セキモトアン(35歳・製餡所の職人13年)
二月の末、白餡の釜とこし餡の釜に同時に火を入れる。桜餅の注文が来るからだ。世間ではまだ桜の話など出ていない。私の手のほうが、いつも季節より早く動く。
桜餅の餡は店で割れる。こし餡を巻く店、白餡を使う店。白餡は白いんげんで、小豆とは原料からして別の餡だ。春の三週間ほど、私は二つの釜を回す。片方が練り上がるまでもう片方の火を細め、漬けた豆の量を見て翌朝の段取りを組み直す。釜が二つでは足りない朝は、最中の「松」の本炊きを半日後ろへずらす。何を後回しにするかで、その日の春が決まる。
うちの取引先は道明寺の店が多い。関西の桜餅は、もち米を蒸した粒の残る生地で餡を包む。注文票の束が「道明寺」の判で揃う春は、皮が餡を抱く力が強いぶん、巻く餡をいつもより一度ぶん締める。関東の長命寺は薄い焼き皮で、餡を柔らかく仕上げると聞く。私はその皮を巻いたことがない。だから締めた餡だけが、私の知っている春だ。
端午の前、味噌餡を炊く。年に一度しか炊かない餡で、配合帳の頁も一年ぶりに開く。隅の走り書きには「白餡十貫、白味噌四百匁、隣に小さく+二十」とある。去年の私が、味噌が薄いと感じて足した二十匁だ。今年、その味噌は同じ蔵の同じ銘柄なのに、舐めると去年より塩が立っている。私は四百二十の四百二十を、もう一度疑うところから始める。緊張は記憶ではなく、味噌のほうが一年で変わっていることから来る。
夏は、水羊羹に向けたこし餡を炊く。冬の餡は口の中でほどけるなめらかさでいい。夏の餡は、喉を通っていくなめらかさでなければいけない。冷やして、噛まずに、喉ごしで食べる菓子だからだ。だから漉しの網を一段細かい目に替え、寒天と合わせたときに舌に皮の気配が残らないところまで漉す。同じこし餡という名前で、冬とは行き先の違う餡を炊いている。
秋は、小豆を離れる。栗餡と芋餡の季節だ。小豆は渋を切って中の味を出すが、栗と芋は外を剥いて中をそのまま使う。栗の渋皮は固く、剥いていると親指の爪が端から割れる。茹でて裏ごすとき、ごし器の裏に残る筋の量を指で見て、筋が多ければ甘露煮に回し、少なければ餡にする。小豆を漬ける指と、栗の筋を見る指は、同じ私の指なのに別のことを覚えている。
師走。鏡餅の餡、正月菓子の餡、暮れの駆け込みの注文で、釜は休まない。世間が一年を閉じる頃、私は翌年の正月を炊いている。年が明けて店先に並ぶ菓子は、煤けた暮れの釜の前で、もう仕上がっていたものだ。
桜が咲く頃には、桜餅の餡はもう炊き終わっている。柏の葉が出る前に、味噌餡の四百二十は仕上がっている。世間が桜を見上げている朝、私は釜の横で、次の季節の小豆を漬けて指で芯を確かめている。