火曜の三限、もう一度
アヤと、倫理の先生——トロッコ問題シリーズ #9(終話)

小川アヤ、高校二年。三週間と少し前、倫理の授業でトロッコ問題を知った。納得できずに、放課後、先生に質問しに行った。今日、火曜の三限のあと、もう一度、職員室の前に立っている。

三限の終わり

火曜の三限の倫理の授業が、終わった。今日の授業は、トロッコ問題の続きでも、なかった。別の単元の話だった。私は、ノートを取りながら、ときどき、三週間のことを、思い出していた。

授業の終わり、先生が、教室を、出ていく前に、私のほうを、ちらっと、見た気がした。気がした、だけかもしれない。

放課後、私は、職員室の前で、しばらく、迷った。前に立ったときと、同じ場所。違うのは、私の中に、話したいことが、たくさん、ある、ということだった。

「失礼します」と、扉を、開けた。

あ、小川さん

先生は、お茶を、飲んでいた。三週間前と、同じように。

先生あ、小川さん、どうしました

アヤあの、トロッコ問題のこと、もう一度

先生トロッコ問題? また?

アヤ三週間、考えてました

先生三週間

アヤいろいろ、ありました

先生いろいろ

先生は、湯呑を、置いた。私のほうに、椅子を、ひとつ、向けた。

先生座って

アヤはい

三週間の話

アヤあの日、職員室を出て、帰り道で、犬と猫を、見ました

先生犬と猫

アヤ犬が猫を追いかけていて、私は、止められたかも、しれませんでした

先生でも

アヤ動かなかったんです

先生うん

アヤ動かなかったことも、選択でした。気づいたのは、家に帰ってからでした

先生そうですね

先生は、頷いていた。

アヤ次の週、朝の駅で、ベビーカーのお母さんと、車椅子のおじいさんが、譲り合っていました

先生うん

アヤ私、「階段使います」と言って、その場から、引きました

先生引いたんですね

アヤ数を比べないで、配分する方法が、あるかもしれない、と思いました

先生譲り合い

アヤはい

短い間。

アヤクラスで、合唱コンクールの指揮者を、投票で、決めました

先生投票

アヤ白票を、考えましたが、結局、ハルカ、と書きました

先生うん

アヤ「数にしたくない」と先生に言ったその私が、数で並べる側に、立ちました

先生立ったんですね

アヤ立ちました。立ったあとで、選ばれなかった子の、口元が、ほんの少しだけ、堅かった気がしました

先生気がした

アヤ気がしただけかもしれないのに、それを、覚えています

先生そう

家族のこと

アヤ家族で、おばあちゃんの介護のことを、相談しました

先生介護

アヤAホームとBホームと、家に来てもらうか、の三択でした。私、お父さんに、おばあちゃんに、自分でどう思ってるか、聞いた? って、言いました

先生言ったんですね

アヤお父さんが、おばあちゃんに、電話しました。おばあちゃんは「岐阜にいる、もうちょっと」と、答えました

先生第四の選択肢

アヤ第四の、選択肢でした

先生続けてください

アヤその翌週、おばあちゃんが、転びました

先生の表情が、少し、動いた。

アヤ命に別状はなかったですが、意識が、戻ったり戻らなかったり、しました。家族会議で、私たちは、おばあちゃんの「岐阜にいる、もうちょっと」を、地図に、しました

先生地図に

アヤ本人に聞けないとき、最後に聞いた言葉が、地図になりました

先生……

アヤ聞いておくこと、というのは、未来の自分の代わりに、過去の自分の声を、残しておくこと、なのかもしれない、と思いました

先生そうですね

ミユと、おばあちゃん

アヤ金曜、テストのあと、親友のミユに、ぜんぶ、話しました

先生話した

アヤミユが、聞いてくれました。「分かる、けど」と、ミユは、言いました

先生分かる、けど

アヤ一緒に、考える、というのは、答えを一緒に出すことではなくて、答えがないものを、一緒に、抱えていく、ということでした

先生抱えていく

アヤ抱えていく、です

短い間。

アヤ昨日、おばあちゃんが、目を、覚ましました。私と、二人だけで、しばらく、話しました

先生うん

アヤおばあちゃんが、「ありがとうな」「何が」「何かは、分からんけど」「いつでも」「いつでも」と、私と、言葉を、交わしました

先生……

アヤその「いつでも」は、ミユから覚えた言葉でした。それが、おばあちゃんの口で、立ち上がりました

先生渡された

アヤはい。渡されました。たぶん、渡されたものを、私は、また、誰かに、渡すのかもしれません

納得しないまま

先生は、しばらく、何も、言わなかった。お茶を、ひとくち、飲んだ。

先生小川さん

アヤはい

