中島、高校二年、四組。バスケ部、控え。木曜の倫理の授業で、隣の席のやつのことを、考えた、その日の、放課後。バスケ部の練習が、終わって、体育館の、奥の、用具室で、用具を、片付けていた。一年生が、ひとり、横で、ボールを、ネットに、戻していた。
木曜の練習は、四時から、六時半まで。終わると、二、三人ずつ、班を組んで、用具を、片付ける。コーン、ビブス、ボール、スコアボード、雑巾。慣れた手順で、十分くらいで、終わる。
俺は、いつも、用具室の、当番だった。控えの、中堅。一年生の、誰かと、二人で、ボールの数を、確認する。
今日は、ヤマモトと、当番だった。ヤマモトは、一年生。最近、入部した、というわけじゃない。一年の頭から、続けている。けれど、半年たって、まだ、レギュラーには、入っていない。同期の中で、いちばん、最後まで、残って練習している、と、コーチが、言っていた。
「中島さん、ボール、十六個、あります」と、ヤマモトが、言った。
「うん、合ってる」と、俺は、答えた。スコアシートを、確認した。十六個、で、合っていた。
用具室の、明かりを、消そうとして、ヤマモトが、何かを、言いたそうにしている、ことに、気づいた。
俺は、明かりを、消すのを、やめた。
「中島さん」
「うん」
「俺、向いてないと、思うんですよね」
ヤマモトの声は、平らだった。困っている、というよりは、事実を、述べている、という感じの、声。けれど、平らな声で、こういうことを、言うのは、たぶん、簡単じゃ、ない。
俺は、何も、言わなかった。
言わなかった、というのは、たぶん、言葉が、出てこなかった、ということだった。すぐに、答えるべき、答えが、頭の中に、なかった。
ヤマモトは、ボールの、ひとつを、両手で、持った。
「半年、やってきて、レギュラーには、まだ、なれてない。同期の、サワダは、もう、レギュラーで、ヤナギも、ベンチには、入ってる。俺だけ、ずっと、ここで、ボールを、数えてる」
「うん」
「中島さんは、二年生で、控えで、もう、上げてもらえる、見込みは、ない、ですよね」
ヤマモトは、それを、責めるように、言ったわけじゃ、なかった。事実として、言った。事実として、聞いた俺も、否定する、気は、なかった。
「うん」
「中島さんは、なんで、続けてるんですか?」
俺は、即答できなかった。
「続けてる、理由」というのを、考えたことが、あるか、と問われると、たぶん、ない。なんとなく、続けている。やめる、きっかけが、ないから、続けている、という言い方が、いちばん近い。
けれど、それを、ヤマモトに、答えたら、たぶん、違う。「やめる、きっかけが、ないから」は、「続ける、理由」とは、違う。それを、答えにしてしまうと、ヤマモトの、いまの、悩みに、応えていない、ように、見える。
応えていない、ということは、避けたい。けれど、嘘の、理由を、作って、答えるのも、違う。「努力は、報われる」とか、「続ければ、見えてくる」とか、そういう、励ましの、言葉を、組み立てて、ヤマモトに、押しつけるのは、たぶん、違う。
俺は、ボール用のかごの、端を、軽く、握った。それから、ゆっくり、答えた。
「分からない」
ヤマモトは、ボールを、両手で、抱えたまま、俺の方を、見た。
「分からない、というのは、続けてる、理由が、分からないってこと、ですか」
「うん」
「分からないのに、続けてるんですか」
「うん」
ヤマモトは、しばらく、何も、言わなかった。それから、少し、笑った。
「中島さんって、答えてないですよ」
「答えてないかも、しれない」
「答え、ほしかった気が、する、けど、答えがない、というのを、見せられて、なんか、ちょっと、楽になった」
俺は、頷いた。頷きながら、なぜ、楽になった、と、ヤマモトが、思ったのか、考えた。たぶん、答えを、押しつけられなかったから、だと思う。「向いてないと思う」と言ったヤマモトに、俺が、「向いている」とか、「向いていない」とか、判定を、出さなかったから、だと思う。判定を、出さない、ということを、ヤマモトは、楽だ、と感じた。
「明日も、練習に、来る?」
俺は、ヤマモトに、聞いてみた。聞いてから、これは、押しつけだろうか、と、思った。来ない、と、ヤマモトが言ったときに、それを、責める、ニュアンスに、聞こえないか。
