モチヅキカナデ(授業資料制作アシスタント)
教材ウェブ版レビュー、第三章「電話」のページ。
A: Hello. This is Tom. May I speak to Mary, please?
B: Just a moment, please. ……Sorry, she is out now.
A: I see. Could you take a message?
B: Sure.
このダイアログを成立させるには、ある特定の通信状況が前提になる。それは、固定電話に Mary 以外の家族が出て、Mary の在不在を判断し、不在のときには伝言を取り次ぐ、という三段構造だ。
2026年の中学生が、家庭でこの状況を体験する頻度は、どれくらいだろうか。固定電話自体を持たない家庭が増えている。固定電話があっても、Mary に直接かけるならスマートフォンに連絡するのが普通で、固定電話に Mary を呼びに行くという経路は、たぶん消えつつある。さらに、Mary に連絡したい場合の現代的な選択肢は、SMS、LINE、WhatsApp、メール、ビデオ通話、と、口頭の電話自体ではなく、テキスト主体の通信に流れている。
「電話で取り次いでもらう」という社会的な行為は、このダイアログの前提として残っているが、現代の中学生の生活実感からは、急速に距離を持ちはじめている。
"May I speak to ◯◯, please?" は、英語のなかで、丁寧な依頼の構文として、いまでも生きている。ビジネスの場面、特にホテルやサービス業の電話受付では、現代のネイティブも使う。"Could I speak to" や "Can I speak to" のバリエーションもあり、地域・文脈・相手との関係で、選ばれる。
ただし、カジュアルな場面では、現代の英語ネイティブは、もっと短い言い方を使う。"Is Mary there?" や "Can I talk to Mary?" など。さらに、そもそも電話で取り次ぎを依頼する場面が、家族間以外では激減している。Mary 個人にメッセージを送るほうが、本人に直接届くし、本人のスケジュールを尊重する形になる。
"May I speak to ◯◯" の形は、ビジネス英語としては生きている。教科書の文脈では、ビジネス英語と一般会話のあいだのどこかに、置かれている。学習者が将来ビジネスでこの形を使う場面は、一定数ある。一般の友人関係でこの形を使うと、現代では少しフォーマル過剰に響く。
応答の側、"Just a moment, please" / "Sorry, she is out now" / "Could you take a message?" / "Sure" の四回のやりとりは、第一回・第二回でも見た「ペアワーク用の鏡像構造」を、四段に拡張したものになっている。AB AB AB AB の四ターン交代で、生徒のペアの一方がAを、もう一方がBを担当する。役割を交代しても同じ練習ができる。
"Just a moment, please" は、現代の電話受付でも、いまだに使われる。"One moment, please" や "Hold on, please" のバリエーションがある。"She is out now" は、「外出中です」を直訳したような構文で、英語の電話応対としては正しいが、やや教科書的。実際には "She's not here right now" や "She stepped out" などの言い方も多い。"Could you take a message?" は、ビジネス電話の定型としては、いまも使われる。
「電話で取り次ぐ」という行為のうち、教科書のダイアログは、ビジネスの形式と、家庭の固定電話の形式を、混ぜている。混ざっているから、どちらの場面にも、ぴったりは当てはまらない。
現代の中学生・高校生・社会人が、英語で他人と連絡を取る場面の大半は、すでに、テキスト主体になっている。電子メール、Slack、Teams、LINE、WhatsApp、Discord。これらの場では、"May I speak to ◯◯" の構文は、ほぼ使われない。代わりに、"Hi Mary, can we chat about ◯◯?" や、"Mary, do you have a few minutes?" や、絵文字・GIF・画像を交えた短い文が、コミュニケーションの主流になっている。
テキスト主体の英語コミュニケーションには、独自の文法と修辞がある。短文化、省略("u" "ur" "lol" など)、句読点の意図的な省略・追加、絵文字の慣用、件名の強弱、返信の速度の社交的な意味。これらは、現代の英語学習者が、卒業後に最も頻繁に使う英語の場であるにもかかわらず、教科書ではほとんど扱われない。
扱われない理由は、いくつか考えられる。まず、テキスト主体のコミュニケーションは、変化が速くて、教科書の編集サイクル(数年単位)に乗らない。"u" や "ur" のような省略形は、世代によって受け取り方が違うので、教える基準を立てにくい。絵文字の使い方は、文化・地域・職場によって、ローカルルールがある。これらを教科書化しようとすると、教科書編集の現場での合意形成が、困難になる。
仮に、私が「電話」のページを、現代に近い形でウェブ化するとしたら、どうするか。固定電話の取次を、メッセージアプリでの非同期コミュニケーションに置き換えるのが、ひとつの方向だ。
たとえば、Mary に LINE を送って、Mary が「いま会議中なのでまた後で」と返信し、こちらが「OK、夕方かけ直します」と返す、という三往復のテキストやりとりを、ダイアログとして書く。この形だと、現代の中学生の生活実感に近い。文法項目としても、現在進行形("I'm in a meeting")、未来表現("I'll get back to you later")、確認の依頼などを、自然な文脈で使える。
ただし、この置き換えには、教育設計上の課題がいくつかある。まず、テキスト主体のダイアログでは、口頭発話の練習にならない。発音・イントネーション・聞き取りといった、英語学習の重要な要素を、テキストでは練習できない。次に、絵文字や省略形を入れると、テストの採点基準が揺れる。さらに、"May I speak to" の仮定法を、別の場面でどう教えるか、という代替が必要になる。
これらの課題を、ウェブ教材の側で解決していく作業は、教育工学の現場で、続いている。私が直接関わっている案件はないが、業界の議論として、テキスト主体のコミュニケーションを教科書にどう組み込むか、という議論は、ここ数年のテーマのひとつだ。
「電話」のダイアログを、教科書から削るかどうか、という問いには、私は削らないほうがいい、と答える。"May I speak to ◯◯" の仮定法は、ビジネス英語として生きている。"Just a moment, please" や "Could you take a message?" は、いまでも電話応対の現場で使われる。これらの形を学べる場として、教科書のダイアログには、まだ価値がある。
同時に、ダイアログの周りに、テキスト主体の現代コミュニケーションのページを足していく作業は、必要だ。教科書の編集サイクルに合わせて、絵文字や省略形を慎重に選びつつ、現代の英語使用の実態に近づけていく。これは、教科書編集者と教育工学者と、現場の英語教師の、協働の作業になる。
道案内の回でも書いたが、教科書英語の不自然さは、教育設計の合理性の裏返しでもある。電話の回でも、固定電話の前提という時代の遅れは、ビジネス英語としての生命力と、ペアワーク練習の効率と、文法項目の網羅性の、三つの裏返しになっている。三つを生かしながら、新しい場面を足していく作業に、たぶん教材設計の未来がある。
——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。
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