先生三週間で、ずいぶん、考えましたね

アヤ考えました

先生トロッコ問題の答えは、出ましたか

アヤ出ません

先生そうですか

アヤ出ませんけど、出ないまま、考え続けることが、できる、と思いました

先生……

アヤ考え続けるのは、ひとりじゃなくても、いいと、思いました

先生一緒に、考える

アヤ一緒に、考える

短い間。先生は、湯呑を、両手で、軽く、包んでいた。

先生小川さん、私は、最初の日に、こう言いました。「納得しないまま、考え続ける、というのが、いちばん、倫理に近い態度です」と

アヤはい

先生あなたは、それを、三週間で、形に、しましたね

アヤ形に

先生形に、しました。考え続けただけじゃなくて、形に、しました

アヤ……

先生納得は、まだ、しないでいてください

アヤ納得しないまま、考え続けます

先生それで、いいんです

職員室を、出る

私は、お辞儀をして、職員室を、出た。

三週間と少し前、同じ扉から、納得しないまま、出ていった。今日も、扉を出る前に、振り返った。先生は、湯呑を、片付けていた。先生も、こちらを、見た。何も言わずに、軽く、頷いた。

私も、軽く、頷いた。それから、扉を、閉めた。

廊下に、夕方の光が、斜めに、入っていた。

帰り道

住宅街を、歩いていた。三週間前、私は、この同じ道で、犬と猫の場面に、出会った。動かなかった、ということが、選択だった、と気づいた。

今日、同じ道を、歩いている。今日は、犬も、猫も、いなかった。風だけが、新緑の葉を、揺らしていた。葉は、もう、深い緑になっていた。

三週間で、何が、変わったか。

変わったのは、たぶん、私の手元の、語彙だった。「動かないことも選択」「譲り合い」「数で並べる場」「本人に聞く」「第四の選択肢」「最後に聞いた言葉が地図になる」「一緒に考える」「渡し合う」。これらは、三週間前の私の中には、なかった言葉だった。

これらの言葉が、私の中に、たくさん、ある、ということが、今日の私の状態だった。

この状態で、これから、たくさんの場面に、出会う。出会った場面で、私は、これらの言葉を、使おうとする。使えば、たぶん、また、新しい言葉が、増える。新しい言葉が増えれば、また、新しい場面に、出会える。

納得は、まだ、していない。ただ、納得していない、というのが、私の倫理に、なりかけている。

部屋で、夜

家に帰って、自分の部屋で、ベッドに寝そべって、天井を見ていた。

天井には、まだ、何も、書かれていない。

三週間と少し前、私は、同じ天井を、同じように、見ていた。あのときの天井と、今夜の天井は、たぶん、同じ天井だった。けれど、見ている私は、少しだけ、違っていた。

同じ天井を、違う私が、見続ける。

明日、また、火曜が、来る。火曜の三限が、来る。先生は、別の単元の話を、するかもしれない。トロッコ問題には、もう、戻らないかもしれない。それでも、私は、火曜の三限が、好きだった。

納得しないまま、考え続けます。

と、先生に、言った。先生は、それで、いいんです、と、言った。

それで、いいんです、というのを、私は、これから、たぶん、何度も、思い出す。

明日が、来る。

天井には、まだ、何も、書かれていない。

書かれていないまま、明日が、来る。

トロッコ問題シリーズ・完

ネタばらし:トロッコ問題シリーズの種明かし——九話で何を書こうとしたか
パラレル新シリーズ:答えは、出る(同じ三週間を、二組のジュン視点で。功利主義の立場、即答する側)
交差編:揺らぎは、似ていた(本話の十日後、図書室で、アヤがジュンと出会う、両シリーズの合流)
← 前話:目を、開けた(病室、トロッコ問題シリーズ #8)
← シリーズ #7:一緒に、考える
← シリーズ #6:もうちょっと、を、続ける
← シリーズ #5:岐阜にいる、もうちょっと
← シリーズ #4:おばあちゃんに、聞こう
← シリーズ #3:指揮者を、選ぶ
← シリーズ #2:お先にどうぞ
← シリーズ #1:先生、納得がいきません
← 関連:ミユがサカモトだったときのこと(アヤの独白)
← 関連:会話劇五景——シリーズの裏の狙い
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本作はシリーズ第9話、終話。アヤが倫理の先生に再度、三週間の発見を語り、シリーズの円環が閉じる。「納得しないまま、考え続けます」というアヤの言葉と、先生の「それで、いいんです」がシリーズの最後の応答となる。シリーズは閉じるが、アヤの考えは続く。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。