セキモトアン(35歳・製餡所の職人13年)
日本には四季があり、和菓子はその移ろいを写し取る器だと言われる。桜が咲けば桜餅、端午には柏餅、夏には涼やかな水羊羹。菓子は季節の便りだ。けれど、その便りを支える製餡所の暦は、世間の暦より少しだけ早く動いている。私たちは、季節が来る前に、その季節の餡を炊き終えているのだ。
春のはじめ、桜餅の注文が立て込む。桜餅にはこし餡を巻く店が多いが、なかには白餡を使う店もある。白餡は白いんげんを炊いた餡で、小豆のこし餡とは原料からして別物だ。春の数週間だけ、私は普段の何倍もの白餡とこし餡を炊く。釜が二つでは足りず、夜明け前から夜まで火を落とせない、慌ただしくも美しい季節なのだと思う。
面白いのは、桜餅にも東西があることだ。関西は道明寺、もち米を蒸して粒の残った生地で餡を包む。関東は長命寺、小麦粉を焼いた薄い皮で巻く。うちの取引先は道明寺の店が多く、道明寺の注文票が束になって貼り出される春は、関西にいるのだという実感が湧いてくる。皮が違えば、巻く餡の固さも少しずつ変える。地域の好みが、餡の数字に表れている。
端午が近づくと、柏餅の味噌餡を炊く。これは年に一度しか炊かない餡だ。白餡に味噌を合わせるのだが、味噌の塩気と餡の甘さの釣り合いが難しく、配合帳の頁も一年ぶりに開く。去年の私が書き残した数字を、今年の私が再現する。たった一年でも、味の記憶は曖昧になる。頁の隅の走り書きだけが頼りで、釜の前で少し緊張する瞬間でもある。
夏は、水羊羹に向けたこし餡を炊く。夏の餡は、なめらかさの基準が変わる。冬の餡が口の中でほどけるなめらかさを目指すなら、夏の餡は喉を通っていくなめらかさを目指す。水羊羹は冷やして、喉ごしで食べる菓子だ。だから漉しの網を一段細かくし、寒天との馴染みを考えて炊く。同じこし餡という名でも、季節で設計が違うのだ。
秋になると、小豆以外の餡が増える。栗餡と芋餡だ。栗は渋皮を剥き、茹でて裏ごす。芋は蒸して、繊維を整える。小豆のように渋を切るのではなく、原料そのものの下処理がすべてを決める、別世界の仕事だ。十三年やっていても、栗の季節の手つきは、小豆の手つきとは違う体の使い方になる気がする。秋は、私が一年でいちばん不器用になる季節なのかもしれない。
そして師走。鏡餅の餡、正月菓子の餡、暮れの駆け込みの注文で、製餡所の釜は休む間がない。世間が一年を閉じようとしている頃、私たちは翌年の正月をもう炊いている。煤けた釜の前で、湯気の向こうに新年が見えるようだった。製餡所の師走は、たぶん世間の師走より、半月ほど早く来る。
考えてみれば、桜が咲く頃には、桜餅の餡はもう炊き終わっている。柏の葉が出る前に、味噌餡は仕上がっている。季節を写すはずの菓子は、季節の少し前に用意されていなければ間に合わない。だから私の暦は、いつも世間より早く進む。季節の先回りをすること、それが私の暦なのだ。世間が桜を見上げているとき、私はもう、次の季節の小豆を漬けている。
——補記:この第一稿は辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。