中島、高校二年、四組。バスケ部の練習が休みの、金曜の夜。家に帰って、リビングで、宿題をやっていた。妹は、テレビの前の、ソファに、座って、何かのバラエティ番組を、見ていた。中学三年、受験生、のはずだけど、家での妹は、あまり、勉強している風には、見えない。
「あ、そういえば、お兄ちゃん」と、妹が、テレビを見ながら、言った。
「うん」
「今日、隣のおばあちゃん、また、ゴミの日、間違えてた」
「そう」
「燃えるゴミの日に、缶を、出してた」
「うん」
「私、気づいて、家に持って帰るのを、ちょっと、手伝った」
俺は、宿題のペンを、止めた。
「お前、よく、気づくな」
「ふつう、気づくよ。お兄ちゃん、気づかないの?」
「気づかない」
「お兄ちゃんは、たぶん、見てないんだよ。私、毎日、犬の散歩で、おばあちゃんちの前、通ってるから」
妹は、テレビの方に、視線を、戻した。話は、たぶん、それで、終わり、と、妹は、思っていた。何も、深いことを、言ったつもりは、ない。
俺は、宿題には、戻れなかった。
隣のおばあちゃんが、年配で、ひとり暮らしだ、ということは、知っていた。母が、何度か、話していた。「お隣のおばあちゃんが」「お一人で」「気をつけて」というような、断片の話を、家族の食事のときに、聞いていた。
けれど、それを、聞いたあとで、俺は、隣のおばあちゃんを、自分の目で、見たことが、たぶん、ない。お盆や、お正月の挨拶のときに、玄関先で、お辞儀をする。それくらい。それ以外の、ふだんのおばあちゃんの、生活を、俺は、見ていない。
見ていない、というのは、関心がない、という意味では、たぶん、ない。関心がない、わけじゃない。けれど、見るための、機会が、俺の、生活の中に、ない。家を、出るのは、朝、学校に行くときと、夕方、部活が終わって帰るとき。隣の家の、玄関の前を、通り過ぎる、その、数秒。それで、おばあちゃんの、ふだんの様子が、目に入ることは、たぶん、ない。
妹は、犬の散歩で、毎日、おばあちゃんの家の前を、通っている。犬を、立ち止まらせる時間が、ある。妹の、視線が、おばあちゃんちの方を、向く瞬間が、たぶん、何度も、ある。
俺と、妹は、同じ家に、住んでいて、隣のおばあちゃんを、知っている、という条件は、同じ。けれど、見ている時間と、見ていない時間が、まったく、違っていた。
俺は、ペンを、置いて、妹に、もう一度、聞いた。
「お前、ふだんから、おばあちゃんちのこと、気にかけてるのか?」
妹は、テレビを、ちらっと、見て、それから、こちらに、振り向いた。
「気にかけてる、というか、見てる」
「見てる」
「うん。お母さんが、心配してたから、私も、気になって、犬の散歩のとき、ちょっと、見るようにしてる」
「いつから?」
「半年くらい前から、かな。お母さんが、ある日、夕食で、『お隣のおばあちゃん、最近、足、悪くなってきたみたい』って言ったから、それから、見るようになった」
「お母さんが、言ったから」
「うん。私、それ、気になっちゃう」
俺は、しばらく、何も、言わなかった。
母が、夕食の場で、隣のおばあちゃんの話を、したことを、俺も、たぶん、聞いていた。聞いていた、はず、なのに、俺は、覚えていなかった。覚えていなかった、というよりは、聞いた瞬間に、頭の中の、別のところに、流れていって、戻ってこなかった、という感じ、だった。
妹は、聞いた瞬間に、自分の、毎日の散歩の、ルーティンと、結びつけて、見るように、なった。
同じ言葉を、聞いて、別の行動に、つながった。妹のほうの行動が、俺のほうの「何もない」よりも、たぶん、ケアの、形に、近かった。
「お兄ちゃん、なんで、急に、聞くの?」と、妹が、言った。
「いや、ちょっと、考えてた」
「何を?」
「俺は、隣のおばあちゃんを、見てない、ってこと」
「見てなくて、いいよ。お兄ちゃんには、お兄ちゃんの、見る場所があるでしょ」
「俺の、見る場所」
「学校の、何か」
俺は、頷いた。
頷きながら、頭の中で、隣の席のやつのことを、思い出した。それと、バスケ部のヤマモトのこと。俺が、見ている場所は、たぶん、そこだった。
妹は、たぶん、犬の散歩道の、隣のおばあちゃん。クラスの、何人かの、友達のこと。家のなかの、お母さんと、お父さんと、俺の、様子。妹が、見ている場所は、妹の、生活の、動線の中に、ある。
