茅野(かやの)、高校二年、二組。茶道部に所属している、地味な男子生徒。クラスでは、ほとんど発言しない。教室の窓側、後ろから二番目の席が、私の場所。同じクラスに、即答する生徒がいる。隣の一組に、納得しないと職員室に駆け込んだ生徒がいる、と聞いている。たぶん、二人とも、私のことを、知らない。
水曜の三限は倫理だった。先生は、トロッコ問題のプリントを、配った。線路を走るトロッコ。五人と、一人。レバーを引くか、引かないか。
同じクラスの、森田が、すぐに、手を挙げた。「五人を救います。五人より一人のほうが、犠牲が少ない。それだけです」。先生が頷いた。クラスから、軽い笑い声が、起きた。
橋から押す変奏問題でも、森田は、即答した。「同じことです」。
クラスのほとんどが、何かを言った。「迷う」「無理」「ジュンらしい」。
私は、何も、言わなかった。考えていなかったわけでは、ない。考えていた。けれど、その場で、答えを出すのが、私の、考え方では、なかった。
授業のあと、先生は「答えは、ひとつじゃないですよ。考えてみてください」と、言った。
私は、頷いた。考える、というのが、私の、得意なやり方だった。ただ、考える、というのは、私にとっては、すぐに、答えを出すこととは、違っていた。
放課後、四階の和室。茶道部の稽古は、火曜と木曜と土曜の週三回ある。水曜は本当は、ない。けれど、今日は自主練のために、和室を借りていた。倫理のことを、考えながら、お茶を点てたかった。
畳に正座する。深呼吸。茶筅を、湯で温める。茶碗を、清める。茶杓で、抹茶を、二すくい、茶碗に入れる。湯を、注ぐ。茶筅で、点てる。
所作は、決まっている。順番も、角度も、間も、決まっている。
決まっている所作を、繰り返す。繰り返すたびに、所作が、自分の身体に、馴染んでいく。
馴染む、ということが、たぶん、私にとっての、倫理だった。
稽古のあとで、師範が、和室に、入ってきた。茶道部の顧問の、岡野先生。週に三回、外部から来てくれる、本物の茶道家。
「茅野くん」
「はい」
「最近、所作が、ずいぶん、整ってきましたね」
「ありがとうございます」
「整ってきた、というのは、考えなくても、身体が動く、ということです」
「はい」
「考えなくても、動く、というのは、簡単なようで、難しい」
「はい」
「最初は、考えながら、動く。考えながら、動くことを、繰り返す。繰り返した結果、考えなくても、動くようになる。これが、稽古です」
「はい」
「稽古、という字は、古いものを、稽える(かんがえる)、と書きます。古い型を、自分の身体で、繰り返し、確かめる、ということです」
「考える、というのは、繰り返すことなんですね」
「そう。一回、考えて、答えが出るのは、計算です。何度も、考えて、身体が動くようになるのが、稽古です」
師範は、それから、お茶を、自分でも、一服、点てた。所作は、私の、何倍も、整っていた。
家に帰って、自分の部屋で、机に座った。倫理のプリントを、もう一度、出した。
トロッコ問題。線路、トロッコ、五人、一人、レバー。
森田は、即答した。アヤさん——一組に、納得しないと、職員室に駆け込んだ生徒がいる、という噂を、私も、聞いていた——は、納得しなかった。
二人とも、立派だった。即答することも、納得しないことも、両方とも、人の、考え方の、形である。
ただ、私の、考え方は、それとは、違う形だった。
私は、トロッコ問題に、答えを出さない。出せない、と、言ったほうが、近いかもしれない。出せないけれど、トロッコ問題のことを、考えなかった、わけでは、ない。考えたから、家に帰っても、お茶を点てたあとも、机の前に、座っている。
私が考えていたのは、トロッコ問題そのもの、ではなかった。
トロッコ問題が、答えを出すのが難しい、種類の問いだとすれば、答えを出すのが難しい、種類の問いに、向き合うときに、自分が、どう振る舞うか、が、私の、関心だった。
