ソノダマリ・ヨコヤマサトシ
これまで見てきた都市は、基本的に一つの言語で不動産ポエムが機能していた。日本は日本語、台湾は繁体字中国語、韓国は韓国語、アメリカは英語、ドバイは英語。しかし今回の舞台——香港とシンガポール——は違う。ここでは複数の言語が同時に不動産市場を流れている。ポエムが多言語になるとき、何が起きるのか。
香港の不動産メディア house730 の調査によると、2000年以降に落成した楼盤(マンション)では、英文名だけで中文名を持たない物件が増加している。「型格及年青路線」(スタイリッシュで若々しい路線)として、英語の楼盤名のみを掲げ、「中文名則欠奉」(中文名は欠場)とのことだ。
これは衝撃的だ。香港は広東語が母語の街だ。しかし高級マンションは英語だけで名乗る。
なぜか。答えは#9の蒸発の原理にある。英語名は、広東語話者にとって意味が半分蒸発する。意味が蒸発すると、音の響きとイメージだけが残る。#7でマークが指摘した「プラウドからarroganceが蒸発する」のと同じ構造——ただし香港では、蒸発が自国の中で起きている。日本の和製英語は日本語に翻訳された段階で蒸発するが、香港では英語がそのまま使われ、広東語話者の耳で蒸発が起きる。
日本:Proud → プラウド(カタカナ変換で蒸発)
香港:英語名をそのまま使用(読者の耳の中で蒸発)
香港の楼盤名には、英語の後綴(suffix)に独自のヒエラルキーがある。
面白いのは、"Mansion" が香港でも日本と同じ「集合住宅」の意味で使われていることだ。#7でマークが「ライオンが住んでる豪邸」と笑った和製英語の "Mansion" は、実は香港英語でも同じ意味転移を起こしている。英語が東アジアの不動産市場に入ると、"Mansion" はどこでも「集合住宅」に意味が縮小する。これも蒸発の原理の一種だ——壮大な意味が蒸発し、実用的な意味だけが残る。
香港島の住宅地は、物理的な高度がそのまま社会的地位に対応する。
#16で分析した「世界征服系」——高層階から街を見下ろすことが権力のメタファーになる——が、香港では物理的な地形として実現している。タワマンの30階に住む必要はない。山の中腹に住めば、自動的に街を見下ろせる。
サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙は、半山と山頂の住民について "a sense of privilege and prestige"(特権と威信の感覚)と書く。日本のマンションポエムが言葉で作り出す「上から目線」を、香港は地形が天然に提供する。だから香港の高級物件の広告は、世界征服系のポエムを必要としない。高さが事実だから、言葉で補填する必要がないのだ。
補填の原理:香港の山頂は、物理的な高さ=社会的地位が成立する稀有な場所。ポエムで「手中に収める」と詠む必要がない——地形がすべてを語るから。
香港の不動産サイト gotrip の記事が、近年の楼盤名のトレンドを報告している。興味深いのは、新しい楼盤名に「.」(中黒/ナカグロ)を挿入するのが流行していることだ。
さらに、漢字の部首にも傾向がある。「王」偏(玉に関連する字)、「田」、三点水(水に関連する字)が楼盤名に好まれる。
日本のマンションポエムが「森→杜」「時→刻」で異化(#13)を行うのと似ているが、香港は記号と部首で同じ効果を狙う。「.」を入れることで普通の単語が特別に見え、「王」偏の漢字を選ぶことで富と品格を暗示する。言語が違っても、異化の技法は同じ目的を持つ。
シンガポールに移ろう。この国の不動産ポエムで最も興味深いのは、Good Class Bungalow(GCB)というカテゴリの存在だ。
GCBはシンガポール政府が認定する最高級住宅カテゴリで、指定された39エリアに立地し、敷地面積1,400㎡以上の戸建住宅のみが名乗れる。2025年上半期のGCB取引は14件、総額約4.6億シンガポールドル(約500億円)。
これは韓国のTHE H(#4)——江南・瑞草・松坡のみに適用されるブランド——を思い起こさせるが、決定的に違う点がある。THE Hは民間企業(現代建設)が地域を限定している。GCBは政府がカテゴリそのものを定義している。
韓国THE H:民間ブランドが地域を限定(ブランド戦略)
シンガポールGCB:政府がカテゴリを認定(行政的格付け)
中国「大洋怪重」:政府がポエムを禁止(行政的規制)
政府の介入の仕方が三者三様だ。韓国は民間に任せ、シンガポールは政府が「格」を与え、中国は政府が「格」を剥ぐ。シンガポールと中国は政府が介入する点で似ているが、方向が逆——一方は格を付与し、もう一方は格を除去する。
シンガポールには四つの公用語がある——英語、中国語(マンダリン)、マレー語、タミル語。しかし高級不動産の広告は、ほぼすべて英語で書かれている。
なぜか。シンガポールの高級物件は国際的な富裕層をターゲットにしており、共通言語として英語が選ばれる。しかしそれだけではない。シンガポールでは英語が社会的上昇と結びついている。英語教育を受けた層がエリートを形成し、高級物件の購入者もその層に重なる。不動産広告が英語で書かれるのは、ターゲットの言語が英語だからであり、同時に英語であること自体が「格」を示すからだ。
これは#3の台湾——広告に英語を混入して「国際性」を暗示する——と似ているが、シンガポールではもっと徹底している。台湾は繁体字の中に英語を「混ぜる」。シンガポールは最初から英語で書く。混入ではなく、言語そのものの選択がポエムなのだ。
香港とシンガポールは、このシリーズの三原理に新しい変数を加えた。言語の選択そのものがポエムになるという変数だ。
一言語の世界では「何を書くか」がポエムだった。多言語の世界では「何語で書くか」がすでにポエムになる。言葉の選択の前に、言語の選択がある——これは一言語の国(日本、韓国)では見えない次元だ。