ジュン、高校二年、二組。ハルの部屋の前で立ち止まった夜から、三日後の金曜の夜。母から、ハルの悩みの中身を、初めて、聞いた。
金曜の夜、母が、部屋に、入ってきた。
「ジュン、ちょっと、いい?」
「うん」
「ハルね、サッカー部で、ポジションのこと、悩んでるみたい」
「ポジション」
「三年生が、来月、引退するでしょ。それで、新しいフォーメーションで、ハルがどこをやるか、監督に聞かれて、決められないって」
「FWか、MFか、ってこと?」
「うん。ハルは、どっちも好きで、どっちもやりたくて、決められない、って」
「それで、食欲が、ないのか」
「たぶん、それ」
母は、ベッドの端に、座った。
「ハルに、直接、何か、言うつもりは、ないんだけど」と、母は、続けた。「ジュンは、データとか、分析とか、好きでしょ」
「うん」
「ハルのこと、データで、見てあげられないかな。アドバイスしろ、ってことじゃ、ないんだけど」
「データで、見る」
「うん」
母が、部屋を、出ていったあと、机の上に、白紙のノートを、開いた。父にもらった、まだ、何も、書いていない、ノート。先週、「同期しない、二人」と、最初の一行を、書いた、あのノートだった。
新しいページを、開いた。
ハルのデータを、書き出した。
身長:167センチ(中2、平均より高め)
五十メートル走:6.8秒(学年トップクラス)
利き足:右
左足の精度:高い(ハル本人が、左足の練習を、長くしている)
スタミナ:中の上(一試合フル出場、可能)
体格:細め、当たりに強くない
得意:パス、視野の広さ、判断の速さ
苦手:競り合い、シュートの決定力
これは、ハルの試合を、過去三年、何試合か、観に行って、覚えている範囲のデータだった。スマホに、観戦メモを、残してあった。
次に、サッカー部の、最近の試合スコアを、調べた。学校の部活ブログに、過去二年分の、試合結果と、得点者と、ポジション別の、出場時間が、書かれていた。
ノートに、書き出した。
過去二年の試合で、サッカー部は、二十八試合、戦っていた。勝ち十二、引き分け六、負け十。総得点四十二、総失点四十五。
失点が、得点を、上回っていた。ということは、守備の弱さが、勝率を、下げていた。
ポジション別に、選手の出場時間と、貢献度を、整理した。
FW(フォワード):得点者中心。今年の二年生で、FW候補は、三人いた。タカハシ(背が高い、シュートが強い)、サワダ(足が速い、突破が得意)、それと、ハル。三人とも、似た特性ではない。FWの席は、二つくらい。一人は、レギュラー外になる可能性。
MF(ミッドフィルダー):パスと判断。ハルの、視野の広さと、左足の精度が、活きる。けれど、MFには、ナカガワ(三年生に近い実力)がいて、彼が、来年、中心になる。ハルは、MFでも、補助役。
サイドバック(守備寄りのMF):守備と、攻撃の起点。守備力が必要だけれど、当たりに強くなくても、判断の速さと、パスの精度で、補える。今年の二年生で、サイドバックの候補は、ヒラタ一人。けれど、ヒラタは、足が遅い。
分析の、結論:
ハルは、サイドバックで、最大の貢献度を、生む。
理由:チームの、守備の弱さが、勝率を下げている。サイドバックは、いま、人が薄い。ハルの、足の速さ(学年トップクラス)と、左足の精度(左サイドの守備に有利)と、判断の速さが、サイドバックに、最適化される。FWやMFでは、競合が多く、補助役で終わる可能性が高い。
サイドバックは、目立たない。けれど、チームの、勝率を、最も上げる。
ハル本人の、出場時間も、フル出場に近づく可能性が高い。FWでは、補助役で、後半交代の確率が高い。
ノートに、これらを、整理した。表とグラフを、書いた。書いていると、二時間が、過ぎていた。
月曜の朝、いつもより、十分早く、起きた。ハルは、もう、朝食を、食べていた。母が、台所に、いた。
「ハル、ちょっと」と、言った。
「ん?」
ノートを、ハルの前に、置いた。
