編集部メモ
本ページは、七話で完結した 『答えは、出る』から『揺らぎは、似ていた』までのジュンのトロッコ問題シリーズの設計を、書き手側から開示するものである。アヤのトロッコ問題シリーズの種明かしと対称をなす、もうひとつの裏側の地図である。
先に七話を読んでから戻ってきてもらえると、二度目の読みの入口が開く。さらに、アヤのシリーズも併せて読んでいる読者には、二つのシリーズが交差する地点が、いくつも見えてくる、はずである。
ジュンのシリーズは、アヤのシリーズが完結したあとに始まった。きっかけは、ふたつの問いだった。
ひとつ目:「別の生徒を出して別の倫理感の立場をもつものとして書いたら重層的になるか」。
ふたつ目:「別のクラスで倫理を学ぶようにして、ジュンはジュンでシリーズで自分の考えを深めていく。途中まで一切アヤとは交流をしない設定にして、面白くなるか」。
後者の提案が、本シリーズの構造を決めた。並行する二つのシリーズが、最終話で初めて交差する——パラレル構造。読者の二度読み体験、倫理観の対比、交差の瞬間の劇的効果、すべてが揃う、文学的に最も強い構造のひとつである。
アヤが義務論寄り(「数にしたくない」「受け取る」)なら、ジュンは功利主義寄り(「数で決められる」「答えは出る」)。これがシリーズの背骨になった。
アヤと対立軸を成すキャラクターを立てるとき、いちばん危険なのは、ジュンが「悪役」に見えることだった。功利主義は、「五人を救うために一人を突き落とす」という典型例で、しばしば、冷酷さの代名詞として描かれる。
本シリーズが避けたかったのは、その紋切型である。ジュンは、合理的だが、冷たくない。家族思いで、友達思いで、データを通じて他者を救おうとする人物。功利主義の代弁者であると同時に、家族の物語の中心にいる年上のきょうだい。
もうひとつの設計:ジュンの性別を曖昧にした。当初、ジュンの一人称は「僕」を使っていたが、執筆途中で、読者から「『僕』は中性的か? 男性的な気もする」という指摘を受け、社会言語学的にも「僕」は男性寄り(少年的)であると認めた。最終形では、一人称代名詞そのものを最小化する設計に到達した。日本語の主語省略を最大限に活用し、必要箇所のみ「自分」を補助的に使う。これは、アヤの「私」と対称をなす、より徹底した性別非確定の配置である。本シリーズ全編で、ハルがジュンを呼ぶときも、「兄ちゃん」「姉ちゃん」ではなく、名前で「ジュン」と呼ぶ設計を、徹底した。先生や同級生がジュンを呼ぶときは、「ジュン君」ではなく、苗字+さんで「森田」と呼ぶ設計に修正した。
ジュンのシリーズは、アヤの「当事者性のグラデーション」とは異なる軸で構造化されている。それは「合理性の幅の広がり」である。最初は硬く狭い合理性が、七話のあいだに、徐々に広がっていく。
| 話 | 場面 | ジュンの位置 | 合理性の中身 |
|---|---|---|---|
| #1 | 水曜の三限、倫理の授業 | 即答 | x の値が、ひとつ、出る |
| #2 | テスト終わりのファミレス | 正確な割り勘で実装 | 清さ+残るもの、矛盾の発見 |
| #3 | 夕食後、弟の部屋の前 | 立ち止まる | 計算では出ない値の存在を認める |
| #4 | 月曜の朝、ノートを渡す | 家族を救う | 分析は、愛だ |
| #5 | 防災訓練の経路最適化 | 学校全体を救う | 多数を見ることで、ひとりも見落とさない |
| #6 | ハルの試合前夜と当日 | 5つの美徳が一斉に立ち上がる | 誤差は、合理性の中に、含まれる |
| #7 | 図書室、アヤと出会う | 観測しない選択 | ふたつの可能性を、開かれたまま、残す |
合理性は、最初、ミスを許さない硬い箱のようなものだった。最終話では、誤差を含み、観測しない可能性も含み、揺らぎも含む、柔らかい範囲になっていた。
「合理性の幅」が広がる、という現象を、ジュン自身が、徐々に、自分の言葉で、認めていくのが、本シリーズの軌跡である。
七話のあいだに、ジュンの中で、増えた語彙——シリーズが残したジュンの倫理の道具箱:
