイメージは借用する。
もうひとつ。吉祥寺から離れた物件だが、吉祥寺の名前を使いたい。「吉祥寺」とは書けない。そこで——「吉祥寺の奥座敷」。「奥座敷」は温泉地で使われる表現で、「中心からは離れているが上質な場所」を暗示する。地理的事実を曲げずに、イメージだけを借りる技術だ。
これは#13の「アポファシス」の実践そのものだ。直接言えないから、言わないことで言う。ポエムは規制への創造的応答なのだ。
Tさんはマンションポエムのインフレ化についても語っている。
高額商品を購入してもらうためのコピーなので、言葉がインフレしてしまう。結果的に大げさな表現になっていく。
マンションは人生最大級の買い物だ。3,000万円、5,000万円、時に1億円超。これだけの金額を払う人を振り向かせるには、言葉も「それなりの格」を持たなければならない。「いい感じのマンションです」では誰も買わない。
しかし「上質」が当たり前になれば「至高の上質」に、「洗練」が陳腐化すれば「極まる洗練」に——#10で見た2000年代の言葉のインフレは、コピーライターの側から見れば「止められない上昇圧力」だったのだ。
さらにTさんは重要な指摘をしている。
特筆すべき訴求ポイントが薄い場合と競合物件の存在が、コピーライターの熱量とポエム誕生へと向かわせている。
つまり——物件に際立った特徴がないほど、ポエムは饒舌になる。これは#9の補填の原理を、制作者の側から裏づけた証言だ。「ないもの」が多いほど、言葉で埋める必要がある。コピーライターは、それを身体で知っている。
新築マンションの広告費は、一般に総事業費の1〜3%と言われる。売上価格に占める割合では3〜5%。この中にパンフレット制作、テレビCM、モデルルームの建設・賃借料、販売スタッフの人件費が含まれる。
仮に一戸5,000万円のマンションなら、広告費は一戸あたり150万〜250万円。キャッチコピーの制作費はその一部だが、ポエムの一行が数百万円の物件価格を支えている構造だ。
#8の「"country" で4%アップ」を思い出してほしい。ポエムの一語が住宅の価値を数%動かすなら、コピーライターの報酬はその経済的効果に比べて割安かもしれない。50人のコピーライターが、日本のマンション市場全体のブランドイメージを支えている。
#10で触れた「嫌われ回避」のトレンド——SNS時代に大げさなポエムがネタ化されるリスク——を、コピーライターの立場から考えてみよう。
コピーライターは二つの圧力に挟まれている。
攻めればツッコまれ、守れば競合に埋もれる。この板挟みの中で、最近のポエムが「寛ぎ」「安らぎ」「穏やかな時間」に向かっているのは、ネタにされにくい安全圏を選んだ結果と読める。「上質がそびえる」は面白がられるが、「穏やかな時間を過ごす」は誰もスクリーンショットを撮らない。
しかしそれは同時に、マンションポエムという文化のエネルギーの低下でもある。「惑星のような輝きを放つ」のような荒唐無稽なポエムが減れば、ネタとしての面白さも減る。大山顕氏が20年かけて収集したポエムの黄金時代は、もしかすると過ぎ去りつつあるのかもしれない。
このシリーズでは、マンションポエムを面白がり、分析し、時にツッコんできた。しかしこの回を書いて改めて思うのは、ポエムを書く人々への敬意だ。
50人のコピーライターは、広告規制の檻の中で、デベロッパーの要望に応え、競合との差別化を図り、SNSのツッコミを避けながら、それでも人の心を動かす一行を探している。「洗練の高台に、上質がそびえる」が生まれるまでに、どれだけの案が捨てられたか。「人生に、南麻布という贈り物」が採用されるまでに、どれだけの推敲が重ねられたか。
マンションポエムは、制約の中で咲いた花だ。制約がなければポエムは生まれなかった。規制があり、競合があり、高額商品のプレッシャーがあり、50人という小さな世界があって、初めてあの独特の文体が生まれた。
ポエムを外から分析する私たちは、その花の形と色を記述しているに過ぎない。花を咲かせているのは、中の人たちだ。