「これ、何?」
「お前の、ポジションの、分析」
ハルは、しばらく、こちらの顔を、見ていた。
「ジュン、なんで、こんな…」
「読んでみて」
ハルは、ノートを、開いた。最初のページから、ゆっくり、読み始めた。
表とグラフを、見ていた。ときどき、「あ」と、小さく、声を、漏らした。
最後のページで、「サイドバックで、最大の貢献度」の結論を、読んだ。
「サイドバック」
「うん」
「考えたこと、なかった」
「FWは、競合が多い。MFも、ナカガワがいる。サイドバックは、お前のスキルセットに、いちばん、適合する」
「目立たない、ポジションだよ」
「目立つかどうかと、貢献度は、別」
ハルは、もう一度、ノートを、見た。
「データ、すごいな」
「データは、嘘をつかない」
「ジュン、いつ、これ、書いたの」
「金曜の夜から、土日」
「俺のために?」
しばらく、答えなかった。それから、「うん」と、答えた。
ハルは、ノートを、閉じた。
「監督に、相談してみる」
「うん」
「ジュン、ありがとう」
その「ありがとう」は、いつもの「ありがとう」とは、違っていた。違っていた、と、感じた。感じた、というのが、たぶん、正確だった。
数週間後、ハルは、サイドバックで、レギュラーに、なっていた。試合では、左サイドで、何度か、決定的なパスを、出していた。失点も、減っていた。
夕食の食卓で、ハルは、ハンバーグを、二個、食べていた。
母が、こちらを、ちらっと、見た。母の目が、何か、言いたそうだった。
母は、何も、言わなかった。
ハルが、「ジュン、今度、試合、見に来ない?」と、言った。
「行く」と、答えた。
「サイドバックの、お前が、見たい」と、続けた。
ハルは、笑った。
夜、自分の部屋で、机に、向かった。ノートを、開いた。「同期しない、二人」のページの、次のページに、もうひとつ、書いた。
「分析は、愛だ」
書いてみて、少し、おかしくなった。論理的に、おかしいと、いう意味ではなくて、自分の口から、こういう文が、出ること自体が、おかしかった。
けれど、書き直さなかった。書いたまま、ノートを、閉じた。
合理性は、感情の代替では、なかった。今夜、それに、気づいていた。
ハルが、悩んでいる、と、母から、聞いた夜から、ハルのために、データを、集めて、整理して、結論を、出した。それが、自分にとって、いちばん、自然な、関わり方だった。手紙を書くことや、抱きしめることや、肩を叩くことは、できない。けれど、ノートに、表を書いて、結論を、出すことは、できた。
これは、感情の代替では、なかった。これは、自分の、感情の、形だった。
形が、人によって、違う、ということを、最近、覚え始めていた。違う形を持つ誰かが、たぶん、どこかに、いる。違うけれど、どちらも、感情の、形では、ある、のかもしれない。
のかもしれない、で、止まる。
止まるのが、いまの、状態だった。
→ 次話:最適解(防災訓練の経路最適化、ジュンのトロッコ問題シリーズ #5)
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← 関連:おばあちゃんに、聞こう(同じ三週間、別のクラスの一組のアヤ。アヤは「本人に聞こう」と父に促した、ジュンは「データを見せる」ことでハルに自分が見えていなかった解を提示した)
← 関連:トロッコ問題シリーズの種明かし
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【ジュンのトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第4話。ジュンの合理性が、初めて、家族を、救う。「データは、嘘をつかない」「分析は、愛だ」——合理性は、感情の代替ではなく、感情の別の形であった、というジュンの発見。次話は最終話、二組のジュンが、別のクラスの一組のアヤと、初めて、出会う。