ソノダマリ・ヨコヤマサトシ
このシリーズで何度も名前が出ながら、一度も主役になれなかったジャンルがある。大山顕氏が「世界征服系」と名付けたマンションポエムだ。#2で予告し、#5で名古屋に見つけ、#8でアメリカと比較し、#15で六部委に裁かれた。16回目にして、ようやくこのジャンルを正面から分析する。
まず、代表的な世界征服系ポエムを並べてみよう。
「都心を、わが手中に。」
「掌中に収める。」
「眺望を支配する。」
共通する構造は明確だ。高層階からの眺望を、権力・支配のメタファーに変換する。見下ろすことが支配すること、手中に収めることになる。
これは他のマンションポエムのジャンル——「上質系」(洗練、邸)や「チルアウト系」(寛ぎ、安らぎ)——とは明らかに異質だ。上質系が品質を暗示し、チルアウト系が安息を約束するのに対し、世界征服系は権力を宣言する。日本のマンションポエムの中で、最も攻撃的なジャンルだ。
世界征服系がタワーマンションに集中するのは偶然ではない。低層マンションで「都心を手中に」と詠んでも成立しない。「見下ろす」ためには物理的な高さが必要だからだ。
人間の歴史において、高い場所に住むことは常に権力の象徴だった。城は丘の上に建てられ、王宮は街を見下ろす位置に築かれた。教会の尖塔は神の権威を垂直に示した。タワーマンションの高層階に住むことは、この古い権力の文法を現代の集合住宅に移し替えたものだ。
世界征服系ポエムは、この「垂直の政治学」を言語化する。高層階の住民は、物理的に街を見下ろしている。ポエムはその物理的事実を、「手中に収める」「支配する」という権力の言葉に翻訳する。
#9の翻訳の原理がここでも作動している。「高い場所からの眺望」という事実が、「権力」という文化的意味に翻訳される。同じ眺望でも、「チルアウト系」なら「穏やかな眺め」に翻訳されるし、台湾風(#3)なら「俯瞰山河城海帝景」(山河と城と海の帝王の景色を俯瞰する)に翻訳される。高さという事実は一つ。翻訳は文化の数だけある。
このシリーズで見てきた各国・地域の「高層からの眺望」表現を並べてみよう。征服の強度が弱い順に。
| 国・地域 | 表現 | 征服強度 |
|---|---|---|
| アメリカ(超高級) | 432 Park Avenue(住所のみ) | なし(ポエム不在) |
| 日本(チルアウト系) | 「穏やかな眺めに包まれて」 | ★☆☆☆☆(受動的享受) |
| 日本(世界征服系) | 「都心を、わが手中に」 | ★★★☆☆(支配宣言) |
| 名古屋 | 「都心よ、摩天楼と、優雅に目覚めよ」 | ★★★☆☆(命令形だが優雅) |
| 台湾 | 「100米拔高凌雲,俯瞰山河城海帝景」 (100mの高さで雲を凌ぎ、山河と城と海の帝王の景色を俯瞰する) |
★★★★☆(帝王として俯瞰) |
| 中国大陸 | 「繁华一展王侯笑,富贵不让帝王家」 (繁華を一望すれば王侯の笑み、富貴は帝王の家にも劣らぬ) |
★★★★★(王侯・帝王に比肩) |
面白いのは、日本の世界征服系は国際的に見れば中程度だということだ。台湾の「帝王の景色を俯瞰する」や中国大陸の「富貴は帝王の家にも劣らぬ」に比べれば、「手中に収める」はまだ控えめだ。日本の世界征服系は、征服を宣言するが、王侯を名乗るところまでは行かない。あくまで「暗示」の文化圏にとどまっている。
#2で指摘し、#5で確認した現象——世界征服系は地方都市のタワマンで特に目立つ。
東京23区には20階建て以上のタワーマンションが数百棟ある。その中で「都心を手中に」と詠んでも、同じ都心を手中にしている隣のタワマンが見える。征服の唯一性が成立しにくい。
しかし名古屋や福岡や仙台では、20〜30階建てのタワーマンションがそのエリアのランドマークになり得る。「NAGOYA the TOWER」(#5)の「THE」が成立するのは、名古屋に42階建てが数えるほどしかないからだ。
世界征服系の説得力は、都市のスケールに反比例する。
都市が小さいほど、一本のタワーの支配力が大きくなる。
これは#9の補填の原理の変奏だ。東京ではタワマンが「当たり前」なので征服系ポエムの必要性が薄い。地方都市ではタワマンが希少だから、その希少性を世界征服系で最大化する。ないもの(タワマンの希少性)を言葉で増幅するのだ。
#10で見たように、2010年代以降のマンションポエムは「嫌われ回避」に向かっている。「憧憬」「羨望」「手中に収める」のような「上から目線」は、SNSでネタ化されるリスクが高い。
世界征服系は、まさにその「上から目線」のジャンルだ。「都心を、わが手中に」は、投稿すれば即座に「イキってる」とツッコまれるだろう。#14のコピーライターが語った「攻めればネタ化、守れば埋没」のジレンマが、このジャンルでは最も先鋭化する。
結果として、2020年代の新しいタワーマンション広告では、世界征服系の表現は減少傾向にある。代わりに台頭しているのは——
「支配する」が「対話する」に、「手中に収める」が「たどり着く」に。世界征服系のエネルギーは、より穏やかなかたちに昇華されつつある。
#15の思考実験を、世界征服系に特化して再適用してみよう。
「都心を、わが手中に」は「大」(大げさ)に抵触するか。六部委基準の「大」は「宇宙」「天下」「万国」を標的にしている。「都心を手中に」は「天下を手中に」より限定的だ。しかし一個人が都心を手中に収めるという主張は、実態を超えた誇大表現とも言える。
一方、台湾の「帝王位」や中国大陸の「王侯笑」は、日本の世界征服系より遥かに強烈だ。六部委が「帝」「皇」を禁止した中国大陸では、世界征服系はすでに淘汰されている。台湾では今も健在。日本では自主的に縮小中。
中国大陸:国家が世界征服系を禁止(行政的淘汰)
日本:SNSが世界征服系を嫌う(社会的淘汰)
台湾:世界征服系が今も元気(淘汰なし)
同じ「世界征服系の退潮」でも、その駆動力が国家権力なのか社会的圧力なのかで、性質はまったく異なる。日本の嫌われ回避はコピーライターの自主規制だが、中国の整治は行政命令だ。結果は似ているが、プロセスは正反対だ。
世界征服系は、マンションポエムの中で最も野心的で、最も攻撃的で、そして最も時代の風に弱いジャンルだ。
バブル期の「誇る」(#10)の直系にあたるこのジャンルは、2000年代のタワマンブームで開花し、SNS時代の「嫌われ回避」で萎縮しつつある。中国では国家が刈り取り、日本ではコピーライターが自ら引っ込め、台湾だけが堂々と「帝王」を名乗り続ける。
しかし「高いところから街を見下ろしたい」という欲望は、人類の歴史と同じくらい古い。世界征服系のポエムが表面から消えても、その欲望は「到達型」や「静謐型」のかたちで生き延びるだろう。
#12で書いたことを繰り返す——ポエムは水のようなもので、一つの流路を堰き止めれば、別の流路を見つける。