ソノダマリ × マツモトヒナ
日曜日の午後。名古屋駅の近く、窓際の席。アイスカフェラテとホットチャイ。
分析の話をするつもりはなかった。ただ会いたかっただけ。最近どう? 元気? 子どもは? そういう話。でもこの二人が会うと、世間話がいつの間にか変な方向に転がっていく。
マツモト「ソノダさん、聞いてよ」
ソノダ「どうした」
マツモト「保育園の連絡帳にね、毎日『今日も元気に過ごしました』って書いてあるの」
ソノダ「うん」
マツモト「でも先週、うちの子が友達を噛んだの」
ソノダ「噛んだ」
マツモト「噛んだ。がぶっと。で、その日の連絡帳なんて書いてあったと思う?」
ソノダ「……『お友達と元気に遊びました』」
マツモト「正解。なんでわかるの」
ソノダ「変装だからだよ。『噛んだ』が『元気に遊んだ』に着替えてる。匂わせ暗号の『日当たり良好』と同じ構造。事実を書くと角が立つから、やわらかい言葉に着替えさせる」
マツモト「でも怒れないんだよね。先生も大変だし。噛んだことはお迎えのとき口頭で教えてくれたし。連絡帳は他の保護者も見るかもしれないし」
ソノダ「つまり連絡帳のポエマイゼーションは、保育士と保護者の共犯関係ってことだ。科研費ポエムで書いたのと同じ。申請書のポエムは書く側も読む側もわかっている。わかった上で、儀式として成立させている」
マツモト「うん。先生は『噛みました』って書かない。私も『噛みましたか?』って連絡帳には書かない。お互いに書かないことで、連絡帳は穏やかな世界を維持してる」
ソノダ「消去だね。都合の悪いことを書かない。マンションのチラシに隣のパチンコ店が写らないのと同じ。でもマンションの消去は買い手を騙すため。連絡帳の消去は——」
マツモト「子どもを守るため、かな」
噛んだことは消えない。でも連絡帳に書かないことで、「噛む子」というラベルが貼られるのを防いでいる。消去にも、やさしい消去がある。
ソノダ「……ポエマイゼーションを100本書いてきて、消去は基本的に『悪い操作』として扱ってきた。隠蔽。都合の悪いものを見せない。でも連絡帳の消去は、ちょっと違うね」
マツモト「先生たちも、わかってやってるんだよ。保育士の専門技術としてのポエマイゼーション」
ソノダ「それ、いい言い方だな」
マツモト「もうひとつ聞いていい?」
ソノダ「いくらでも」
マツモト「インスタでね、ママ友が毎日『今日のお弁当♡』って写真あげてるの。すごくきれいなの。キャラ弁とか。彩りとか。私なんか冷凍食品ばっかりで。見るたびに凹む」
ソノダ「それ、セルフポエマイゼーションだよ」
マツモト「セルフ?」
ソノダ「マッチングアプリの記事で書いたでしょ。自分自身をポエム化すること。マンションデベロッパーがモデルルームを作るように、あのママ友は毎日の弁当をモデルルーム化してる。一番きれいに作れた日の、一番きれいな角度の写真。毎日あんなの作ってるわけがない」
マツモト「……そうかな」
ソノダ「匂わせ暗号を思い出して。『日当たり良好』は他にアピールポイントがないときに出てくるフレーズだって書いた。お弁当を毎日アップする人は——ちょっと意地悪な言い方になるけど——他に見せたいものがないのかもしれない」
マツモト「…………」
ソノダ「育児用品ポエムでヒナちゃんが書いたじゃん。罪悪感マーケティングの3段構造。不安の提示、理想像の暗示、解決策の提示。あのSNSの投稿は、広告じゃないのに同じ構造で動いてる。見る側に『私はできていない』という罪悪感を生む。広告主がいないのに、罪悪感マーケティングが成立してる」
マツモト「……ちょっと救われた」
ソノダ「冷凍食品はデータだよ。カロリーも栄養素もパッケージに書いてある。キャラ弁はポエム。見た目はいいけど栄養成分表示はない」
マツモト「ふふ。栄養成分表示」
SNSのお弁当写真は、モデルルームの内覧会。毎日が内覧会の人は、たぶん疲れている。
マツモト「……もうひとつだけ」
ソノダ「重くなってきたね」
マツモト「重いかも。最近、夫との会話がなくて」
ソノダ「……」
マツモト「帰ってきて、『疲れた』。ご飯出して、『ありがと』。食べて、『おやすみ』。3語。毎日3語。マイクロポエマイゼーションどころか、マイクロコミュニケーション」
ソノダ「……それ、ポエムフリーの世界だよ」
マツモト「ポエムフリー?」
ソノダ「キリシマさんの実験、覚えてる? ビジネスメールからポエムを全部消したらどうなるか。結果、殺伐とした。返信が遅くなり、電話がかかってきて、先生に呼び出された。ポエムがない世界は殺伐とする」
マツモト「うちのリビング、殺伐としてる……」
ソノダ「『疲れた』『ありがと』『おやすみ』は、情報としては正確だよ。疲れている。感謝している。おやすみなさい。嘘はない。でもポエムもない。用件だけ。キリシマさんが1週間でギブアップした世界を、ヒナちゃんの旦那さんは毎日やってる」
マツモト「じゃあ何を足せばいいの」
