シリーズ第六作。視点が、塾の女子生徒(ユイ)の側に、降りる。Part 1 v2 で佐藤先生が予言した「私が休んだ日に来たら、黙って、家に帰る」の、その日。
山下唯。十五歳。中学三年。進学塾アスター、中一から。佐藤先生の国語。
塾には、男の先生と、女の先生がいる。男の先生は、たくさん。女の先生は、佐藤先生と、最近入った高橋先生。二人だけ。
わたしは、佐藤先生の授業が、好き。授業のあと、何度か、職員室の佐藤先生のデスクに、行ったことがある。
中三の春、塾の昼の休憩時間、お腹が、痛くなった。
佐藤先生のデスクに行って、「先生、お腹、痛くて」と言った。
佐藤先生は、わたしの顔を見て、すぐ、わかった。
「ナプキン、いる?」
「うん」
机の引き出しから、ナプキンを、出してくれた。
「ありがとう、先生」
トイレに行って、戻ってきて、それから、保健室代わりの空き部屋で、ちょっと、休んだ。
中三の秋、進路の話を、佐藤先生にしたい、と思った。
女子高に行きたい、けれど、母親には、まだ、言ってない。塾に、佐藤先生に、話しに行こう、と思った。
火曜日、放課後、職員室に行った。佐藤先生のデスクに、保護者からの電話のメモが、たくさん、貼ってあった。佐藤先生は、電話を、していた。
わたしは、ちょっと、立っていた。
佐藤先生が、わたしを見て、「ごめん、ちょっと、待ってて」と、口の動きで、言った。
五分、待った。十分、待った。佐藤先生の電話は、終わらなかった。
わたしは、また、明日、と、心の中で言って、職員室を、出た。
翌日も、その次の日も、結局、話さなかった。
中三の冬、火曜日、また、お腹が、痛くなった。
塾に着いて、職員室に行った。佐藤先生のデスクに、誰もいなかった。
別の男の先生が、わたしの顔を見て、「佐藤先生、今日、お休みですよ」と言った。
「あ……」
わたしは、ちょっと、止まった。
ナプキンが、佐藤先生の引き出しの中にある、と、わたしは、知っていた。前に、見たから。けれど、それは、佐藤先生の私物。佐藤先生がいないとき、引き出しを開ける、というのは、たぶん、だめ。
高橋先生は、別のクラスの担当で、その日、別の校舎にいた。
わたしは、職員室を、出た。
保健室は、塾には、ない。男の先生に「ナプキンください」とは、言えない。
わたしは、自転車に、乗った。家まで、二十分。お腹を、ちょっと、押さえながら、こいだ。
翌日、佐藤先生が、塾にいた。職員室で、わたしを見て、「ユイちゃん、ナプキン、足りてる?」と、聞いた。
「足りてます」
「うん。なくなったら、言ってね」
わたしは、頷いた。
昨日、家に帰ったこと、を、言わなかった。
佐藤先生も、それを、聞かなかった。
たぶん、佐藤先生は、知らない。私が、昨日、塾に来て、職員室を、出て、自転車で帰ったこと、を。
それから、わたしは、塾に行く。佐藤先生の授業を、受ける。引き出しのナプキンの存在を、知っている。
来年、わたしは、女子高に行く、と思う。母親には、まだ、言わない。佐藤先生にも、まだ、言わない。
自転車のペダルを、こぐ。塾までの道。家までの道。
冬の風が、ちょっと、冷たい。
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← 第一作:一人だけ、では(佐藤紗英子・35歳)
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本作はシリーズ第六作・第一稿。視点を塾の女子生徒(中三・15歳)に降ろす。Part 1 v2 で佐藤先生が予言した「私が休んだ日に来たら、黙って、家に帰る」の、その日を、ユイの側から描く。中三の春に佐藤先生のナプキンに助けられた経験、秋に進路相談したくて職員室に行ったが佐藤先生は電話で対応できず(保護者からの電話のメモがたくさん貼ってあった)、冬の火曜日に佐藤先生が休みで誰にも頼れず黙って自転車で家に帰った(佐藤先生の引き出しのナプキンを知っていたが私物だから開けられない、男の先生にナプキンと言えない)、翌日佐藤先生「ナプキン、足りてる?」「足りてます」昨日のことは言わない。結語は自転車のペダル、冬の風。「気づきかけて、変えない」構造の最も弱い受け手としての女子生徒の体験。