『あなたのため』は誰の言葉か
吸う人の横に座る #3

イシカワケンタロウ(健康管理アドバイザー)

駅のホームに、肺の断面を大写しにしたポスターが貼られている。家に帰ってテレビをつけると、同じ趣旨の啓発CMが流れてくる。そして夜、台所で、妻が夫に「そろそろ、やめたほうがいいんじゃない」と小さく言う。

三つの場面に同じ言葉が並んでいるのに、それぞれの重さはまったく違うように見える。私はこのことを、ずっと不思議に思ってきた。

在宅リハビリの現場に通っていると、同じ「やめたほうがいい」が、発する人によって別の言葉に聞こえる瞬間に何度も出会う。

ポスターの声は遠い。名前も顔も知らない誰かが、統計の向こうから語りかけてくる。受け取る側も、自分が名指されているとは感じにくい。CMもそれに近い。間に距離があるから、言葉は表面で滑って、そのまま落ちていくように見える。

一方、台所で交わされる「やめたほうがいい」は、言う側も、言われる側も、互いの一日の形を知っている。朝起きてから夜眠るまでのどこに一本が挟まっているか、手をつけなかった煮物のことも、その理由も、だいたい見当がついている。

近い人ほど、その言葉を簡単には言わない。言ったら関係が少し変わってしまうことを、あらかじめ知っているからかもしれない。

遠い人は、言葉の重みを引き受けずに言える。だから強く、はっきり、繰り返し言える。近い人は、届けたあとに続く沈黙や、翌朝の湯気の立ち方まで引き受けることになる。だから、言葉を選ぶのに時間がかかる。選び直しては、やめて、また選び直す。

その、時間のかかった言葉だけが、相手の一日の形を少し変えうるのではないか、と私は思っている。断定はできない。ただ、臨床の場で振り返ってみても、効いている助言はたいてい、発せられるまでに長い時間がかかったもののほうだった。

気になるのは、遠くからの大声が響いている間、近い人の小さな声がかき消されてしまう構造のほうだ。もう十分に言われていることを、家族がもう一度自分の言葉で言うのは、思いのほか難しい。「テレビでも言ってたし」と付け足した瞬間に、その言葉は急に遠いものの仲間になってしまう。

遠くから降ってきた正論は、たいてい、近くの誰かの時間を、少しだけ奪っていくように見える。

だから私は、自分の仕事のなかで「やめたほうがいい」と口にするときの距離を、いつも気にかけている。私はその人の家族ではない。けれど、週に一度同じ椅子に座り、同じ湯呑みでお茶をいただく程度には、近い。近すぎず、遠すぎない位置から発する言葉が、どのくらいの重さを持ちうるのか。持ちうるとして、それは本当に私が発してよいものなのか。

答えは出ないまま、今日も隣に座っている。ご無理なさらないでくださいね、とだけ先に言っておく。

——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。第一稿・レビュー・第二稿を並置して、改稿の過程を記録しています。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。健康に関する判断は医療専門家にご相談ください。