修学旅行が終わって、二週間。
帰ってきた直後は、クラスのグループLINEがマジで賑やかだった。誰かが写真をアップロードして、誰かが「これ俺の後ろに写ってるの誰www」って突っ込んで、誰かが「夜市のマンゴーかき氷もう一回食べたい」ってコメントして、また誰かが写真上げて、の繰り返し。一週間、ずっとそんな感じだった。
二週間目、急にトーク欄が静かになった。
誰も写真を上げない。誰もコメントしない。土曜の夜、俺がふと開いてみたら、最後の発言が三日前の「今日からまた学校だね😭」だった。それ以降、誰も発言してない。
不思議と、寂しいというより、ちゃんとそういう順番なんだな、って思った。
修学旅行のあいだ、俺たちは 同じ場所にいた。同じ夜市、同じホテル、同じ朝食、同じバス。同じ場所にいる人たちには、同じ話題が自動的に発生する。「あの店の臭豆腐ヤバくね?」「ホテルのシャワー、お湯出るの遅すぎ」みたいな。話題を探さなくても、勝手に湧いてくる。
帰ってきたら、俺たちは別々の場所にいる。家、塾、部活、習い事、駅前のマック。同じ話題が、もう自動では湧かない。話題を作るには、誰かが意識的に「あの旅行の話だけど」って切り出さないといけない。切り出す労力が、たぶん、皆ちょっと面倒くさい。
面倒くさいから、自然に止まる。止まったあと、グループLINEには「修学旅行のあとの空気」だけが残る。空気は、写真より早く薄くなる。
土曜の朝、母さんがリビングで珍しく俺に話しかけてきた。
「修学旅行、よかった?」
俺は「うん、まあ」って答えた。
母さんが「どこが一番楽しかった?」って聞いてきたから、俺は少し考えて「夜市」って答えた。母さんは「お母さんも昔、台湾行ったことあるよ。新婚旅行で」って言った。
俺、初めて聞いた。
母さんが結婚したのは、たぶん俺が生まれる三年前だから、今から二十年くらい前。母さんが二十代後半の頃、父さんと一緒に台湾に行ったらしい。父さんは今、その話を俺にしたことが一度もない。
「父さん、覚えてるかな」って聞いたら、母さんは「あの人は、たぶん覚えてない」って笑った。「夜市で食べたマンゴーかき氷の写真、まだ古いアルバムにあると思うわ」
古いアルバム、っていうのが家のどこにあるのか、俺は知らない。たぶんリビングの戸棚の下のほうに、紙のアルバムがいくつか積んである、あれのどれか。
母さんは続けて言った。「掘り出すの、面倒くさいから今日はやめておくね」
掘り出すの、面倒くさい。
その言い方が、なんか、ちょっと、染みた。
母さんが「掘り出すの面倒くさい」って言ったのは、紙のアルバムの話。リビングの戸棚の下、二十年分の家族写真が、紙の本になって積まれている。開くには、戸棚の前にしゃがんで、他の物をどけて、本を引っ張り出して、ページをめくる。労力が必要。
俺たちの LINE のアルバムは、スマホでタップ二回。
労力が違う、ってことは、たぶん、保存される時間も違う。紙のアルバムは、二十年経って、まだそこにある。LINE のアルバムは、二週間経って、もう誰も開かない。
これって、紙の方が偉いとか、デジタルがダメとか、そういう話じゃない。たぶん。両方、それぞれの保存の仕方をしているだけ。
でも、二十年後、俺がもし誰かに「修学旅行で台湾行った?」って聞かれたら、俺は LINE のアルバムを開けるだろうか。たぶん開けない。LINE のアプリ自体が二十年後に存在するか分からないし、グループも誰かが退出したら写真ごと消えるかもしれない。
母さんが今、二十年前の新婚旅行の写真を「アルバムにあると思うわ」って言えるのは、紙だからだ。デジタルだったら、母さんはその写真をたぶん、どこかのクラウドの奥で見失ってる。
これ、俺がおじさんになったら、子どもに「修学旅行どこ行ったの?」って聞かれて、答えられないかもしれない、ってことか。
じゃあ何枚か、紙に印刷しとくか、と一瞬思った。一瞬だけ。すぐ忘れた。
月曜の昼休み、購買の前で、隣のクラスの女子(名前は知らない)が、友達に話してるのが聞こえた。
「修学旅行、もう全然思い出せない。終わった瞬間に消えた感じ」
友達が「あー、わかる」って返してた。
俺、購買のレジに並びながら、その会話を聞いてた。
消えた、っていう言い方が、ちょっと面白かった。何が消えたのか。たぶん、「楽しい」っていう感覚そのものが消えた、ってことだと思う。写真は残ってる。LINE のアルバムにも、彼女のスマホのカメラロールにも、残ってる。
でも「楽しい」は写真に映らない。映ってるのは、楽しそうに写ってる自分の顔だけ。顔は残るけど、楽しさは残らない。
残らないものを残そうとして、俺たちは写真を撮ったんだろうか。
