ハヤシアヤカ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
年賀状を書いたことがある人なら、一度は思ったことがあるはずだ。これ、何も言ってない。
「旧年中はお世話になりました」——本当にお世話になったのか。「本年もよろしくお願いいたします」——何をよろしくするのか。「皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」——本当に祈っているのか。
事実はゼロ。情報量もゼロ。しかし毎年1月1日に届く。届かないと気になる。届くと安心する。この奇妙な文化装置を、ポエマイゼーションの枠組みで分析してみたい。
マンションポエムの「上質がそびえる」には、少なくとも「マンションが存在する」という事実がある。SaaSのLPの「DXを加速する」には、少なくとも「ソフトウェアが存在する」という事実がある。
年賀状にはそれすらない。
年賀状の定番フレーズを解剖する
| フレーズ | 事実の有無 | ポエマイゼーション操作 |
|---|---|---|
| 「謹賀新年」 | 新年が来たこと自体は事実 | 増幅(漢語で権威づけ) |
| 「旧年中はお世話になりました」 | お世話の具体的内容なし | 補填(関係の実態を曖昧な感謝で埋める) |
| 「本年もよろしくお願いいたします」 | 何を依頼しているか不明 | 消去(具体的要求を消して儀礼だけ残す) |
| 「ご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」 | 実際に祈っていない | 変装(社交辞令を祈りに着替えさせる) |
| 「輝かしい新年をお迎えのことと存じます」 | 相手の状況を確認していない | 補填+変装(不明を「輝かしい」で埋める) |
ソノダマリに聞いた。「これ、ポエマイゼーションの6つの操作、全部入ってませんか」
ソノダ:「入ってる。年賀状はポエマイゼーションのフルコース。しかも誰も騙されてない。全員がポエムだと知っていて、全員がポエムを書いて、全員がポエムを受け取って安心する。マンションポエムより純粋な形態だと思う」
ソノダがポエマイゼーションで分析してきたのは広告だった。マンション、SaaS、高校パンフ——何かを売るためのポエム。しかし年賀状は何も売っていない。
売らないのにポエムが発生する。これは広告のポエマイゼーションとは別の現象だ。
マイクロポエマイゼーション(micro-poemization)
日常の定型的な挨拶や儀礼的コミュニケーションにおいて、具体的な情報が消去され、感情的・儀礼的な「ポエム」だけが残る現象。商業目的を持たないが、ポエマイゼーションと同じ操作(補填・消去・変装・増幅)が作動している。
年賀状だけではない。日本の季節の挨拶は、マイクロポエマイゼーションの宝庫だ。
| 季節の挨拶 | 代表的ポエム | 事実の含有量 |
|---|---|---|
| 年賀状 | 「旧年中はお世話になりました」 | ゼロ |
| 暑中見舞い | 「暑さ厳しき折、ご自愛ください」 | 暑いこと(天気予報で足りる) |
| お歳暮の挨拶状 | 「日頃のご愛顧に感謝を込めて」 | 贈り物を送ったこと(伝票で足りる) |
| お中元の挨拶状 | 「ささやかながら夏のご挨拶まで」 | 同上 |
| 喪中はがき | 「年頭のご挨拶を失礼させていただきます」 | 死亡の事実(これだけは情報がある) |
面白いのは喪中はがきだ。唯一、具体的な事実を含んでいる。「父が亡くなりました」。年賀状のポエムを停止する通知だけが、事実を語る。ポエムの不在を告げるメッセージだけが、ポエムではない。
年賀状のポエムは、メディアの変遷とともに圧縮されてきた。
年賀ポエムの圧縮史
| メディア | 年代 | 典型的な文面 | 文字数 |
|---|---|---|---|
| 毛筆の書状 | 〜明治 | 「謹みて新年の御祝詞を申し上げ候……」 | 100〜200字 |
| 年賀はがき | 明治〜 | 「謹賀新年 旧年中は……本年も……」 | 50〜100字 |
| プリントごっこ年賀状 | 1980年代〜 | イラスト+「あけましておめでとう」 | 10〜30字 |
| メール | 2000年代〜 | 「あけおめ!ことよろ!」 | 10字前後 |
| LINE | 2010年代〜 | 「あけおめ〜」 | 4〜5字 |
| LINEスタンプ | 2010年代〜 | (画像のみ。文字なし) | 0字 |
200字が0字になった。しかし機能は同じだ。「あなたのことを覚えていますよ」「関係を維持したいですよ」——この2つのメッセージを、毛筆200字で伝えていた時代と、スタンプ1個で伝えている時代と、伝えている内容は変わっていない。
