ハヤシアヤカ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
私は論文まわりの仕事をしている。もう少し具体的に言えば、科研費の申請書を毎年何十本もチェックしている。研究計画の論理をたどり、用語の整合性を確認し、文字数制限と格闘する——そういう仕事だ。
ある日、友人のソノダマリのポエマイゼーション論を読んだ。マンションポエムから始まり、高校パンフ、SaaSまで51本。広告の言葉がポエムに変わるプロセスの分析。面白く読んだ。笑った。そして、背筋が凍った。
「これ、私が毎日チェックしている文章じゃないか」
科研費の申請書には「研究の学術的独自性及び創造性」という欄がある。ここに研究者は自分の研究の独自性を書く。何十本もチェックしてきた私の目には、こんな言葉が浮かぶ。
「本研究は〜に画期的な知見をもたらすものと期待される」
「申請者独自の〜手法により、〜のパラダイムを一新する」
「世界に先駆けて〜を解明し、〜の学術的空白を埋める」
「〜は国際的にも類を見ない、挑戦的な研究課題である」
「持続可能な社会の実現に資する、波及効果の高い研究である」
既視感があるだろうか。マンションポエムの「上質がそびえる」、高校パンフの「一人ひとりが輝く」、SaaS LPの「DXを加速する」。みんな同じ顔をしている。
全員が「画期的」なら、誰も画期的ではない。全員が「パラダイムを一新」するなら、パラダイムは毎年一新されていることになる。全員が「世界初」なら——まあ、世界は広い。
読み終えてすぐ、ソノダに連絡した。
「ソノダさん、科研費の申請書って読んだことある?」
「ないけど。なんで?」
「あなたのポエマイゼーション、そのまま適用できる。6つの操作、全部ある。しかも毎年数万件、国が公式にポエムを募集している」
ソノダはしばらく黙った。それから笑った。「書いて。あなたが書いて。私は科研費を読んだことがないけど、あなたは毎日読んでる。当事者が書くから面白いんだよ」
だから書く。ソノダの枠組みを借りて、私の日常を分析する。
ソノダのポエマイゼーションには6つの操作がある。補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅。科研費に順番に当ててみる。
高校パンフ#2で、偏差値が低い学校ほどポエムが饒舌になるという発見があった。SaaS LP#2で、小規模企業ほどバズワードが濃かった。科研費も同じだ。
本当に画期的な研究は「画期的」と書かなくてもわかる。具体的な数字、先行研究との差分、予備実験の結果——それだけで十分だ。「画期的な成果が期待される」と書くのは、具体的な数字で語れないからだ。設備が弱いから「上質」で埋める。進学実績がないから「輝く」で埋める。新規性が弱いから「画期的」で埋める。
補填テスト
申請書から「画期的」「独自の」「世界初の」「挑戦的な」を全部消してみよう。残った文章に具体的な内容があるか? あるなら、その申請書は本物だ。何も残らないなら——補填だ。
英語のgrant proposalは "We propose to develop..." "Our approach differs from X in that..." と書く。主語は "we" で、動詞は能動態だ。「私たちはこれをやる」。明快。
日本語の科研費申請書はこうなる。「〜が期待される」「〜が見込まれる」「〜が明らかにされる」。誰が期待しているのか。誰が見込んでいるのか。誰が明らかにするのか。主語が消えている。
ソノダはS2#4で「日本のマンションポエムは行為者を消す」と分析した。「上質がそびえる」——誰がそびえさせたのか。「暮らしが息づく」——誰の暮らしか。科研費も同じだ。「成果が期待される」——期待しているのは申請者本人なのに、受動態がそれを隠す。
科研費の申請書には「研究の社会的意義」を書く欄がある。ここに何を書くか。
「持続可能な社会の実現に資する」
「人類の知的資産の拡大に貢献する」
「次世代の〜分野を牽引する基盤となる」
SaaS LP#4で「アジャイル」の意味が蒸発する現象をソノダが分析した。"Agile"は反復型開発手法。「アジャイル」は「なんか速そう」。同じことが科研費で起きている。「持続可能」は具体的な環境指標。「持続可能な社会の実現に資する」は——なんか良さそう。具体的に何が持続可能なのかは蒸発している。
