線香の、終わり方(v2)
蓮見のことばのメモ #1・書き直し

蓮見、高校二年、三組。日曜の夕方、本堂の隅で香炉の前にしゃがんでいた。法事は三時に終わって檀家のみなさんは帰り、父は寺務所に下がっている。本堂には僕だけが残っていた。残っていた、というよりは、片付けが半分で止まっていた。

点ける

火皿のマッチを擦った。寺で使うマッチは長さがふつうより少し長い。父が去年、近所のホームセンターで買い替えた銘柄に変わっていて、僕はまだその擦り感に慣れていない。一回目は擦り損なって、二回目で点いた。

新しい線香を一本、箱から抜いた。一本だけ、というのは父にもよく言われる。一本以上点けると、煙の柱が交わって本堂が薄暗くなる、と父は前に短く言ったことがある。父はそういう実用の話を、お参りの作法のように言うところがある。

線香の端をマッチの炎に近づけて、すぐに離した。線香の側に火が乗ったかどうかは、最初の数秒は見ていてもよく分からない。マッチを火皿に戻して、息を吹いた。マッチの火を消すための息で、線香の火を消してしまわないように、息は線香から少しずらす。これはずっと前から父にやらされていた手順で、いまは自分で勝手にやっている。

立てる

香炉の灰の表面は、午後の法事のあとで、一度ならされていた。何度ならしても、まんなかは少し凹む。ならしていると、灰の表面の見た目はきれいになるけれど、灰の中身は深いところで固まっていって、長く使った香炉ほど、表面と中身がずれていく。父は年に一度、灰をふるいに通して入れ替える。次の入れ替えは来月だ、と先週、母が言っていた。

線香の根元を、灰の表面に立てた。立てる、というのは、本当に垂直に立てる、ということではない。指先で軽く押して、灰のなかに二、三ミリ入れて、指を離す。離したあとに線香が自分の重みで少し傾いた場合は、そのままにする。垂直にこだわると、灰の固いところに線香の根元が当たって、折れる。傾いたままで立っているほうが、灰には親切だった。

立て終わって、火皿のマッチをもう一度確認した。マッチの軸は黒く焦げていて、火は完全に消えていた。火皿のなかには、午前のお参りで使われた擦り殻が、まだ三本ぶん溜まっていた。あとで掃いておかないといけない。

立ち上がる

立ち上がって、本堂の障子のほうを見た。西の障子が斜めに傾いていて、夕方の光がそこから細い帯になって入ってきていた。光の帯のなかに、線香の煙が一本、白く浮かび上がっていた。光の帯から外れたところでは、煙は見えない。煙は煙でずっと立ち上っているのに、見える場所と見えない場所が、空気のなかにある。

少し位置を変えてみた。三歩、香炉の左に動いた。煙は見えなくなった。三歩、戻った。煙はまた見えた。煙は同じだけ立ち上っているはずで、僕の立ち位置だけが変わっている。煙が見える、というのは、煙の側の話ではなくて、僕の側の話なのだった。

本堂の柱に背中をつけて、しばらく立っていた。線香の匂いが髪のあたりに薄くついているのが、自分の頭を少し動かしたときに分かった。頭を止めると、匂いは止まる。頭を動かすと、匂いがふっと自分のところに来る。これも、煙が見えるのと同じ仕組みかもしれなかった。

消す、ということがない

線香には、消す、という動作がない、と僕はずっと前から思っていた。マッチには消すがある。蝋燭にも消すがある。けれど線香に対して人が「消す」をやる場面は、寺の日常のなかには、ほぼない。線香は勝手に短くなって、勝手に火が引いて、勝手に灰になる。人は点けるしかしない。

点けるしかしない、というのが、線香に関して人にできることのほとんどだった。立てる、はあるけれど、立てるは点けるの後始末みたいなところがある。点けて、立てて、あとは見ない。本来は、見ない。

父が本堂を素通りしていった。寺務所から離れの方に行くらしかった。父はこちらに目を向けたが、声はかけず、廊下の角を曲がっていった。父との日常はだいたいこのくらいの距離で、こちらが何かをしているときに、父が黙って通り過ぎる、というのが、たぶん家のなかでいちばん多い。

父が通り過ぎたあと、香炉のほうを振り返った。線香はもう半分くらいまで短くなっていた。短くなる速さを観察しようと思ったわけではなくて、ただ、目が戻った。橙色の点は、もうほとんど見えないところまで小さくなっていた。

本堂を出る

そろそろ夕食の時間で、母が住居のほうから僕の名前を呼ぶ気配がする、と思ったところで、実際に呼ばれた。「ご飯」とだけ。住居までは本堂から渡り廊下で五十歩くらい。

線香はまだ立っている。火が引いたかどうかは、しゃがんで近寄らないと分からない。立ち上がってから戻ってしゃがむのは面倒で、僕はそのまま本堂を出た。残った線香は、見ない、で正しいんだろうと思う。本来は、見ない。

渡り廊下を歩きながら、線香の匂いが廊下の途中まで一緒について来ているのが分かった。三歩、四歩、五歩あたりで、匂いはもうついて来なかった。住居の戸を開けると、夕食の汁物の匂いが廊下に出てきていて、線香の匂いはそちらに上書きされた。

夕食のあいだ、線香のことは思い出さなかった。母が今日の法事の料理の余りを出してくれていて、それを食べていた。父はテレビの音量を少し下げて、新聞の続きを読んでいた。

あと

夕食のあと、本堂の戸締まりをするために、もう一度、本堂に戻った。冬は父がやることが多い手順で、夏は僕に回ってくる。今日は秋だが、たまたま僕が行くことになっていた。

香炉のところを見た。線香はもう、ない。灰の表面に、新しい灰の山がひとつ、増えていた。山の高さは数ミリで、午後のうちに見ていた線香の長さとは関係のない高さで、収まっていた。

火皿のマッチの擦り殻を、ちりとりで掃いた。擦り殻は四本。さっき自分が点けた一本ぶんが増えていた。本堂の電気を消して、戸を閉めた。戸の建てつけは少し悪く、最後の一押しで木が鳴る。今日もその木の音が鳴って、僕は鍵を回した。

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本作は蓮見のシリーズ番外編「蓮見のことばのメモ」第一作・書き直し版(v2)。v1の「火・煙・匂い・灰の四段同居」「英訳列挙」「父の『うん』二回」「『形を失ったまま、ある』型の余韻結語」を撤去。代わりに、点ける・立てる・立ち上がる・消す(ということがない)、という蓮見の身体動作の連なりに振り替えた。線香の「終わり方」を観察する位置を解除して、線香を一本点けて、立てて、本堂を一度離れ、夕食を食べて、戸締まりに戻る、という日常の動作のなかに線香を埋め直してある。父はキメ台詞を言わずに本堂を素通りする。最終文は戸締まりの鍵を回す動作で閉じ、状態動詞の倒置型結語を避けた。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。