たぶん、撮ってる瞬間は、残るかどうかなんて考えてなかった。「映え」るから撮った、ストーリーに上げたかったから撮った、友達と並んで撮りたかったから撮った。撮影理由は色々。残すための撮影、っていうのは、その中のごく一部。
残すための撮影が一部しかないなら、残らないのは、当然のことなのかもしれない。
購買で焼きそばパンを買って、教室に戻った。
クラスの誰かが「次の中間、ヤバくね」って言ってた。中間試験まで三週間。修学旅行ロスとか言ってる場合じゃない。みんな、もう次のことに集中し始めてる。
俺もスマホをポケットにしまって、リュックから数学の問題集を出した。修学旅行 LINE のアプリは、トーク一覧の中で少しずつ下に下がっていく。明日には、未読のメッセージが入ってる別のグループに押されて、画面の二番目になる。一週間後には五番目に。一ヶ月後には、スクロールしないと見つからない位置に。
下がっていくこと自体は、悪いことじゃない。新しいトークが上に来るから、古いトークが下に行く。それだけ。
ただ、押し出される速さが、思ったより速い。修学旅行の前は、毎日「楽しみすぎ」って書き込まれてたあのグループが、二週間で「最近誰も発言しない墓場」に変わる。早送りで墓地化する画面を、俺は時々スクロールして眺めてる。
家に帰る電車で、もう一度、修学旅行 LINE を開いてみた。
誰も発言してない。最後のメッセージから四日経ってる。
でもアルバムを開くと、写真は二百枚以上残ってる。誰も見てないけど、消されてもいない。誰かが「アルバム削除します」って宣言しない限り、ここにずっとある。
たぶん、卒業まで、誰もアルバムを削除しない。卒業したあとも、誰も削除しない。グループそのものを退出する人が出てきて、メンバーが少しずつ減っても、写真はそのまま残る。最後の一人が退出した瞬間に、グループは消える。写真も同時に消える。
でも、それが何年後かは、分からない。三年後かもしれないし、二十年後かもしれない。
三年後の俺は、まだ大学生か就活中。たまに開けば、ああこんな旅行あったな、って一瞬だけ思い出すかもしれない。
二十年後の俺は、もうこの LINE グループの存在を覚えてない。でも、もし母さんが俺に「修学旅行どこ行ったの?」って聞いたみたいに、俺の子どもが俺に同じ質問をしたら、俺は何かを答えるんだろう。
答える内容は、たぶん「台湾」と「夜市のマンゴーかき氷」と「臭豆腐」と、あと一つか二つの細かいエピソード。それで終わる。
二百枚の写真と、二週間のグループ LINE の盛り上がりと、皆と歌った夜市の屋台の前の合唱と、ホテルの部屋でやったトランプと、それ全部が、二十年後には三つか四つのエピソードに圧縮される。
圧縮の比率を計算したら、たぶん、すごい数字になる。
でも、それでいいのかもしれない。
母さんが新婚旅行の話をしたとき、覚えてたのは「マンゴーかき氷」一個だけだった。父さんは何も覚えてない。それでも、母さんは父さんとあの時一緒に行ったって、ちゃんと覚えてた。
覚えてるのは、行った事実と、たった一つの食べ物の名前。それだけで、二十年後の今も、母さんは台湾という国名と、自分の人生の一場面をつなげられる。
圧縮されても、繋がっていれば、それでいい。
そういうことなんだろうな、と俺は思った。電車が次の駅に着いた。
家に帰って、リビングの戸棚の前にしゃがんでみた。
母さんは外出中。父さんは仕事。俺一人。
戸棚の下を開けると、確かに紙のアルバムが何冊か積んであった。茶色い革風の表紙、緑の布表紙、年代別に背に「2003」「2008」「2014」みたいに書いてある。
2005年あたりの一冊を引っ張り出した。重い。見開いた。
父さんと母さん、若い、二十代後半の二人が、台湾の夜市らしき場所で、肩を寄せて写ってた。母さんがマンゴーかき氷を持ってる。父さんは少し恥ずかしそうに笑ってる。
俺、その写真を、長く見てた。
知らない場所、知らない時代、知らない父さん、知らない母さん。でも、俺が二週間前に立ってた夜市と、似てるところと、違うところがあった。
同じ場所に、二十年の時間差で、二組の人間が立ってた。母さんと父さん、そして俺と友達たち。
たぶん、二十年後に俺と俺の家族が同じ夜市に立ったら、似てるところと違うところがまた発生する。それを誰かが写真に撮って、紙か LINE か、どちらかに残す。
残し方は時代ごとに変わる。立ってる場所は、同じだったり、違ったりする。
アルバムを戻して、戸棚を閉めた。母さんに「見たよ」って言うかどうか、まだ決めてない。
言わなくてもいい気がする。
言わないことで残るものも、たぶん、ある。