ソノダ「リンメイファが言ってたでしょ。『お体にお気をつけてくださいね』は情報量ゼロだけど愛情量100%だって。旦那さんが『疲れた』って言ったとき、『疲れた? お疲れさま』って一言足すだけで、ポエムが戻る。情報はゼロだよ。『お疲れさま』に情報は何もない。でもそこに『あなたのことを見ていますよ』という信号がある」
マツモト「……リンメイファさんの記事、泣いたんだよね私。『効率と温かさのトレードオフ。10年住んで、私は温かさのほうを選ぶようになった』ってところ」
ソノダ「旦那さんは効率を選んでるんだと思う。悪気はない。疲れてるから最短ルートで伝えてる。でもコミュニケーションの最短ルートは、関係性の最短ルートじゃない」
「お疲れさま」は情報量ゼロ。
でもゼロの言葉が、3語の世界にポエムを戻す。
マツモト「……やってみる」
ソノダ「うん」
マツモト「でもさ、もし『お疲れさま』って言って、『うん』しか返ってこなかったら?」
ソノダ「キリシマさんの実験で面白かったの覚えてる? ポエムの保存則。片方がポエムを減らすと、もう片方がポエムを増やして均衡を保とうとする。逆もたぶん成り立つ。ヒナちゃんがポエムを足したら、旦那さんもちょっとだけ足すかもしれない」
マツモト「保存則かあ。物理っぽくてちょっと笑える」
チャイのおかわりを頼んだ。窓の外が少し暗くなってきた。
マツモト「ねえ、ソノダさんは?」
ソノダ「ん?」
マツモト「100本も書いて、何か変わった?」
ソノダ「…………」
マツモト「あ、言いにくかったらいいよ」
ソノダ「ううん、言う。正直に言うと、マッチングアプリのプロフィールがまだ書けない」
マツモト「あー」
ソノダ「あの記事、5回書いて5回消したって書いたでしょ。あれからもう3回書いて3回消した。計8回。まだ白紙」
マツモト(笑う)「8回」
ソノダ「自分をポエム化するのが一番難しい。他人のポエムは分析できるのに。『旅行好き』って書こうとして、あ、これ蒸発だ、ってなる。『明るい性格です』って書こうとして、あ、これ補填だ、ってなる。『自然体で』って書こうとして、あ、これあの記事で一番笑ったやつだ、ってなる」
マツモト「手品のタネを知ってるから、自分ではマジックができない、って書いてたもんね」
ソノダ「ミズノさんに『壮大な失敗』って言われたけど、本当の失敗はそこじゃない。90本書いてポエムの構造を全部分解した。あらゆる分野のポエムを解読した。でも自分のポエムだけは書けなかった。これが本当の壮大な失敗」
マツモト「…………」
ソノダ「36歳、独身、猫なし、趣味はポエム分析。スペックシートだけ書いたら誰もスワイプしない」
マツモト「……でもさ」
ソノダ「うん」
マツモト「それって、ソノダさんが誠実だってことでしょ」
ソノダ「……え?」
マツモト「嘘のポエムなら書ける。『旅行好き』って書けばいい。『料理が趣味です♡』って書けばいい。みんなやってる。でもソノダさんはそれができない。嘘だってわかるから。嘘のないポエムを書こうとしてるから、書けないんだよ」
ソノダ「……」
マツモト「それ、リポエマイゼーションじゃない? ポエマイゼーションの構造を知った上で、事実に基づいた、誠実なポエムを作ろうとしてる。できないんじゃなくて、できるまでの途中にいるだけ」
ソノダマリは100本の記事で、嘘のポエムを解剖してきた。
自分のプロフィールでは、嘘のないポエムを作ろうとしている。
まだ書けない。でもそれは失敗ではなく、誠実の証拠だ。
ソノダ「……ヒナちゃんに救われるの、何回目だろう」
マツモト「育児用品ポエムのまとめで書いたでしょ。『広告は不安を補填する。私は大丈夫を補填する。同じ補填でも、方向が逆だ』って。ソノダさんにも『大丈夫だよ』って言いたい」
ソノダ「……ありがとう。情報量ゼロだけど、愛情量100%」
マツモト「でしょ」
カフェを出た。名古屋駅の方向に歩く。日曜の夕方、人が多い。
連絡帳のポエマイゼーションは、解決しなかった。明日も先生は「元気に過ごしました」と書くだろう。ママ友のインスタは、解決しなかった。明日もキャラ弁の写真が上がるだろう。旦那さんの3語は、解決しなかった。「お疲れさま」を足しても、明日すぐ変わるわけではない。ソノダのプロフィールは、まだ白紙だ。
何も解決していない。
でも、少し軽くなった。
マツモト「ねえ、ソノダさん」
ソノダ「うん」
マツモト「ポエマイゼーションって結局、人と人の間にあるものなんだよね」
ソノダ「……うん。マンションと買い手の間にも。保育士と親の間にも。ママ友のインスタとフォロワーの間にも。夫婦の間にも。——私とまだ見ぬ誰かの間にも」
マツモト「プロフィール、9回目がんばって」
ソノダ「がんばる。……たぶんまた消すけど」
ポエムは、人と人の間にある。
嘘のポエムも、やさしい消去も、情報量ゼロの「お疲れさま」も。
何も解決しない午後だった。
でもこの時間そのものが、ポエムだったのかもしれない。
本稿で触れた記事: