第二稿(第一稿、研究室4人による建設的批判を経て書き直した版)
田所美奈子。四十二歳。専業主婦。夫と、中三の娘・サクラの、三人暮らし。
サクラは、進学塾アスターに、中一から通っている。私は、月に一回くらい、塾に電話をかける。電話の最初に、私は、こう言う。
「あの、すみません、女性の先生、佐藤先生をお願いします」
何度も言ってきた、ひと言。
私が中学三年だったとき、塾の先生は、ほとんど男性だった。一人だけ、若い女性の先生がいた。藤田先生。
藤田先生に、私は、生理のことを、話したことがある。母親には、話せなかった。
その記憶があるから、サクラのことになったとき、私は、自然に、「女性の先生に」と思った。
火曜日の朝、サクラを見送ったあと、塾に電話をかけた。
「あの、すみません、女性の先生、佐藤先生をお願いします」
「佐藤は、いま、出勤前で。十時から、です」
「では、十時すぎに、また、おかけしなおします」
電話を切って、家事に戻った。
佐藤先生って、いつも、出勤前か、授業中か、移動中だ、気がする。
夕食のあと、サクラに、ふっと、聞いてみた。
「サクラ、塾の先生、誰がいいの? 男の先生でも、女の先生でも?」
サクラは、スマホを見たまま、答えた。
「べつに、誰でもいい」
それで、会話は、終わった。
私は、ちょっと、止まった。
土曜の保護者会。サクラのクラスの担任は、男性だった。けれど、保護者会の最後に、佐藤先生も、ちょっと、挨拶に来た。
「お母さま、いつも、お電話、ありがとうございます」
佐藤先生は、笑顔で、言った。けれど、その笑顔は、ちょっと、疲れていた。
「あ、いえ、こちらこそ」
私は、ちょっと、ぎこちなく笑った。
佐藤先生は、すぐに、別の保護者のところに、移動していった。
駅まで歩きながら、ぽつりと、思った。
私が「女性の先生をお願いします」と電話をかけ続けた、その電話が、ぜんぶ、佐藤先生のところに、行っていた。
塾には、男性の先生が、たくさん、いる。けれど、私は、進路や思春期の話を、男性の先生に、たぶん、しない。
家に着いて、玄関のドアを開けた。
来月の電話を、私は、男性の先生に、かけられるだろうか。
たぶん、まだ、かけられない。
窓を開けて、空気を入れた。
サクラの帰宅を、まだ、待っている。
来月、また、電話する。たぶん、佐藤先生を、指名する。
窓から、夕方の光が、入ってきた。
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本作は『「お願いします」の、向こう側』の第二稿。研究室メンバー4人の建設的批判を受けて書き直し。具体的な変更点:(1)セクションを8→6に圧縮(「受話器の、向こう側」セクション削除、フラッシュバックと帰り道を整理)、(2)キメ二段「続けることが感謝/続けることが一人にしていた」を解体(一文も残さない)、(3)「変えられる位置には、もう、いない」「回すのは、塾の側の構造だった」のメタ解説を完全削除、(4)藤田先生のフラッシュバックを「進路相談・女子高校・思春期・生理」の網羅から「生理のこと」一点に圧縮、(5)「サクラに『進路、お母さんに聞く』と言わせたのが、私と藤田先生の関係だった」のメタ解釈を削除、(6)母親の自己分析「選んでいた、ということを、佐藤先生は、知っていた」を削除、(7)サクラのセリフを「べつに、誰でもいい」のみに圧縮(「進路は、お母さんに聞く」「成績の話だけ」を削除)、(8)佐藤先生の「お待たせして、すみません」を削除、笑顔の疲れだけで示す、(9)結語の洗濯物(家事のステレオタイプ装置)を「窓を開けて、空気を入れた」「サクラの帰宅を、まだ、待っている」「窓から、夕方の光が、入ってきた」に変更、(10)結語に「来月、また、電話する。たぶん、佐藤先生を、指名する」の変わらない事実描写を入れる、諦観を抑える。母親を「気づいた人」ではなく「気づきかけて、それでも電話を続ける人」に。