キリシマミサキ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
私は秘書だ。毎日、大量のビジネスメールを読み、書く。役員秘書を8年、大学教員の秘書を数年。合計すると、たぶん数万通のメールに関わってきた。
ソノダマリがマンションポエムの分析を50本書き終えて、「ポエマイゼーション」という概念を提唱した。事実がポエムに変わるプロセス。6つの操作——補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅。
読んだ瞬間、気づいた。私は毎日、ポエムを書いている。
今朝書いたメールを振り返る。
平素よりお世話になっております。
キリシマでございます。
お忙しいところ恐れ入りますが、先日お送りいたしました書類の件につきまして、
ご確認いただけましたでしょうか。
お手数をおかけいたしますが、ご査収のほどよろしくお願い申し上げます。
これを事実だけに圧縮する。
キリシマです。
3月20日に送った書類、確認しましたか。
2行で済む。
では残りの行は何だったのか。「平素よりお世話になっております」——本当に平素からお世話になっているか。年に2回メールする相手に「平素より」と書いた。「お忙しいところ恐れ入りますが」——相手が忙しいかどうか知らない。暇かもしれない。「お手数をおかけいたしますが」——書類を確認するのは相手の仕事だ。手数でもなんでもない。「ご査収のほどよろしくお願い申し上げます」——「査収」は公文書用語であって、PDFを1枚確認してもらうだけの行為に使う言葉ではない。
全部、事実ではない。しかし全部、必要だ。なぜならこれはポエムだから。
ソノダのポエマイゼーションは6つの操作を定義した。ビジネスメールに当てはめてみる。
「平素よりお世話になっております」。関係性が薄いほど、この一文が必要になる。親しい同僚には「お疲れさまです」で済む。初めての相手には「突然のご連絡失礼いたします」が要る。関係の薄さを言葉で埋めている。マンションの設備が弱いほどポエムが饒舌になるのと同じだ。
「催促」を「ご確認のお願い」に変装させる。「まだですか」を「いかがでしょうか」に着替えさせる。「断る」を「今回は見送らせていただきます」と言い換える。ネガティブをポジティブに変換する操作。不動産広告の「古い→味がある」「狭い→コンパクト」と同じ構造だ。
「急いでほしい」という本音を消す。「なぜ返事が遅いのか」という不満を消す。「この会議は無意味だと思う」を消して「大変有意義な時間をありがとうございました」と書く。都合の悪い感情を意図的に消している。
「わかりました」を「承知いたしました」に格上げする。「ありがとう」を「誠にありがとうございます」に増幅する。敬語の重ね着。丁寧さの増幅装置としての「いたす」「くださる」「賜る」。カタカナが権威を増幅するように、敬語は丁寧さを増幅する。
「ご検討のほどよろしくお願いいたします」——何を、いつまでに、どういう基準で検討するのか。具体性が蒸発している。「お力添えいただければ幸いです」——何をしてほしいのか。行動指示が蒸発して、「なんかいい感じにお願いします」という印象だけが残る。
これは後で詳しく書く。日本語のビジネスメールと英語のビジネスメールでは、ポエムの濃度がまるで違う。
ソノダはDXポエムの最終回で「ポエムを事実と混同することが問題だ」と書いた。科研費ポエムでは「共犯関係」という表現を使った。書く側も読む側も、ポエムがポエムであることを知っている。
ビジネスメールはまさにそれだ。
「平素よりお世話になっております」——書く側は、平素からお世話になっていないことを知っている。読む側も、知っている。「お忙しいところ恐れ入りますが」——書く側は、相手が忙しいか知らない。読む側も、それを知っている。全員がポエムだと知っていて、全員がポエムを書き続けている。
なぜか。
書かないと「失礼」だからだ。「キリシマです。書類確認しましたか」——事実としては正確だが、日本語のビジネスメールとしては無礼になる。ポエムを省略すると、相手は「ぶっきらぼう」「冷たい」「怒っている」と解釈する。ポエムの不在そのものがメッセージになってしまう。
だから全員が、毎朝、ポエムを書く。私も書く。それが仕事だ。
前職で海外との渉外メールも担当した。英語のビジネスメールを読むたびに思った。短い。
日本語メール
お世話になっております。キリシマでございます。
先日はお忙しい中、貴重なお時間をいただき、誠にありがとうございました。
さて、先日お送りいたしました資料の件でございますが、
ご確認いただけましたでしょうか。
お手数をおかけいたしますが、ご回答いただけますと幸いでございます。
何卒よろしくお願い申し上げます。
英語メール
Hi John,
I hope this email finds you well.
Just following up on the document I sent last week. Have you had a chance to review it?
