「やっぱり」の、ふたつ(v2)
アヤのことばのメモ #3・書き直し

小川アヤ、高校二年、一組。日曜の夕方、私鉄の各駅停車の電車のなか。窓の外は、住宅街と、その向こうの低い山。山の輪郭の上に、薄いオレンジが、引かれていた。

向かいの席

四人がけのボックス席に、私はひとりで座っていた。次の駅で乗ってきた高校生の女の子が、私の向かい側に、斜めに座った。制服は知らない学校のもので、リボンが私たちの学校より太かった。鞄を膝に置いて、片手でスマートフォンを耳に当てた。

電話の相手は、たぶん、友達だった。声は近くて、小さくはなかった。聞こうとしなくても、聞こえた。

「うん、うん」と、何回か頷いてから、女の子は「やっぱり、行く」と言った。

「やっぱり」のあとに、ちいさな間があって、それから「行く」が、はっきり、出た。電話の向こうの相手が、何かを言って、女の子は「うん、ごめん。やっぱり行きたいから」と、もう一回、ことばをつないだ。それから「明日の夕方ね、駅で」と言って、電話を切った。

運んでいる三音

女の子は、スマートフォンを膝の上に置いて、窓の外を見た。窓ガラスに、女の子の顔が、薄く映っていた。私の顔も、別の角度で、少し映っていた。映った二つの顔は、お互いを見ていなかった。

女の子の「やっぱり、行く」の三音と二音が、私の頭のなかに、薄く、残った。残ったのは、私が言った言葉ではなくて、向かいの席の女の子の言葉だった。私の言葉ではないものが、私の頭のなかに残るのは、めずらしいことではない。電車のなかで、コンビニのレジで、教室の廊下で、私はいつも、誰かの言葉を、ちょっと、預かってしまう。預かっているうちに、誰の言葉だったか、わからなくなる。わからなくなったまま、忘れる。忘れて、別の言葉に、入れ替わる。

女の子の「やっぱり、行く」を、私は、いま、預かっていた。何の用事にも使えない、他人の三音と二音だった。使えないけれど、預かっている、ということだけは、頭のはじっこで、わかっていた。

三駅進んで、女の子は、立ち上がった。鞄を肩にかけて、ドアの前に立った。ドアが開いて、女の子は、降りていった。残された四人がけのボックス席に、私はひとりで残った。残されたのは、座席だけではなくて、女の子の「やっぱり」の三音もだった。三音は、女の子と一緒には、降りていかなかった。

私の駅

四駅先で、私の最寄りの駅に着いた。電車を降りて、改札を抜けた。改札の外で、立ち止まったりはしなかった。立ち止まる用事はなかったし、立ち止まる癖も、私にはなかった。そのまま、駅前の小さなロータリーを横切って、住宅街への道に入った。

歩きながら、私は、女の子の「やっぱり」のことを、もう一度、思い出した。「やっぱり、行く」は、たぶん、女の子が前に「行かない」のほうに、いったん振れていた、という前提があって出ていた。前提は、私には、わからない。電話の冒頭の「うん、うん」のなかに、その前提があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。

わからない前提を、私は、推し量らないことにした。推し量ると、向かいの席の女の子に、私の解釈が、勝手に貼りつく。貼りついた解釈は、女の子には届かないので、女の子のほうは困らない。困るのは、私のほうだった。私の頭のなかで、女の子が、私の解釈の人物として、変形していく。変形した女の子は、もう、向かいの席に座っていた女の子ではなかった。

変形させない、というのは、預かった三音を、預かったまま、形を変えずに、置いておく、ということだった。置く場所は、私の頭のなかの、用事に使わない棚。その棚には、たぶん、いくつか、別の人の別の言葉も、並んでいる。並んでいるけれど、ふだんは、棚の扉を開けない。

犬とすれ違う

住宅街の二つ目の角を曲がったところで、犬を連れた男の人とすれ違った。犬は、茶色い小型犬で、リードを少し引っ張って、ぐいぐい歩いていた。男の人は、犬のうしろを、ゆっくりついていった。

犬は、私のほうをちらっと見て、目が合いかけて、すぐに次の電柱のほうに視線を移した。電柱のところで、犬は、立ち止まって、においを嗅ぎ始めた。男の人は、立ち止まった犬の背中を、ちょっと、待った。

その「ちょっと、待った」の数秒のあいだ、私は、男の人と犬の横を、通り過ぎた。通り過ぎながら、私の頭のなかで、女の子の「やっぱり」の三音が、ふっと、棚の手前のほうに、出てきた。出てきたあと、犬がにおいを嗅ぎ終わって歩き出すのと、ほぼ同じタイミングで、棚の奥に、戻っていった。

戻っていった、ということは、女の子の三音は、まだ、私のなかにあった。あった、けれど、私は、それを使わない。使わないまま、家まで、もう三百メートルくらい歩いて、玄関に着くだろう。着いたあと、たぶん、夜のあいだに、女の子のことは、忘れる。忘れたあと、棚に並んだ言葉が、ひとつ、増えたか、増えなかったか、私には、わからない。わからないままで、いい。家までの道の最後の角で、夕方のオレンジは、もう、山の上から、引かれていなかった。

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本作はアヤのシリーズ番外編「アヤのことばのメモ」第三作の書き直し版(v2)。v1の「ロータリーのミユ→夜のダイニングの母→自室の机のノート」の三場面を、日曜夕方の電車のなかの一場面に絞った。母「やっぱり、お父さんに似てるね」のキメ台詞、ミユの再構成セリフ、ノート→本の閉じ方、英訳ペア(after all / I knew it)、「翻意の/確認の」の二項分類、を、すべて撤去。代わりに、向かいの席の見知らぬ高校生の「やっぱり、行く」を、アヤがただ預かる、という一動作に絞る。預かった三音は、何の用事にも使わない。住宅街で犬とすれ違うところで、棚の奥に戻る。お父さんも出さない。義務論者アヤの「他人のことばを使うことに慎重である」性格を、内省ではなく、聞く・運ぶ・忘れる、の動作の連続で書く。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。