誰も住んでいないポエム
——日本のマンションポエムはなぜ「行為者」を消すのか(with ハヤシアヤカ)

ソノダマリ(言語学的考察:ハヤシアヤカ)

前回、フジワラレンとの計量分析で思いがけない発見があった。日本のマンションポエムには能動的な行為者がいない。「上質がそびえる」「刻が流れる」「街と暮らす」——誰も何もしていない。物件が主語、自然現象が述語。住む人は透明になっている。

なぜか。この問いを、言語学に詳しい友人のハヤシアヤカにぶつけてみた。

まず現象を整理する

日本のポエムと他国のポエムを動詞で比べる

ポエムの例 動詞 行為者
日本 「上質がそびえる 自動詞(状態) 「上質」(抽象概念)
日本 「刻が流れる 自動詞(自然現象) 「刻」(時間)
日本 「杜に抱かれて 受身(自然に包まれる) 不在(杜が主体)
台湾 俯瞰山河城海帝景」 他動詞(見下ろす) あなた(住む人)
ドバイ "Acquire a trophy residence" 他動詞(取得する) you(買う人)
韓国 사는 멋을 아는 나이」 他動詞(住む/買う) あなた(年齢を重ねた人)

パターンは明確だ。日本のポエムの動詞は自動詞か受身形。主語は抽象概念か自然。他の国のポエムの動詞は他動詞。主語は「あなた」。

ハヤシアヤカの分析——日本語の構造が「消す」

主語省略は日本語の文法に組み込まれている

ハヤシに現象を見せたところ、即座に指摘があった。

「これ、マンションポエムに固有の問題じゃなくて、日本語そのものの構造ですよ」

日本語は主語省略言語(pro-drop language)だ。「行きます」だけで成立し、「私が」を言わなくていい。英語の "I go" は主語 "I" が必須だが、日本語は主語なしで文が完結する。

さらに日本語は受身形を好む。「杜に抱かれて」は受身だが、英語に直訳すれば "Embraced by the forest" になり、行為者(あなた)が省略されたままでも自然に読める。英語の "You are embraced by the forest" より、日本語の「杜に抱かれて」のほうがはるかに自然だ。

つまり日本のマンションポエムが行為者を消すのは、コピーライターの意図というよりも、日本語という言語が持つ構造的な傾向なのだ。

ハヤシ注:言語学では、日本語のような主語省略言語と英語のような主語必須言語の対比は、広告研究でも指摘されています。ただし、マンションポエムに限定してこの対比を国際比較した研究は、私の知る限りありません。

しかし文法だけでは説明できない

中国語も主語を省略できる。しかし——

ここで私は反論した。「でも、中国語も主語省略言語ですよね? 台湾のポエムは『俯瞰山河城海帝景』と主語なしで書いてるけど、動詞は『俯瞰する(見下ろす)』という能動的な他動詞です。主語は省略されてるけど、読者は自分が見下ろしていると理解する」

ハヤシは頷いた。「いい指摘です。文法だけじゃない。文化的な選好が加わっている」

日本語が主語を省略できるのは文法の問題。しかし日本のマンションポエムが行為者を省略したがるのは、文化の問題だ。

ハヤシの仮説はこうだ。日本の広告文化には「押しつけがましさの回避」という強い規範がある。「あなたがこの家に住む」と直接言うのは、日本の広告感覚では「売りつけている」感じがする。だから主語を消す。「杜に抱かれて」なら、誰が抱かれるかは読者が自由に想像できる。自分かもしれないし、架空の誰かかもしれない。行為者の不在は、読者に「夢を見る余白」を提供している

台湾とドバイはなぜ行為者を消さないか

「あなた」と言い切る文化

台湾の「給家人最好的禮物」#3、家族への最高の贈り物)には明確な行為者がいる——「あなた」が家族に贈り物をする。ドバイの "This is your trophy address" も「あなた」が所有する。

なぜ彼らは行為者を消さないのか。ハヤシの見方はこうだ。

台湾の不動産広告は家族のための購入#3)を前提にしている。「あなたが家族のためにこの家を買う」——行為者(あなた)を消してしまうと、この家族物語が成立しない。行為者は物語の主人公として必要なのだ。

ドバイの広告は投資としての所有#18)を売っている。"Acquire" "own" "invest" ——所有という行為には、所有者が必要だ。行為者を消したら、誰が所有するのかわからなくなる。

日本:夢を見る余白を売る → 行為者を消して、読者が自由に投影
台湾:家族の物語を売る → 行為者(あなた)が物語の主人公
ドバイ:所有の証を売る → 行為者(あなた)が所有者
韓国:ブランドへの帰属を売る → 行為者(あなた)が帰属する主体

何を売っているかが、行為者の有無を決める。日本が売っているのは「夢の余白」だから、行為者は邪魔なのだ。

第四の原理?——「消去」

補填・翻訳・蒸発、そして——

ここまで来て、ハヤシがこう言った。

「ソノダさん、第1シーズンの三原理——補填、翻訳、蒸発——に、もう一つ加えてもいいかもしれません。消去(erasure)です」

考えてみれば、消去は最初からあった。#1で「マンションを隠す」と書いた。#11で「共同生活が蒸発した」と書いた。#13でアポファシス(言わないことで言う)と名づけた。しかしそれらは個別の観察であり、一つの原理としてまとめていなかった。

消去の原理は、補填の原理の裏面だ。補填が「ないものを足す」なら、消去は「あるものを引く」。マンションポエムは、足し算と引き算の両方で世界を作っている。

補填(足す):歴史がない → 「悠久の刻」を足す
消去(引く):マンションがある → 「マンション」を引く。住む人がいる → 「あなた」を引く

まとめ——ポエムは足し算であり引き算である

フジワラが数えて発見し、ハヤシが言語学で掘り下げた「行為者不在」は、マンションポエムの分析に新しい次元を加えた。

日本のマンションポエムは、世界で最も多くのものを消去するポエムだ。マンションを消し、住む人を消し、隣人を消し、価格を消す。残るのは「杜」と「刻」と「上質」——純粋な状態の詩。そこには誰も住んでいない。

しかしだからこそ、読者は自分をそこに投影できる。誰も住んでいない部屋に、「あなた」が入り込む余白がある。消去は招待でもある

「誰も住んでいないポエム」は、実は「誰でも住めるポエム」なのだ。

——ソノダマリ

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参考文献
このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。言語学的考察はAIの解釈であり、専門家のレビューを経たものではありません。