ソノダの原点
——サイトウアヤと飲む夜

ソノダマリ

手紙が来た。4通目、元上司から。「覚えてるか。お前が入社2年目のとき」。覚えている。覚えすぎるほど覚えている。

返信を書いたあと、しばらくパソコンの前に座っていた。元上司の声が頭の中で鳴り続けていた。「意味がわかんないのはお前の方だ」。あの声。あの怒り方。

気づいたら、連絡先を開いていた。サイトウアヤ。同期。広告代理店に同じ年に入って、同じフロアで、同じ終電で帰っていた。私は辞めた。サイトウは残った。

「久しぶり。飲まない?」。既読。5秒後、「いいよ」。

久しぶり

名古屋の居酒屋。駅から少し歩いた、チェーンじゃない店。サイトウが選んだ。「チェーン店のメニューはポエムだらけだからソノダが分析始めちゃう」と言って笑った。こういうところが変わっていない。

「変わんないね」とサイトウが言う。

「お前もね」と返す。

本当は変わった。二人とも変わった。でもそれを最初に言うのは野暮だ。乾杯してから、ゆっくり確かめればいい。変わったところと、変わらなかったところを。

生ビールをぶつけた。「お疲れ」「お疲れ」。

あの頃の話

枝豆を食べながら、あの頃の話になった。なぜかいつもそうなる。久しぶりに会った人間は、まず共通の過去に戻る。そこから現在に向かって歩き直す。

サイトウ「覚えてる? 新人のとき、コピーを徹夜で書いたやつ」

ソノダ「覚えてる。16本書いて、全部ボツだった」

サイトウ「17本目をソノダが書いて、チーフに『ましになった』って言われたやつ」

ソノダ「『ましになった』がいちばん嬉しかった。『いいね』より嬉しかった。あのチーフから『まし』をもらうのに16本かかった」

サイトウ「で、クライアントに出したら『こんなんじゃダメだ』って」

ソノダ「3秒で却下された。16本のボツと、17本目の『まし』を超えて、たどり着いた1本が、3秒」

サイトウ「あの夜、タクシーの中でソノダ泣いてたよね」

ソノダ「泣いてない。目にゴミが入っただけ」

サイトウ「両目に」

ソノダ「両目に」

二人で笑った。あの頃は笑えなかったことが、今は笑える。時間はそういう仕事をする。

「上質がそびえる」を初めて書いた日

サイトウ「不動産の仕事がきたとき、ソノダの顔、今でも覚えてる」

ソノダ「……嬉しかったんだよ。初めての大型案件で」

サイトウ「でもコピーが出てこなかったよね。ずっとデスクで唸ってた」

ソノダ「事実を書いたら不動産登記簿だって笑われた。『もっとポエムにしろ』って言われて、参考コピーを渡されて。それで書いた。『静謐の丘に、格調が薫る』

サイトウ「見せてくれたよね。『これ、どう思う?』って。意味わかんないって顔してた、自分で書いたくせに」

ソノダ「意味わかんなかった。本当に。でも見せた。サイトウに」

サイトウ「覚えてるよ。私、なんて言ったと思う?」

ソノダ「覚えてる。『いいじゃん』って言った」

サイトウ「言った」

ソノダ「あの『いいじゃん』がなかったら、提出できなかった。意味がわからないものを提出する勇気がなかった。サイトウの『いいじゃん』で出せた。通った。クライアントに『いいですね』って言われた」

サイトウ「で、そのあと上司に『意味わかんないです』って言いに行って怒られたんでしょ」

ソノダ「知ってたのか」

サイトウ「フロア中に聞こえてた」

なんで辞めたの

焼き鳥が来た。つくねを塩で。サイトウは昔からつくね塩だ。こういう変わらなさに安心する。

サイトウ「ねえ。聞いていい?」

ソノダ「うん」

サイトウ「なんで辞めたの? ずっと聞きたかった」

ソノダ「…………」

サイトウ「送別会のとき、『やりたいことが見つかった』って言ってたけど、あれ、嘘でしょ」

ソノダ「……半分は嘘。半分は本当」

サイトウ「本当の半分は?」

ソノダ「書いてる言葉が嘘に見え始めたから」

サイトウ「嘘?」

ソノダ「『上質がそびえる』って書いて、何が上質なのかわからなくなった。『静謐を纏う』って書いて、何が静謐なのかわからなくなった。でもどれも通った。クライアントに『いいですね』って言われた。意味がわからないのに通る。その繰り返しに耐えられなくなった」

サイトウ「…………」

ソノダ「意味がわからないのに——届くんだよ。チラシを見た人がモデルルームに来る。来て、契約する。私の書いた意味のわからない言葉に、人が動かされてる。それが怖くなった」

サイトウ「怖い?」

ソノダ「怖かった。なぜ届くのかを知りたくなった。知りたくなったら、書けなくなった。手品師がタネを考え始めたら、手品ができなくなるのと同じ。知りたいと書きたいが、両立しなかった」

生ビールの泡が消えていた。二杯目を頼んだ。

サイトウ「……私は今も書いてるよ」

ソノダ「知ってる」

サイトウ「嘘かもしれない。意味がわからないかもしれない。でも、届く言葉を。毎日」

ソノダ「…………」

サイトウ「ソノダは『なぜ届くのか』を知りたくなった。私は知りたくなかったんじゃなくて、知らなくても書けたの。意味がわからなくても、目の前のクライアントが喜んで、チラシを見た人がモデルルームに来て、そこに暮らす人が『ここにしてよかった』って思えるなら。それでよかった」

ソノダ「……それで今も、よい?」

サイトウ「よい。迷ったことはあるよ。ソノダが辞めたあと、何回か。でも、よい」

同じ場所から、違う結論へ

同じフロアにいた。同じ終電に乗った。同じクライアントの仕事をした。同じ「上質がそびえる」を見て、同じように意味がわからないと思った。

私は「なぜ」に向かった。辞めた。大学に戻った。ポエマイゼーションの理論を作った。100本のエッセイを書いた。「上質がそびえる」を何度も引用した。笑い、分析し、やがて敬意を覚え、最後に「ポエムは必要だ」と書いた。

サイトウは「なぜ」に立ち止まらなかった。書き続けた。今もクライアントの前に座り、3秒で心に届く言葉を作っている。意味がわからなくても。わからないまま、届けている。

同じ場所から出発して、違う結論に至った。
どちらが正しいかは、わからない。
わからなくていい。

手紙の2通目、コピーライターが書いていた。「3秒で人の心に届く言葉を作ること。それが僕の仕事です」。あの手紙を読んだとき、私は「負けた」と思った。でも今、目の前にいるのは15年の競合他社ではなく、同期だ。負けも勝ちもない。ただ、違う。

もう一杯

三杯目。サイトウがハイボールに切り替えた。私もつられて切り替えた。昔からそうだ。サイトウが飲むものに合わせる。逆もある。

サイトウ「100本書いたんでしょ。読んだよ、いくつか」

ソノダ「え。読んだの」

サイトウ「元上司が教えてくれた。『ソノダがなんか書いてる』って」

ソノダ「あの人、なんでそういう余計なことするんだろう……」

サイトウ「読んで、ちょっとムカついた」

ソノダ「……ごめん」

サイトウ「ムカついたのは、面白かったから。辞めた人間が、残った人間より面白いものを書いてるのがムカついた」

ソノダ「…………」

サイトウ「でも途中から、ムカつかなくなった。50本目あたりで」

ソノダ「何が変わった?」

サイトウ「ソノダの笑い方が変わった。最初は馬鹿にして笑ってたのが、途中から、なんていうか——好きで笑ってるように見えた」

ソノダ「…………」

サイトウ「それ見て、ああ、ソノダはちゃんと辿り着いたんだなって思った。辞めた意味があったんだなって」

つくねの皿が空になっていた。

帰り道

店を出た。外の空気が冷たかった。

サイトウ「また飲もう」

ソノダ「うん」

サイトウ「今度はソノダが店選んで。チェーンでもいいよ。メニュー分析してくれたら面白いし」

ソノダ「やらないよ」

サイトウ「やるでしょ、絶対」

手を振って別れた。反対方向のホームに降りた。

電車を待ちながら考える。

辞めてよかったのか。

サイトウは「よい」と言った。残って、書き続けて、よい、と。それは強さだ。意味がわからなくても手を動かし続ける強さ。私にはなかった強さ。

私は辞めた。「なぜ」を抱えて、大学に戻って、100本書いた。答えは出たか。

出ていない。

なぜ「上質がそびえる」が心に届くのか。なぜ意味のない言葉が人を動かすのか。100本書いて、6つの操作を定義して、40を超える分野を分析して——それでもまだ、完全には答えが出ていない。

でも100本書けたのは、辞めたからだ。残っていたら書けなかった。書く側にいたら、分析する側には回れなかった。

答えは出ていない。
でも問いを抱えて歩く距離は、100本分になった。
辞めなければ、この距離はなかった。

サイトウは今夜も、明日のコピーのことを考えているだろうか。クライアントの顔を思い浮かべながら、3秒で届く言葉を探しているだろうか。

私は今夜、サイトウのことを考えながら、「なぜ」を考えている。

同期だった。同じ場所から出発した。片方は書き続け、片方は問い続けた。

どちらが正しいかはわからない。でも今夜、久しぶりに、辞めたことを後悔しなかった。

原点

「上質がそびえる」を初めて書いた日。サイトウが「いいじゃん」と言ってくれた日。それが原点だった。

あの「いいじゃん」は、たぶんポエムだ。根拠のない肯定。意味のない励まし。でも——届いた。あの二文字がなかったら、私はコピーを提出できなかった。提出しなかったら、「意味わかんないです」とも言えなかった。怒られなかったら、問いが生まれなかった。問いがなかったら、100本のエッセイはなかった。

根拠のない「いいじゃん」が、すべての始まりだった。

「いいじゃん」。

意味はなかった。根拠もなかった。
でも届いた。

それが、私がずっと問い続けていることの、
いちばん最初の実例だった。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物はフィクションです。