注意深く読むと、これらの語彙は、ジュンが「数学的な比喩」を、徐々に、感情の領域に拡張していく過程として読める。「同期しない」(信号処理)、「誤差」(統計)、「観測しない」(量子論的な比喩)。ジュンは、合理性の言葉で、感情の領域を、一語ずつ、地図化している。
本シリーズで、書き手が最も意識したのは、功利主義が「冷たい計算」ではなく、美徳の体系であることを、エピソードの中で、自然に立ち上げることだった。
典型的な功利主義の美徳は、五つある:
1. 公平性(impartiality):誰の幸福も一人分として数える。自分や身内を特別扱いしない。
jun-06 で、ジュンは自分のコンテストとハルの初試合を、自分の都合だけでなく、両者の効用を等しく秤にかけた。
2. 共感/思いやり(benevolence):他者の苦痛や幸福に敏感であること。
jun-04 でハルのポジションの悩みに気づき、jun-06 で前夜の電話のハルの震えに気づいた。jun-05 でノリの十二分の避難時間に気づいた。
3. 合理性/熟慮(practical rationality):長期的・広範囲な結果を見通す力。
jun-06 で「コンテストはまた出られる、初試合は今日だけ」と長期視点で判断。jun-05 で全校生徒900人の避難時間を見通した。
4. 節度/自己統制:持続可能な貢献のバランス感覚。
jun-06 でコンテストの参加証を捨てず引き出しにしまった。来年も再来年も、出る、という持続可能性。
5. 信頼性:約束を守る、誠実、社会的効用を高める行動。
jun-06 で年上のきょうだいとして家族の重要な瞬間に「いる」習慣を確立。jun-04 のデータ分析が、jun-06 でハルの精神的支柱になっていた——ジュンの過去の行為が、信頼として、戻ってきた。
これらは、それ自体で善いから善いのではない。持つことで世界がより良くなるから善いと評価される。功利主義特有の、道具的な美徳観が、本シリーズの倫理的背骨である。
本シリーズの最大の技術的課題は、ジュンの声を、アヤの声と、別のリズム・温度で書ききることだった。
| 要素 | アヤ(既存) | ジュン(本シリーズ) |
|---|---|---|
| 一人称 | 「私」 | 主語省略を多用、必要時のみ「自分」 |
| 文の長さ | 中〜長め、観察と迷いが折り重なる | 短い、断定的 |
| 多用副詞 | 「たぶん」「かもしれない」 | 「合理的に」「結論」「だから」 |
| 動詞語彙 | 受け取る、届く、動かない、抱える | 決まる、計算する、出る、最適化する |
| 余白 | 多い | 少ない、結論が早い |
ただし、シリーズが進むにつれて、ジュンの文体にも、徐々に「たぶん」「かもしれない」が入り始める。jun-03 で初めて、jun-06 で頻繁に。最終話 jun-07 では、アヤとの対話の中で、二人の文体が、少しだけ寄っていく——揺らぎの交換が、文の長さや断定の度合いという構文レベルでも、起きている。
これは意図的な設計である。立場が違う二人が、対話の中で、互いの言語を、少しだけ借りる。借りることで、それぞれの立場が崩れるのではなく、立場を保ったまま、揺らぎが交換される。
本シリーズで、最も精密な伏線は、jun-04 と jun-06 を貫く「ジュンからハルへの贈り物」の連鎖である。
jun-04『サイドバック』で、ジュンは過去の試合データを分析し、ハルの最適ポジションを「サイドバック」と導いた。ハルは、ジュンの分析を信じて、サイドバックを選び、レギュラーになった。試合後、ハルは「ジュン、ありがとう」と、いつもとは違う温度で、告げた。
jun-06『誤差の中に』で、その贈り物の重さが、ハル自身に、戻ってくる。初の公式戦の前夜、ハルはジュンに電話して、「ジュンが、二日もかけて、ノート、書いてくれたじゃん。もし、明日、自分が、サイドバックで、うまく、できなかったら、ジュンに、申し訳なくて」と、震える声で打ち明ける。ジュンの贈り物を、無駄にしたくない、という重圧。
ここでジュンは、二段の応答を返す:
これは、合理性の言葉で、弟を解放する場面である。功利主義者の言葉が、最も親密な関係性の中で、機能する瞬間。書き手として、本シリーズで最も書きたかった一場面だった。