マンションのチラシに隣のビルは写らない(匂わせ暗号#1)。SaaSの導入事例に解約した企業は載らない(DXポエム#3)。そして科研費の申請書に、失敗する可能性は書かない。
先行研究の弱点は書くが、自分の研究の弱点は書かない。予備実験の成功は書くが、失敗した予備実験は書かない。リスク分析を求められても、「このリスクはこう回避する」と書いて、回避できない可能性は消去する。
科研費の審査基準には「研究遂行の実現可能性」がある。つまり制度として「本当にできるのか?」と問うている。しかし申請者が「できないかもしれません」と書くことは——ない。
「本研究課題は国際的にも未踏の領域であり——」。これは高校パンフ#2の「定員割れ」→「少人数の温かさ」と同じ構造だ。
変装辞典(科研費版)
| 申請書の表現 | 翻訳 |
| 「未踏の領域」 | 誰もやっていない(需要がないのかも) |
| 「学術的空白」 | 先行研究がない(理由があるのかも) |
| 「挑戦的な研究課題」 | 成功するかわからない |
| 「萌芽的研究」 | まだ何もできていない |
| 「学際的アプローチ」 | どの分野でも中途半端かも |
| 「予備的知見を得ている」 | データは少ないが一応ある |
念のため言うが、これらの表現が全部嘘だと言いたいのではない。本当に未踏で、本当に挑戦的で、本当に萌芽的な研究はある。問題は、そうでない研究も同じ言葉を使うことだ。ソノダが匂わせ暗号#6で書いたとおり、「同じ言葉が何百にもあったら、それは暗号」。
「パラダイムシフト」。「ブレイクスルー」。「イノベーション」。「フレームワーク」。
DXポエム#5でマークが指摘した。英語では "paradigm shift" は使い古された表現だ。"breakthrough" も日常語。しかしカタカナにした瞬間、学術的な重みが増す。「パラダイムシフト」は「枠組みの転換」より格好いい。内容は同じだが、カタカナの鎧を着せると権威が増幅する。
ソノダ:「『スケーラブルなソリューション』と『パラダイムシフト』は同じ筋肉で動いているんだね」
ここまではソノダの枠組みの適用にすぎない。6つの操作が科研費にも効く。当たり前だ。広告の言葉がポエムに変わるプロセスは、領域を問わない。
しかし科研費には、マンションでも高校パンフでもSaaSでもなかった、決定的に異なる構造がある。
審査する人が、自分もポエムを書いている。
マンションポエムは、コピーライターが書き、購入者が読む。書く側と読む側は別人だ。SaaS LPは、マーケティング部門が書き、決裁者が読む。高校パンフは、広報担当が作り、中学生が読む。
科研費は違う。審査員は自分の申請書でポエムを書いている。「画期的な成果が期待される」と書いた申請書を審査するのは、自分の申請書にも「画期的な成果が期待される」と書いた人だ。
全員が「画期的」という言葉が大袈裟だと知っている。全員が「パラダイムシフト」が大きすぎる言葉だと知っている。全員が「持続可能な社会の実現に資する」がほぼ定型句だと知っている。知っていて、書く。知っていて、読む。知っていて、評価する。
ソノダに言ったら、しばらく考えて、こう言った。
「S1#13でシミュラクルの話を書いた。オリジナルのないコピー。でも科研費は全員がオリジナルがないことを知っているシミュラクルだ。それは——もうシミュラクルとも呼べない。儀式だ」
儀式。そう、科研費のポエムは儀式なのだ。「画期的」と書くことは、研究の画期性を主張しているのではない。このゲームのルールを知っています、というシグナルを送っているのだ。
ソノダは51本のエッセイで「ポエムは悪ではない」と繰り返し書いた。広告には広告の仕事がある。3秒で印象を伝えるために、ポエムは合理的な手段だ(DXポエム#6)。
科研費のポエムも、合理的な理由で存在する。
第一に、文字数制限。限られたスペースに研究の全容を書くのは無理だ。だから圧縮する。圧縮の最も効率的な方法は、共有されたキーワードを使うことだ。「パラダイムシフト」は7文字で「この研究は既存の枠組みを根本から変える規模のものです」を伝える。——伝えたつもりになれる。
第二に、比較の必要性。審査員は何十本もの申請書を読む。分野も手法もバラバラな研究を比較しなければならない。そのとき「画期的」「独自の」「世界初の」は、異なる分野の研究を同じ尺度に載せるための装置として機能する。中身は違っても、言葉のレベルを揃えることで、比較可能になる——ように見える。
