バナナ一本ぶんの時間
訳せないことば #2 Pisan zapra(マレー語)

ササキハルカ(旅行プランナー)

クアラルンプール国際空港、第二ターミナルの出発ロビー。私は同行のお客様三人といっしょに、名古屋行きのフライトの遅延案内をぼんやり眺めていた。元の出発時刻は十六時三十分、それが十七時十分になり、いま掲示板は十七時三十五分に書き換わったところだった。一時間と五分、増えた。

現地スタッフのバナナ

地上係員のフィルダウスさん(仮)が、私たちのもとに来て、もう一度すまなさそうに頭を下げた。私は出発前に日本のガイドブックで読んだ、マレー語の有名な「訳せないことば」を、つい口にしてしまった。「ピサン・ザプラ、というんですよね、バナナ一本ぶんの時間って」。会話の隙間を埋めるための、軽い一言のつもりだった。

フィルダウスさんは、いったん私の顔を見て、それから少し笑って、肩をすくめた。「ピサン・ザプラ? うーん、聞かないですね、最近は」。聞き返したが、彼の答えは変わらなかった。「あの、児童書か、教科書の話じゃないですか」。私は、よく分かっていない顔のまま、頷いた。日本のガイドブックでは「マレー人がよく使う表現」と紹介されていた。彼の口ぶりは、その紹介の前提を、やわらかく否定していた。

「訳せない」と言われていた言葉が、現地で流通していない、という事態がある。

ガイドブックの記述

遅延の隙間に、私は機内持ち込みのバッグから、付箋を貼ってあったページを開いた。マレー語学習者向けの、新書サイズのガイドブックだった。「Pisan zapra ピサン・ザプラ:直訳『バナナを食べるあいだ』。約二分。マレー人は時間を表現するのにこの語をよく用いる」。出典は記されていなかった。

私はバッグからもう一冊、空港の本屋で買った薄い英語の本(『翻訳できない世界のことば』に類する種類の本)を出した。同じ語が、似たような調子で紹介されていた。「the time it takes to eat a banana, used as a unit of time in Malay」。出典はやはり明記されていない。

フィルダウスさんは、私の手元の英語の本を見て、ああ、これね、という顔をした。「外国人向けの本ですね。マレー人のあいだでは、こんなふうに時間の単位として使うことは、ふだんはないですよ」。彼自身の世代では、と前置きして、彼は続けた。「学校の教科書の、慣用句の章には載っているかもしれません。でも、空港の同僚に『ピサン・ザプラだけ待って』なんて言ったら、変な顔をされます」。

日本語の似た表現を並べてみる

機内で、揺れない時間に、私は手帳に書いてみた。日本語に「行為のかかる時間」を単位として使う言い方が、どれくらいあるだろうか。

並べて気づくのは、日本語が時間を「行為のかかる時間」で表すことは、可能だが、慣用としては痩せている点だ。お茶一杯ぶん、タバコ一本ぶん、ぐらいで、用例はそれほど豊富ではない。マレー語の Pisan zapra が「現地でほとんど使われていない」事情と、日本語のこの痩せた感じとは、たぶん遠い親戚にあたる。「行為で時間を呼ぶ」は、日常の語彙としては、どの言語でも案外少数派なのかもしれない。

辞書で確かめる

帰国後、私はマレー語の辞書アプリを二つ買って、Pisan zapra を引いた。一つには項目自体がなかった。もうひとつには、用例なしで、「the time it takes to eat a banana(idiom, archaic)」と書いてあった。archaic、という注記が、私には新鮮だった。日本のガイドブックや英語の絵本では「現代でも使われる、マレー人の時間感覚」と紹介されていたものが、辞書では古語、扱いに近づいている。

マレー語に詳しい知人にメッセージを送ってみると、返ってきたのは、「もとは児童書のなかの言い回しで、八十年代以降、英語圏で『面白いマレー語』として紹介されることのほうが多いみたいです」という返答だった。外国人向けに発見されて、現地の日常から離陸して、外国人どうしのあいだで流通している語、という見立てだった。

「訳せない」のなかの空洞

第一回で書いた Sobremesa は、現地でいまも実際に使われている語だった。Pisan zapra は、そうではない。「訳せないことば」と一括りにされる語の集合のなかには、現地で実体のあるものと、実体の薄いものとが、同じ棚に並んでいる。私たちはその違いに気づかずに、両方を等しく「素敵な言葉」として持ち帰る。

現地で流通していない語を、外国人がエキゾチックな例として愛でる、というこの構図は、放っておくと「外国人のロマンが現地の言語を上書きする」ところまで進む。Pisan zapra は、そこまで進んでいる気配が、わずかにある。マレー語の若い学習者向けの教材で、英語圏のリスティクル経由でこの語を知った人が、「これ、有名らしいですよ」と教師に聞き、教師は「うーん、たぶん古い言い方ですね」と答える、というやりとりは、たぶんあちこちで起きている。

訳せない、と言われている語のいくつかは、現地ではすでに、訳す対象として流通すらしていない。

それでも、二分は二分

こう書いてしまうと、Pisan zapra は退屈な「捏造ことば」になりそうだが、ここで終わらせるのは、たぶん拙速だ。フィルダウスさんが「最近は聞かない」と言ったとき、彼は「絶対に存在しない」とは言わなかった。「あの、児童書か、教科書の話じゃないですか」と言った。児童書には、たしかに載っている。教科書には、慣用句の章に残っている。八十代のおばあちゃんが、孫に「バナナを食べるあいだに、ちょっとそこまで行ってきな」と言うことは、ある、かもしれない。あったかもしれない。

つまりこの語は、「現地で生きている語」と「外国人向けに再発見された語」のあいだのグラデーションのどこかにいて、グラデーションの位置は、世代と地域によって違う。ピサン・ザプラを「現代マレー人がよく使う」と書くのは粗いが、「マレー語に存在しない」と書くのも粗い。粗くない記述は、長くなる。長くなるから、ガイドブックには載らない。

プランナーとして、どう書くか

仕事用のメモに、私は次のように書いた。「Pisan zapra:マレー語のガイドブックに紹介される時間の単位。バナナ一本=約二分。ただし現地での日常使用は限定的で、児童書・教科書・外国人向けの紹介経由で広まっている可能性が高い。お客様への紹介は慎重に」。

たぶん次にマレーシア手配のお客様から「面白いマレー語ありますか」と聞かれたら、私はピサン・ザプラの話をする。すると同時に、「現地の若い人に振っても、通じないことが多いです」と添えるつもりだ。これは現地のスタッフへの礼儀で、お客様の発見の正確さのためでもある。

名古屋行きのフライトは、結局、十七時四十分に動き出した。一時間十分、遅れた。バナナ一本では足りない。お茶を一杯飲むあいだ、でも足りない。日本語にも、マレー語にも、その時間を呼ぶいい単位が、たまたま見当たらなかった。

——補記:この第一稿は公開後に辛口レビューを受け、第二稿で書き直しました。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。Pisan zapra の現地での流通度合いについての記述は、限定的なヒアリングに基づいており、地域・世代差を含めた網羅的な調査ではありません。