最終話 jun-07『揺らぎは、似ていた』は、シリーズの最大の山場であり、同時に、最も静かな場面でもある。
場面の選択:図書室。理由は、繊細な対話には、声を立てない場所が必要だったから。書棚で取れない本を取るときの、肩の物理的近さ。閉室の鐘という、自然な区切り。
会話の構造:三段階。
核となる場面:書棚で、取れない本をジュンが取る。アヤ「ありがと」ジュン「何が」。アヤが気づく——「いま、変な返事の仕方、してた。『何が』って」。これは、アヤの親友ミウから受け取った四往復のリズムが、ジュンの口から、自然に出た瞬間。
別れ方:「またね」「また」と言わない。「じゃあ」「じゃあ」だけ。再会を約束しないことが、揺らぎの純度を保つ、という設計。
最後の場面:廊下の角でジュンが振り返らない。けれど「アヤさんも、振り返った気がした」。確認しないことを、ジュンは、合理的だと判断する。「確認すれば、答えは、ひとつに、決まる。確認しないでおくと、ふたつの可能性が、開かれたまま、残る。開かれたまま、というのが、ゼロじゃない、ということだった」——jun-06 の核言葉が、観測の問題に応用されて、シリーズが閉じる。
両シリーズの各話の対応関係:
| アヤの話 | ジュンの話 | 共鳴の質 |
|---|---|---|
| #1 動かなかった(犬と猫) | jun-01 即答した(教室) | 対称:受動 vs 能動 |
| #2 階段を選んだ(自己縮減) | jun-02 正確な割り勘(自己実装) | 対称:身を引く vs 数で決める |
| #3 ハルカに票(数で並べる) | jun-03 弟と同期しない(数で説明できない) | 逆転:互いに自分の立場の外側に踏む |
| #4 おばあちゃんに聞こう(介入) | jun-04 サイドバック(データを渡す) | 共鳴:両者が家族を救う、別の方法で |
| #5 第四の選択肢 | jun-05 最適解(避難経路) | 共鳴:両者が「枠を変える/最適化する」 |
| #6 言葉が地図になる | jun-06 誤差の中に | 共鳴:合理性の限界の認め方が違う形で出る |
| #7 一緒に考える(ミウ) | — | アヤの内側の友人 |
| #8 病室、世代を渡される | — | アヤの直接の家族 |
| #9 先生再訪 | jun-07 図書室、交差 | 合流:シリーズが交わる |
共通する伏線:先生(鈴木先生)の三引用句——「数にしたくない、というのも、ひとつの立場」「結果として、誰かに先に届き、誰かに後で届く」「納得しないまま、考え続ける、というのが、いちばん、倫理に近い態度」。これらが両クラスで言われ、両者の中で、別の形で、立ち上がる。
当初、ジュンのシリーズは5話の予定だった。しかし、執筆の途中で、シリーズは2話分、拡張された。
最初の拡張(5話→6話):読者の指摘「もっと早めに功利主義者が輝くエピソードを入れたい」。これで jun-05『最適解』が、防災訓練の経路最適化として、新たに書かれた。
ふたつ目の拡張(6話→7話):読者の指摘「功利主義者が輝く話をエモく1話」「落とし所が心配」。これで jun-06『誤差の中に』が、ハルの初試合の前夜と当日として、新たに書かれた。
結果として、ジュンの輝きは、jun-04(家族)→jun-05(学校全体)→jun-06(最も親密な関係)の三段階で、徐々に深まる構造になった。当初の5話構造では、ジュンは「揺らいで終わる」だけになるリスクがあった。それは、功利主義に対して、不公平だった。
7話で閉じたのは、シリーズの構造的美しさを保ちつつ、両倫理観の対称性を実現できる最小の長さだったからである。これより長くすると、フォーマットが疲弊する。これより短くすると、功利主義の輝きが、立ち上がらない。
本シリーズで、書き手が最も伝えたかったことは、ひとつである:
功利主義は、冷たい計算ではなく、感情の別の形である。