ソノダ:「これ、蒸発の究極形だと思う。意味が蒸発して、最後に残ったのがタップ1回の儀礼。"Agile"が『アジャイル』になって意味が蒸発するのと同じ構造。ただし年賀状の場合、最初から意味がなかった」
最初から意味がなかったものが、さらに蒸発する。蒸発するものがないのに蒸発する。これがマイクロポエマイゼーションの特異な点だ。
「あけましておめでとうございます」を「あけおめ」に圧縮する。10文字が4文字になる。60%の文字が消えた。
しかし消えたのは文字だけだ。「あけおめ」を受け取った人は、「あけましておめでとうございます」と言われたのと同じ感情を受け取る。敬語が消えた? 構わない。丁寧さが消えた? 構わない。儀礼的接触が行われたという事実だけが残ればいい。
言語学には「接触的機能(phatic function)」という概念がある。ヤコブソンが定義した言語の6機能のひとつで、「情報を伝えるためではなく、コミュニケーションの回線を維持するための発話」を指す。「もしもし」「うん」「へえ」「そうですね」。内容はない。しかし回線は開いている。
年賀状は、年に一度だけ開く回線。
「あけおめ」は、その回線を維持する最小パケット。
マンションポエムの「上質がそびえる」は、何かを売ろうとしている。「あけおめ」は何も売っていない。ただ回線が生きていることを確認しているだけだ。そしてそれで十分なのだ。
LINEの年賀スタンプは、ポエマイゼーションの歴史における一つの到達点だ。
文字がない。「謹賀新年」も「あけおめ」もない。干支のキャラクターが門松の前で笑っている画像が1枚。それだけで「旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。皆様のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます」と同じ機能を果たす。
ソノダ:「スタンプって、ポエムの最終形態なんじゃないかと思う。事実がないのは年賀状と同じ。でも言葉すらない。ポエマイゼーションの6つの操作——補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅——全部が済んだあとに残るのが、キャラクターが笑ってる画像1枚」
マンションの広告なら「上質がそびえる」という言葉がある。高校パンフなら「一人ひとりが輝く」という言葉がある。SaaSなら「DXを加速する」という言葉がある。年賀スタンプには言葉がない。
言葉がなくなって、それでもポエムとして機能する。これは、ポエマイゼーションが言語の問題ではなくコミュニケーションの構造の問題であることを示している。
年賀状の歴史は、ポエマイゼーションの不滅性を証明している。
「年賀状じまい」という言葉がある。「今年で年賀状を卒業します」という宣言。高齢者を中心に広がっている。年賀はがきの発行枚数は2003年の44億枚をピークに減少を続け、2024年には14億枚を割った。年賀状は衰退している。
しかし「あけおめ」は衰退していない。LINEで、インスタのストーリーで、Xの投稿で、「あけおめ」は毎年1月1日に爆発する。年賀状というメディアは衰退したが、年賀という儀礼は衰退していない。
ポエムはメディアを乗り換える。
はがきが死んでも、ポエムは死なない。
広告のポエマイゼーションには目的がある——売ること。しかしマイクロポエマイゼーションの目的は関係の維持だ。「あなたを覚えています」「つながりを切りたくない」。この欲求がある限り、ポエムは消えない。メディアが変わるだけだ。
毛筆からはがきへ。はがきからメールへ。メールからLINEへ。LINEからスタンプへ。次は何か。AIが自動で「あけおめ」を送る時代が来るかもしれない。そうなったら、ポエマイゼーションの操作を実行するのは人間ですらなくなる。
マンションポエムを笑う人がいる。「上質がそびえる」って何だよ、と。SaaSのLPを笑う人がいる。「DXを加速する」って具体的に何だよ、と。高校パンフを笑う人がいる。「一人ひとりが輝く」って何人輝いたんだよ、と。
しかしその全員が、1月1日には「あけましておめでとうございます」と書いている。何がめでたいのか具体的に説明できないまま。旧年中に具体的にどうお世話になったのか明記しないまま。本年も具体的に何をよろしくするのか定義しないまま。
全員が、毎年、ポエムを書いている。
ソノダがポエマイゼーションで定義した6つの操作——補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅。これらは広告コピーライターだけの技術ではない。年賀状を書く全員が、無意識にこの操作を実行している。
ポエマイゼーションは広告の問題ではない。人間のコミュニケーションの基本構造だ。
「旧年中はお世話になりました」
——今年もまた、ポエムの季節がやってくる。