第三に、書かないと不利になる。これが最も厄介だ。あなたが正直に「本研究は既存手法の漸進的改良であり、ブレイクスルーとは言えないが、実用的な価値がある」と書いたとする。隣の申請書には「パラダイムを一新する画期的な成果」と書いてある。審査員はどちらを高く評価するか。
全員がポエムを書くから、書かない人が損をする。書かない人が損をするから、全員がポエムを書く。ナッシュ均衡だ。誰も単独では変えられない。
ソノダの51本に私の科研費を加えて、6つの領域で比較してみる。
| 操作 | マンション | 高校パンフ | SaaS LP | 科研費 |
|---|---|---|---|---|
| 補填 | 「上質」 | 「輝く」 | 「加速する」 | 「画期的」 |
| 消去 | 隣のビル | 退学率 | 解約企業 | 失敗の可能性 |
| 変装 | 「コンパクト」 | 「少人数」 | 「スタートアップ」 | 「未踏の領域」 |
| 蒸発 | 「暮らし」 | 「夢」 | 「DX」 | 「持続可能」 |
| 増幅 | 「プラウド」 | (弱い) | 「スケーラブル」 | 「パラダイム」 |
| 翻訳 | 「邸」 | (弱い) | 「アジャイル」 | 受動態化 |
驚くほど綺麗に並ぶ。6つの操作はすべて科研費にも存在する。しかも科研費に特有の「翻訳」がある——英語の能動態が日本語で受動態に変わり、主語が蒸発する。これは単なるカタカナ変換ではなく、文法レベルの翻訳だ。
私の仕事は申請書のチェックだ。ソノダは分析する人だが、私は直す人だ。だから実践的なことを書く。
Before:
「本研究は、申請者独自の〜手法により、〜のパラダイムを一新する画期的な成果をもたらすものと期待される。これにより、持続可能な社会の実現に資する波及効果の高い研究成果が得られると確信している。」(96文字)
After:
「本研究では、〜手法を〜に適用する。具体的には、(1) 〜の性能を現行比30%向上させる、(2) 処理時間を従来の1/5に短縮する、(3) 〜データセット上で精度95%以上を達成する、の3点を目標とする。」(96文字)
同じ96文字だ。Beforeには情報がゼロ。Afterには目標が3つある。
ポエムを消すと文字数が浮く。その文字数で具体的なことが書ける。「画期的な成果」の5文字を消して、「現行比30%向上」の8文字を入れる。「パラダイムを一新する」の9文字を消して、「処理時間を従来の1/5に短縮」の13文字を入れる。情報密度が段違いだ。
審査員は何十本も読む。何十回も「画期的」を読む。何十回も「パラダイム」を読む。そのなかに一本、具体的な数字だけで書かれた申請書がある。目立つ。読みやすい。そして——信用できる。
ソノダは51本かけて、他人のポエムを分析してきた。マンションの、高校の、SaaSの。他人のポエムは笑える。「上質がそびえる」は笑える。「DXを加速する」は笑える。「一人ひとりが輝く」は笑える。
しかし私が今日書いたのは、自分のポエムの話だ。正確には、私がチェックし、修正し、時には自分でも書いてきたポエムの話だ。「画期的」と書いたことがある。「パラダイムシフト」と書いたことがある。「期待される」と書いて、主語を消したことがある。
科研費の共犯関係は、全員が当事者であるがゆえに、誰も指摘しない。マンションポエムはコピーライターでなければ笑える。SaaSポエムはIT業界にいなければ笑える。しかし科研費ポエムは——研究者自身が笑うしかない。そして笑った瞬間、自分も共犯者だと気づく。
DXポエム#6でナカムラが言った。「全員が、どこかの分野では15歳なんだよ」。私はそれに一言加えたい。
「全員が、どこかの分野では15歳。
そして全員が、自分の分野ではポエムの共犯者」
ポエマイゼーションを知ることの本当の価値は、他人のポエムを笑えることではない。自分がポエムを書いていると気づけることだ。
気づいたからといって、明日から科研費のポエムがなくなるわけではない。ナッシュ均衡は個人の努力では壊せない。しかし、気づいている人が書く申請書と、気づいていない人が書く申請書は——少しだけ違う。「画期的」を消して、数字を入れる。「期待される」を消して、「私たちはこれをやる」と書く。その少しの差が、審査員の目には見える。
何十本もの「画期的」のなかに、一本だけ「30%向上」がある。それが、ポエマイゼーションに抵抗する、最も実践的な方法だ。