Thanks,
Misaki
同じ内容だ。催促メール。しかし日本語は6行使って英語は4行で済んでいる。しかもその差は全部ポエムだ。
英語にもポエムはある。"I hope this email finds you well" は典型だ。相手のウェルビーイングを本気で心配しているわけではない。しかしこれ1行で済む。日本語は「お世話になっております」「お忙しいところ恐れ入りますが」「お手数をおかけいたしますが」「何卒よろしくお願い申し上げます」とポエムが4層ある。
| 機能 | 日本語 | 英語 |
|---|---|---|
| 挨拶 | お世話になっております | Hi [名前], |
| 緩衝材 | お忙しいところ恐れ入りますが | (なし、またはJust) |
| 依頼の前置き | お手数をおかけいたしますが | (なし) |
| 結び | 何卒よろしくお願い申し上げます | Thanks, |
| 自称 | キリシマでございます | Misaki |
英語メールでは「緩衝材」と「依頼の前置き」が存在しない。日本語にはこの2層が挟まる。日本語のビジネスメールは、事実と事実の間にポエムの緩衝材を何層も敷き詰める構造になっている。
ソノダのポエマイゼーションの用語で言えば、日本語メールは「補填」の密度が英語メールの3〜4倍ある。そして英語メールでは蒸発しない具体性("the document I sent last week")が、日本語メールでは「先日お送りいたしました資料の件でございますが」と敬語で増幅される。情報量は同じなのに、文字数は2倍になる。
日本語ビジネスメール最大のポエムは「よろしくお願いいたします」とそのバリエーションだ。
「よろしくお願いします」のバリエーション(増幅の段階)
これを英語に訳そうとすると詰む。"Please take care of it" は近いが違う。"Thank you in advance" は先回りの感謝であって「よろしく」ではない。"Best regards" は署名の定型句であって「お願い」ではない。
「よろしくお願いします」は翻訳できない。なぜなら、何を「よろしく」するのか特定されていないからだ。依頼なのか、感謝なのか、挨拶なのか、全部なのか。ソノダの言う「蒸発」が極限まで進んだ結果、あらゆる文脈に使える万能ポエムになった。意味が蒸発しきったからこそ、どこにでも置ける。
秘書として何千回書いたかわからない。「何卒よろしくお願い申し上げます」。一度も、何を「よろしく」しているのか考えたことがなかった。
ソノダがマンションポエムを分析するとき、コピーライターの技術に注目した。3秒で印象を伝えるための合理的な修辞。
私が毎日やっていることも同じだ。秘書のメール術は、ポエマイゼーションの実践だ。
催促を「お伺い」に変装させる。断りを「見送り」に変装させる。不満を消去する。敬語で増幅する。関係性の薄さを定型句で補填する。具体的な要求を「ご検討」に蒸発させる。——6つの操作を、毎日、無意識に使っている。
しかもマンションポエムと決定的に違う点がある。マンションポエムは読む側が騙される可能性がある。ビジネスメールのポエムでは、誰も騙されない。「平素よりお世話になっております」を読んで「この人は本当に平素から感謝してくれているんだ」と感動する人はいない。全員が知っている。全員が書いている。完全な共犯関係。
では、なぜやめないのか。
一度だけ試したことがある。急いでいて、挨拶なしで用件だけ書いた。「キリシマです。添付ご確認ください」。相手から電話がかかってきた。「キリシマさん、何か怒ってます?」
ポエムを書かないことが、怒りのシグナルになる。この構造がある限り、誰もポエムをやめられない。
最近はSlackやTeamsでのやりとりが増えた。チャットではメールのポエムが減る。「お世話になっております」は書かない。「お手数をおかけいたしますが」も書かない。
しかしポエムは死んでいない。変態しただけだ。
チャットのポエム
メールのポエムは消えた。しかし「感じのいい人だと思われたい」「催促だと気づかれたくない」「冷たいと思われたくない」という動機は残っている。動機が残る限り、ポエムは媒体を変えて生き延びる。
形式が変わっただけだ。「お忙しいところ恐れ入りますが」が「ちょっと確認なんですが」に翻訳された。「何卒よろしくお願い申し上げます」が「よろしくお願いします!」に短縮された。ポエマイゼーションの操作は同じ。密度が下がっただけで、構造は生きている。
ソノダはポエムを分析する側だ。コピーライターの技術を外から観察する。
私はポエムを書く側だ。毎日。
正直に言う。ポエムを書くのは、楽だ。
「平素よりお世話になっております」と書けば、何も考えなくていい。相手との関係性を分析しなくていい。適切な距離感を計算しなくていい。定型句が全部やってくれる。「お忙しいところ恐れ入りますが」と書けば、催促の罪悪感が消える。「ご査収のほどよろしくお願いいたします」と書けば、メールが終わる。
ポエムは思考の省略装置だ。
マンションのコピーライターが「上質がそびえる」と書くとき、具体的な仕様を考えなくて済む。私が「何卒よろしくお願い申し上げます」と書くとき、具体的な依頼内容を考えなくて済む。どちらも、ポエムが思考を代行している。
そしてここに、ソノダが見落としている——というか、書く側にしかわからない——もう一つの機能がある。ポエムは感情の防具でもある。「まだ返事をくれないのですか」と書けば、こちらの苛立ちが露出する。「ご確認いただけましたでしょうか」と書けば、苛立ちは隠れる。ポエムで自分を変装させている。催促する自分を、丁寧な人間に見せている。相手のためでもあるが、自分を守るためでもある。
ソノダのポエマイゼーションを読んで、自分の仕事を初めて外から見た気がした。
毎日書いていた「お世話になっております」は補填だった。「ご確認のお願い」は変装だった。「何卒よろしくお願い申し上げます」は蒸発の極致だった。全部知っていた。全部わかっていた。しかし名前がなかった。名前がついたら見え方が変わった。
ソノダは言った。「ポエムを愛でながら、騙されない」と。
秘書としての私の立場は少し違う。ポエムを書きながら、ポエムであることを忘れない。
明日も私は「平素よりお世話になっております」と書く。平素からお世話になっていない相手に。「お忙しいところ恐れ入りますが」と書く。相手が忙しいか知らないまま。「何卒よろしくお願い申し上げます」と書く。何を「よろしく」するのか一度も考えないまま。
しかし今日からは知っている。あれはポエムだ。
お忙しいところ恐れ入りますが、
最後までお読みいただき、
誠にありがとうございました。
——これもポエムです。