同じ家に、住んでいる、二人なのに、見ている場所が、違う。違う場所を、見ている、ということが、たぶん、悪いこと、ではなかった。むしろ、家族の中で、二人が、別々の場所を、見ているから、見落とす、場所が、減る、ということだった。
妹が、隣のおばあちゃんを、見ている。俺が、隣の席のやつを、見ている。母が、たぶん、家族全体を、見ている。父も、それぞれ、自分の、見る場所が、ある。
見る場所を、共有する必要は、たぶん、ない。共有しない方が、見落としが、減る。家族の中で、それぞれが、自分の、見る場所を、続けている。続けている、ということが、たぶん、家族の、ケアの、形だった。
俺は、明日から、隣のおばあちゃんを、自分の目で、見るように、しようか、と、一瞬、考えた。妹に、倣って、自分も、見る場所を、増やそう、と、思いかけた。
けれど、止めた。
止めたのは、妹のケアを、邪魔したく、なかったから、だった。隣のおばあちゃんは、妹の、見る場所だった。俺が、急に、見るようになったら、おばあちゃんに、二重に、視線が、向くことに、なる。それは、たぶん、おばあちゃんに、とって、必要な、ことじゃ、ない。妹の、ふだんの、見方で、おばあちゃんの、様子は、十分、見られていた。
俺は、自分の、見る場所で、続ければ、いい。隣の席のやつ。ヤマモト。それから、これから、見るようになるかもしれない、誰か。
妹に、倣わない、というのも、ケアの、ひとつの、形だった。
ケアは、独占するもの、ではない。ケアは、分担するもの、でも、ない。分担、という言葉も、ちょっと、違う気がした。分担、というと、自分が、ある区域を、担当して、別の人が、別の区域を、担当する、というイメージに、なる。妹と、俺の関係は、たぶん、そうじゃ、ない。
妹は、自分の、生活の、動線で、見る。俺は、自分の、生活の、動線で、見る。動線が、違うから、見える場所も、違う。見える場所が、違うから、ケアの場所も、違う。
これは、分担、というよりは、それぞれが、自分の、生活を、続けている、ということだった。続けている結果として、それぞれが、それぞれの、見る場所を、持っている。持っている見る場所で、ケアが、ふっと、立ち上がる。
夜、ベッドで、天井を、見ていた。
妹の、犬の散歩は、たぶん、続く。隣のおばあちゃんは、たぶん、また、ゴミの日を、間違える。妹は、たぶん、また、気づく。家に持って帰るのを、手伝う。
俺は、たぶん、明日も、隣の席のやつが、来なかったら、空席を、見る。バスケ部のヤマモトに、明日の練習で、いつも通り、声をかける。
俺と、妹の、続けている、ことは、別々の場所だけど、続けている、ということ、では、似ている。続けている人が、家族の中に、二人、いる。いや、たぶん、母も、父も、それぞれの、見る場所で、続けている。家族の、四人が、それぞれ、別の場所を、見ている。
家族、というのは、見る場所を、共有する集団、ではなくて、別々の、見る場所を、持つ、集まり、なのかもしれない。見る場所が、別々だから、家族は、世界の、いろんな場所に、目を、向けることが、できる。
これは、家族の、不思議な、強さ、だった。
強さ、と書いて、すぐに、消したくなった。強さ、というのは、たぶん、強すぎる。ただ、別々の場所を、見ている、というだけ、だった。それで、十分だった。
明日、また、自分の、見る場所を、見る。妹も、自分の、見る場所を、見る。それぞれが、続ける。続けることだけが、できる。
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【中島のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第3話。中島は、妹のひと言で、自分が見ていない場所があることに気づく。妹は、犬の散歩道で、隣のおばあちゃんを毎日見ていた。同じ家に住んでいて、隣のおばあちゃんを知っている条件は同じだが、見ている時間と見ていない時間が違う。「ケアは独占しない、分担もしない、それぞれが自分の生活の動線で見る」という発見。妹に倣わない、というのも、ケアの形のひとつ。家族は、別々の見る場所を持つ集まり。