jun-04 でジュンが「分析は、愛だ」と書いた一行が、本シリーズの結論を、すでに、含んでいた。ジュンは、ハルを抱きしめることや、肩を叩くことや、長い言葉で慰めることは、できない。けれど、過去の試合データを集めて、表とグラフを作って、結論を提示することは、できる。これは、感情の代替ではない。これは、ジュンの、感情の、形だった。
感情の表現の形が、人によって違う、ということを、本シリーズは、ジュンの言葉と所作で、丁寧に立ち上げた。
これは、サンデルが『これからの「正義」の話をしよう』で論じた、功利主義 vs 義務論の対立を、別の角度から、受け止め直す試みでもあった。サンデルは、義務論や徳倫理を、しばしば、功利主義への対抗軸として描く。本シリーズは、両者を、対立する勢力ではなく、異なる感情の形として、並列する立場をとった。
「揺らぎは、似ていた。形は、違うままで、いい」——これが、本シリーズが、最後に、たどり着いた、結論である。
本シリーズには、書き手として、十分に切り込めなかった領域が、ある。統計的差別の問題である。
たとえば、jun-02『悪くない、合理的なだけ』に登場する数学研究会の六人——タイラ、ノブ、ハルカ、ミナ、サトル、それとジュン——のメンバー構成を、読者は、どう、受け取っただろうか。
「数学研究会だから、男子が多そう」と、ぼんやり、想像した読者が、いるかもしれない。実際には、ハルカとミナという二人の女性メンバーがいる設定だが、カタカナ表記の名前だけで性別を、即座に、判別する読者は、たぶん、それほど、多くない。「ハル」「ミナ」「サトル」が、それぞれどの性別か、確信を持って読まれているかは、書き手にも、保証できない。
もうひとつ。jun-02 で、計算の手間に、最初に「めんどくさい、けど、計算してくれるなら、まあ」と、口を開いて受け入れの方向に動かした発話者は、ハルカ(女性メンバー)だった。けれど、その一言が、女性の発話として、読者に届いたかどうかは、わからない。会話の中で、はっきりと意見を言ったり、議論を動かしたりするのが、男性キャラだ、と、無意識に、読者が、想像していたとしても、本シリーズは、そこに、十分な抵抗線を、引けてはいない。
「数学=男性が多い領域」「議論を主導するのは男性」というような印象は、現実の統計的偏りを反映した、自然な認識として、読者の中を、すり抜けていきがちである。すり抜けていく、ということは、それが、統計的差別の温床になる、ということでもある。実態としての偏りを、当然のものとして受け入れ、個別の場面で、別の可能性を、見逃すこと——これが、統計的差別が、差別と捉えられないまま、再生産される、メカニズムである。
本シリーズは、この問題に、正面から、切り込めていない。書き手として、自覚している、限界である。
ただし、限界として、放置するつもりも、ない。今後のシリーズ(または、続編)で、読者が、自分の中の、統計的差別への、無意識の前提に、自覚的に、なってもらえる仕掛けを、設計する予定である。たとえば、ハルカやミナが、議論の中心に立つ場面。男性メンバーが「自分は、計算が苦手」と、率直に、告白する場面。または、ハルカが、地区の数学コンテストで、グループの中から、毎年、本選進出を、続けている、という地味な事実。これらが、続編の中で、別の角度から、立ち上がる予定である。
本シリーズの、ハルカ・ミナの存在は、続編への、伏線として、配置されている。読者が、二度目の読みで、「あ、ハルカは、最初から、いた」と、気づく場面が、来年、または、再来年、書かれる、はずである。
それまでは、本シリーズは、未完の、自己点検として、ここに、置かれている。
本シリーズと、アヤのシリーズの、両方を読み終えた読者には、以下の楽しみが、待っている。
本シリーズは、アヤのシリーズの「対」として書かれたが、同時に、独立した一篇としても完結している。どちらから読み始めても、二度目の読みで、もう一方が、新しい光で、立ち上がる、設計になっている。
立場が、違う相手と、話して、揺らぎが、似ていた、と知る。けれど、形は、違っていた。違うまま、それぞれの場所で、それぞれの形で、考え続ける。
これが、両シリーズが、最後に、読者と、交わしたい、応答である。
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