慌てて答えを出す、のも、ひとつの振る舞い。納得しないまま、考え続ける、のも、ひとつの振る舞い。何も言わずに、和室で、お茶を点てる、のも、ひとつの振る舞い。
振る舞いは、その場で、選ぶものでは、たぶん、ない。普段から、選び続けてきたものが、その場で、出てくる。
普段、私は、お茶を、点てている。
もう少し、考えた。
森田が、即答できたのは、その瞬間だけの能力では、ない、はずだった。即答できる、というのは、即答できる人になることを、森田が、これまでの日々で、繰り返してきた、結果なのかもしれない。論理を、信頼する、習慣。x の値を、ひとつ、出す、という積み重ね。
アヤさんが、納得しないまま、職員室に駆け込めたのも、その日だけの勇気では、ない、はずだった。納得しない、ということを、ふだんから、自分の、感じ方として、許容してきた、結果なのかもしれない。違和感を、見過ごさない、習慣。
つまり、トロッコ問題に、その場で、どう答えるか、というのは、その場の判断ではなく、それまでの日々で、自分が、どんな人になっていたか、という結果でもある。
森田は、森田になるための日々を、過ごしてきた。アヤさんは、アヤさんになるための日々を、過ごしてきた。私は、私になるための日々を、過ごしている。
トロッコ問題は、答えを問う、形で、提示される。けれど、本当に問われているのは、たぶん、答えではない。それまでの日々が、その人を、どういう人に、していたか、ということかもしれない。
夜の、十時すぎ。家のキッチンで、お茶を、もう一服、点ててみた。簡略の、薄茶。茶碗は、姉が大学のサークルでもらってきた、安いもの。
所作は、和室と同じだった。畳ではなく、テーブルだったけれど、手の動きは、変わらない。
お茶を、ひとくち、飲んだ。
正解は、出なかった。出さなくて、よかった。
明日の三限は、別の単元の話だろう。トロッコ問題は、もう、出ないかもしれない。それでも、私は、考え続ける。考え続ける、というのは、家で、お茶を点てる、ということと、たぶん、近い。
毎日、お茶を点てる。点てた回数だけ、自分が、整っていく。整っていく自分が、いつか、何かの、問いに、出会う。出会ったとき、その時の、自分が、自分なりに、振る舞う。振る舞いは、その時に、選ぶのではなくて、それまでの日々で、選び続けてきたものが、自然に、出る。
だから、毎日が、選択だった。
毎日が選択だ、ということに、自覚的になる、ということが、たぶん、私にとっての、倫理だった。
お茶を、最後まで、飲んだ。茶碗を、丁寧に、洗った。明日の準備は、もう、できている。
→ 次話:お母さんに、一服(夜の台所、徳倫理の他者性、茅野のトロッコ問題シリーズ #2)
← 関連:先生、納得がいきません(一組のアヤ。納得しないまま考え続ける、という選択を実装)
← 関連:答えは、出る(同じ二組のジュン。即答する、という選択を実装。茅野は、同じ授業の場にいた)
← 関連:アヤのトロッコ問題シリーズの種明かし
← 関連:ジュンのトロッコ問題シリーズの種明かし
← 関連:会話劇五景——シリーズの裏の狙い
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【茅野のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第1話。茅野は、トロッコ問題に、答えを出さない。即答もしない、納得しないと駆け込みもしない。お茶を点てる、という日々の所作の中で、自分がどんな人になっていくかを、考える。徳倫理の系譜——アリストテレスの hexis(習慣化された性向)——を、日本の高校生の茶道部の稽古に重ねた、第三のトロッコ問題シリーズ。アヤの義務論、ジュンの功利主義に対して、徳倫理は「答えを出す前提自体を、別の角度から、見直す」位置をとる。