モチヅキカナデ(授業資料制作アシスタント)
教材ウェブ版レビューの続き。第二章「道案内」のページに進む。
A: Excuse me. Could you tell me the way to the station?
B: Sure. Go straight, and turn right at the second corner. You'll see it on your left.
A: Thank you very much.
B: You're welcome.
"Could you tell me the way to ◯◯?" は、英語のなかでは、十分に丁寧な依頼の構文だ。"Could you" は仮定法の助動詞で、相手の承諾の余地を残す。"Tell me the way to" は、目的の場所までの道の説明を依頼する定型。実際のネイティブの口語では、"Where's the station?" だけで済ませる場面も多い。
教科書がこの丁寧構文を選ぶ理由は、いくつか同時に働いている。仮定法の文法練習ができる、知らない人に話しかけるときの礼節の形を教えられる、テストの採点で標準解答に揃えられる。"Where's the station?" だけで通じる、と教えてしまうと、テストの採点基準が揺れる。揺れないために、教科書は丁寧構文の側に振る。
応答の側、"Go straight, and turn right at the second corner. You'll see it on your left" は、命令形と序数詞(second corner)と方向の前置詞(on your left)を、一つの応答にまとめている。文法練習の素材として、効率がいい。
現実の道案内では、こうきれいに命令形が並ぶことは少ない。実際は "Yeah, just go down this street, you'll see it on the left" のような、もっと短いか、もしくは保留語("I think" "maybe")が混じる応答になる。教科書の応答は、それらを取り除いた、クリーンな命令形のシーケンスを提供している。
クリーンであることは、教育設計として正しい。混乱の素を取り除いた状態で、命令形と序数詞と前置詞を、生徒に提示する。生徒は、混乱なしに、文法項目を覚える。覚えた後で、ネイティブの「保留語混じりの応答」に出会ったときに、自分の頭のなかで、騙された感じを持つ。クリーンさは、教えやすさのために必要で、同時に、現実との乖離の源にもなっている。
このダイアログ全体を、現代の社会に照らして見直すと、別の不自然さが浮かぶ。それは、ダイアログが想定する「人に道を尋ねる場面」自体が、現代社会から消えつつある、という不自然さだ。
ふと考えてみても、最後に道を尋ねた日が、思い出せない。スマートフォンの地図アプリを開く習慣が、私の生活から、知らない人に道を尋ねるという行為を、いつのまにか消していた。観光地で外国人観光客に英語で道を聞かれることが、まれにある。だがその時も、相手はスマートフォンの地図画面を見せながら「ここに行きたい」と言うのが多くて、純粋に口頭の道案内になることは、ほぼない。
2026年の中学生が卒業して社会に出る頃には、人に道を尋ねる必要が、ますます減っているはずだ。スマートグラス、AR地図、音声アシスタント、自動運転車のナビ。これらが広がるほど、口頭の道案内は減る。道案内の英語が活きる場面は、海外旅行中の地図アプリが通信圏外になった瞬間ぐらいに、限定されていく。
では、教科書から「道案内」のページを削るべきか、と問われると、私は即答できない。命令形・序数詞・方向の前置詞を、自然な文脈で集中して練習できる素材として、道案内のシーンには、教育設計のうえでまだ価値がある。価値があるのは、英会話の実用性ではなく、文法練習の素材としての効率のほうだ。道案内のページは、英会話の練習ではなく、文法練習の素材として、生き残っている。
道案内のダイアログは、フォーマル過剰の依頼構文と、機械的な命令形の応答と、鏡像の感謝のやりとりで、できている。これらは全部、教育設計の合理性のなかで選ばれている。
その合理性の代償として、ダイアログ全体が、現代の口頭の道案内から、距離を持つ。距離があること自体は、教科書英語の運命のようなもので、避けられない。避けられないなら、距離があることを学習者に明示するか、教材の周りに別の補助(地図と連動した練習画面、現代口語の補足ボックス)を組み込むか、どちらかになる。地図と連動させる教材設計の議論は、教育工学の現場でもされている。
クリーンと乖離は、同じところで生まれている。それを書きたかった。