蓮見、高校二年、三組。日曜の夕方、本堂の隅で、香炉の前にしゃがんでいた。法事はもう三時に終わっていて、ご家族はとっくに帰っていた。父は寺務所の方に下がって、母とお茶を飲んでいる気配がする。本堂には僕だけが残っていた。
香炉の灰の上に、午後のお参りで使われた線香の燃え残りが、まだ立っていた。そのうちの一本に、もう一度、火を点けてみた。お参りに使うのではなく、ただ見届けるためだった。
線香の先で、火が点っている。点っているといっても、炎ではない。橙色の、ちいさな点。夕方の本堂は外光が西の障子からうすく入っていて、香炉の前は半分暗かった。半分暗いところで見ると、橙色の点は、はっきり輪郭を持って見えた。
点が動いている。線香の先端を、ゆっくり後退している。線香の側から見ると「燃え進む」になる。火の側から見ると「後退する」になる。同じ動きを、どちら側から見るかで、別の動詞が当たる。
火の上から、煙が立ち上っている。本堂の空気のかすかな流れに乗って、左に少し傾いて、上のほうで広がって、消える。消える、と書いたが、煙は消えるのではない。広がりすぎて、目で追えなくなるだけだ。線香の匂いが本堂全体にゆっくり満ちていくのは、煙が「消えた」あとも、空気のなかで続いているからだった。
火と空気のあいだに、煙の柱が架かっている。柱、というほど太くはなくて、糸、と言ったほうが近い。糸が、上のほうに伸びていって、途中でほどける。ほどける場所は、毎回ちがった。同じ線香の同じ煙でも、同じ高さでは、ほどけない。
線香の軸が、半分くらいまで短くなった。香炉の灰と、線香の灰の境目が、そのあたりで曖昧になっていた。火の点が、根元のさらに近くまで後退した。煙はまだ立っていた。
そして、ある瞬間、火が、消えた。橙色の点の明度が、すっと下がった。下がって、ふつうの灰の色に、紛れた。点が灰になった、というより、点と灰の見分けが、つかなくなった。
けれど、煙はもう少し続いていた。線香の根元から、白い糸が、二、三本、ぽつぽつ立ち上っていた。残熱で、軸の中の何かが、まだ煙を出していた。三秒くらいで、煙も、立たなくなった。立たなくなったあとも、本堂の空気のなかには、煙が立っていたあいだの匂いが、まだ漂っていた。匂いが薄くなるまでに、何分か、かかった。
「終わった」のは、どの瞬間だろう、と思った。火が消えた瞬間と思えば、そう言える。線香の役目は、火の上の煙だ、と数えるなら、火が消えたところで終わる。けれど、煙の側から数えると、そうではない。火が消えたあとも、煙は数秒、続いた。煙が続いているあいだ、線香はまだ「働いて」いた、と数えることもできる。
そして、煙も止まったあとの匂いの側から数えると、もっと先まで続いていた。本堂の空気のなかに匂いが残っていたあいだは、線香はまだ、空気のなかで、薄く続いていた。匂いが消えたあとは、灰が残った。形は、もう失われていた。けれど、灰そのものは、香炉のなかに、はっきりある。香炉の灰の山に、新しい灰が一山、加わっていた。
「終わった」を、どの瞬間に置くかで、答えが変わる。火、煙、匂い、灰。四つの場所のどれかに「終わり」を置こうとすると、ほかの三つが、まだ続いていた、と訴える。
「終わる」という動詞が、線香にうまく当てはまらない、という感じがあった。動詞は、ある時点で動作が成立する、ということを言う。けれど、線香の場合、ある時点では、終わりが成立しない。火が終わっても、煙が続く。煙が終わっても、匂いが続く。匂いが終わっても、灰がある。
「終わる」を線香に当てるためには、どこかの一段に揃えて、ほかの段を切り捨てないといけない。揃えないと、動詞は使えない。けれど、線香の前にしゃがんでいると、揃える前の四つの段が、目の前にある。「終わった」と言いかけて、いや、まだ煙が、と思う。煙が止まって、いや、まだ匂いが、と思う。言えないまま、しゃがんでいた。
線香の「終わり」を英語にしたら、と思った。火が消えるのは go out に近いかもしれない。けれど go out は、煙の続きを拾えない。煙が薄くなって追えなくなるところは fade away のほうが近いが、火の段は遠い。burn out、finish、end、どれもそれぞれ別の段を拾って、ほかを取りこぼしている。日本語の「終わる」は四つを曖昧にひとくくりにする替わりに、どれを指しているかが薄まる。英語のいくつかの動詞は、はっきり指す替わりに、四つを切り離していく。どちらも、同居をそのままでは扱えない。
父が本堂の入り口に立っていた。いつ来たのか、わからなかった。
「なにしてる」
「線香を、見てた」
「線香を」
「終わる、っていうのが、線香にはうまく当たらないなと思って」
父はしばらく黙って、香炉の灰を覗き込んだ。「うん」とだけ言った。それから、もう一度「うん」と言って、本堂の脇のろうそく台のほうに歩いていった。父との会話はだいたいこのくらいの長さで終わる。
父が「うん」と二回言ったのは、わかった、という意味だったのだろうと思う。線香の前にしゃがんでいたら、こういうことに気づく日がある、ということを、父は何百日も先に経験している。「うん」のなかに、その何百日が、薄く畳まれていた。
夜、自分の部屋でベッドに寝そべって、天井を見ていた。香炉の灰の山に、新しい灰が一山、加わっていた光景が、頭のなかに残っていた。
火、煙、匂い、灰。四つの段が、別々の高さで並んでいた。「終わる」がうまく当たらない、というのは、四つの段のどこにも、終わりを固定できない、ということだった。固定しないまま、四つを並べておく。並べたまま、見ている。それだけだった。
来週も法事がある。土曜と日曜のどこかで、また線香を炊く。炊いている十数分のあいだ、その一本は固有の橙色の点と、糸のような白い煙と、本堂にゆっくり満ちる匂いを、持つ。十数分が過ぎると、火が消えて、煙が消えて、匂いが薄くなって、灰が残る。残った灰は、香炉の何千本の灰の中に紛れて、見分けがつかなくなる。
窓の外で、本堂の屋根の輪郭が、夜空にうっすら浮かんでいた。線香の匂いは、住居のほうまでは、たぶん、もう届いていなかった。届いていないところで、本堂の香炉の灰のなかでは、夕方の一本が、形を失ったまま、ある。
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本作は蓮見のシリーズ番外編「蓮見のことばのメモ」第一作。日曜の夕方、法事のあとの本堂の隅で、香炉に立てた一本の線香を、見届けるためだけに観察する。火、煙、匂い、灰の四つの段が、別々の高さで終わっていって、「終わる」という動詞が、どの瞬間にも、ぴったりは当たらない。火が消えても、煙はもう少し続く。煙が消えても、匂いは漂う。匂いが消えても、灰が残る。英語の end/finish/burn out/fade away/go out も、別々の段を拾うが、四つの同居を扱えない。揃えないままで、四つを並べておく。父は「うん」と二回言って、寺務所のほうに歩いていく。シリーズ本編で立ち上げた「凍らせない」の感覚が、終わりの一段ではなく、終わりの四段の同居として、もう一度、別の場所で観察される。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)