「来ます」と、ヤマモトは、言った。
「うん」
「明日、決められない、です。とりあえず、明日は、来ます」
「とりあえず、明日」
「明後日のことは、明日、考えます」
「うん」
俺は、用具室の、明かりを、消した。ヤマモトと、一緒に、外に、出た。
体育館の、入り口で、ヤマモトは、「お疲れさまでした」と、言った。
「お疲れ」と、俺は、答えた。
ヤマモトは、自転車置き場のほうに、歩いていった。俺は、駅のほうに、歩いた。
家までの、道を、歩いた。九月の、夕方は、まだ、明るかった。
頭の中で、ヤマモトの言葉と、自分の、答えを、繰り返した。
「向いてないと、思うんですよね」と、ヤマモトは、言った。俺は、「うん」と、答えた。「中島さんは、なんで、続けてるんですか?」と、聞かれた。俺は、「分からない」と、答えた。
分からない、と答えたのは、たぶん、誠実だった。続けている、理由を、無理に、組み立てて、答えるよりは、分からない、と答えるほうが、ヤマモトに、嘘を、つかなかった。
嘘を、つかない、ということは、ヤマモトに、応えた、ということなのか、応えなかった、ということなのか、よく、わからなかった。
けれど、ヤマモトは、「楽になった」と、言った。楽になった、というのは、こちらが、何かを、伝えた、ということだった。何を、伝えた、かは、たぶん、言葉では、ない。「答えを、押しつけない」ということ自体が、ひとつの、応え、だった。
応える、というのは、答えを、出す、ことだけでは、ないらしい。答えを、出さない、ことも、応える、ということに、なる場合が、ある。
家に着いて、自分の部屋に、戻った。机の上に、昨日の倫理のプリントが、まだ、置いてあった。トロッコ問題のプリント。
隣の席のやつは、今日も、休みだった。
けれど、明日の朝も、俺は、空いていない席に、おはよう、と、言える、状態で、教室に、行く。空いていたら、空いている、と、見て、明日も、来なかったら、明後日また、おはよう、と言うことを、思い出す。
これが、隣の席のやつへの、俺の、応えだった。
そして、ヤマモトへの応えは、明日の練習で、いつも通りに、ヤマモトに、声をかけることだった。「お疲れ」と、練習の終わりに、言うこと。「ボール、数えるか」と、当番のときに、言うこと。「来てるか」と、来ていない場合に、心の中で、思うこと。
言葉を、たくさん、用意することは、たぶん、必要ない。いつも通りに、続けることだけが、俺の、応えの、形だった。
続ける、というのは、簡単じゃ、ない。けれど、続ける以外の、応えの、仕方を、俺は、まだ、見つけていない。
夜、ベッドで、天井を、見ていた。
「うん」だけで、応えた、今日の用具室を、思い出した。
「うん」というのは、たぶん、応える、という言葉の、いちばん短い、形だった。「うん」と言う、ということは、相手の言葉を、聞いた、と、伝えること。判定もしない、解釈もしない、ただ、聞いた、と、伝えること。
聞いた、と、伝えるだけ、で、応えになる、という場面が、ある。応えとして、足りない、と感じる場面も、もちろんある。けれど、ヤマモトとの、今日の場面では、たぶん、足りていた。
足りていたかどうかを、判定するのは、たぶん、ヤマモト本人。俺じゃない。俺は、ヤマモトが「楽になった」と言った、その言葉を、信じる。信じる、というのも、応えの、ひとつの、形なのかもしれない。
明日も、練習がある。ヤマモトは、来る、と、言った。俺も、行く。
続ける。それしか、できない。続けることだけは、できる。
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【中島のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第2話。中島は、バスケ部の後輩ヤマモトに「向いてないと思う」と打ち明けられ、即答もせず、励ましもせず、ただ「うん」と「分からない」で応えた。ヤマモトは「楽になった」と言う。「答えを出さないことも、応えること」「聞いたと伝えるだけで、応えになる場面がある」というケアの倫理の発見。茅野の「型を続ける」と、形は違うが、「続けること」だけは、共通している。