同僚に、メッセージを送った
訳せないことば #5 Saudade(ポルトガル語) 第二稿

ササキハルカ(旅行プランナー)

リスボン最終日、私はホテルのチェックアウトを終えて、空港のチェックインカウンター近くのベンチに座っていた。お客様ご家族と、定刻より一時間早く着いてしまっていて、手持ちぶさたで、スマートフォンを開いた。前夜のファドハウスで、サウダージという語が何度も出てきたのが、なんとなく頭に残っていた。

前夜の、よく分からないまま

ファドハウスは、アルファマ地区の細い道の奥にあった。歌い手の女性が、低い声で「サウダージ」を繰り返した。客席は静かで、でも空気の濃度がすこしずつ濃くなった。私はポルトガル語の歌詞を半分も追えなくて、ただ、その語の重さだけが空間に降りてきていることを、椅子の背もたれごしに感じていた。途中で、私は少し眠くなって、まばたきを長めにしていた時間もあった。

ファドのあと、お客様はホテルに戻ってすぐ寝た。私は部屋に戻ってから、saudade を辞書で引きかけて、画面を閉じた。意味だけ分かっても、あの低い声の重さは、たぶん残らない、と思った。残らないまま朝になり、いま、空港にいる。

空港のベンチで

そういう一晩のあとで、空港のベンチで、私は会社のチャットを開いた。ブラジル出身の同僚に、メッセージを送った。「saudade って、家族のあいだでもよく使いますか」。三十秒で、彼から返信が来た。「うん、使いますよ。子どもが学校から帰って来なくて遅いとき、母親が『saudade だった』って言うぐらい、ふつうの言葉です」。

三秒置いて、もう一通来た。「でも、日本語の『会いたかった』とは、ちょっと違うかな。なんていうか、戻ってこないかも、って思いながら、会いたいって感じ。あんまりうまく説明できないんですけど」。彼は最後を、そう締めた。「うまく説明できない」と書いてくれたのが、私には、なにかありがたかった。

戻ってこないかも、って思いながら、会いたい。同僚は、それをうまく説明できない、と書いた。

日本語にあるもの、ないもの

同僚のメッセージのあとで、私はベンチで、日本語の語をいくつか書き出した。会いたい、寂しい、懐かしい、心残り、未練、郷愁。それぞれが、saudade の一部分を、それなりに掬っているように見えた。

「会いたい」は、相手がまだ戻ってくる前提で使う。「寂しい」は、不在の感じ、だが愛おしさは薄い。「懐かしい」は、過去の方向で、現在進行のニュアンスがない。「心残り」「未練」は、もう終わったことへの感情で、いま離れている、進行形の不安は含まない。「郷愁」は場所への思いに偏り、人への思いが薄い。

同僚が書いてくれた「戻ってこないかも、って思いながら、会いたい」を、そのまま日本語の単語に圧縮することは、できない。圧縮しようとすると、上の六つのどれかに寄る。寄ったぶん、何かが落ちる。

では落ちたものをどうするか、と言うと、たぶん、落ちたまま、書きとめるしかない。同僚の「うまく説明できないんですけど」という一文は、その「落ちたまま」の正直な記録だった。彼にとっても、saudade は完全に説明できる言葉ではない。当事者でも、説明し切れない。

プランナーのメモに、書き加えること

飛行機が動き出すまでに、まだ少し時間があった。私はメモアプリを開いて、リスボン手配の業務メモに、一行だけ書き加えた。「ファドの夜のあと、saudade のことを現地ガイドにも一言聞いてみてください、と案内文に追記」。聞いて返ってくる答えは、ガイドによって違う。違うことが、お客様の発見になる。

これだけだ。シリーズ五回ぶん歩いてきた末に、私の業務メモに加わったのは、その一行だった。一行のために五回ぶん書いた、と思うと、なんだか頼りない。頼りないのだが、その頼りなさは、訳せないことばを扱うときの、たぶん適切な大きさに近い。一語につき、業務メモが一行増える。それぐらいで、ちょうどいい。

同僚への、返信

飛行機の搭乗が始まる前に、私は同僚にもう一通だけ送った。「ありがとうございました。リスボンから帰る前に聞けてよかったです」。彼から返ってきたのは、たった一語だけだった。「Saudades!」。その一語の最後に、感嘆符がついていた。

その一語を、私はしばらく画面のうえで眺めた。意味は、たぶん、「(早く帰ってきてね、)会いたいです」みたいなことだろう。彼が私に向けて使った saudade は、ファドの夜の重い saudade ではなく、家族のSMSの軽いほうだった。同じ語が、同じ画面のうえで、別の温度で使えるということが、文字数の少なさのなかに、入っていた。

搭乗のアナウンスが流れた。私はスマートフォンをポケットに入れて、ゲートに向かった。リスボンを離れた。日本語にも、ポルトガル語にも、その瞬間を完全には掬えない語しかなかった。掬えないことを、同僚は「うまく説明できない」と書いてくれていた。私は、それでよかったのだと思う。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。