どっちでもいい、と言われると
アヤのことばのメモ——アヤのシリーズ番外編

小川アヤ、高校二年、一組。火曜の三限の倫理のあと、お弁当を持って、ミユと中庭のベンチに移った日のこと。中庭の桜は、もう、葉ばかりになっていた。

お昼を、どこで

「お昼、どこで食べる」と、ミユが、お弁当袋を片手に提げた。教室、購買の前の踊り場、中庭のベンチ。選択肢は、いくつか、あった。

「どっちでもいいよ」と、私は、言いかけて、言わなかった。口の中に、その言葉が、いったん、出かかって、出る前に、引っ込めた。

結局、私は「中庭、行こうか」と、自分から、言った。ミユは「うん」と頷いた。ベンチに二人で並んで座って、お弁当を、開けた。

引っ込めた、理由

玉子焼きを、箸で、半分に切りながら、私は、さっき、引っ込めた言葉のことを、考えていた。

「どっちでもいい」と、ミユに返したとして、ミユは、たぶん、困らない。「じゃあ、中庭で」と、ミユが決めて、それで、終わる。

けれど、ミユは、本当は、購買の踊り場で食べたかったかもしれなかった。中庭は、風が、強い日があるから。「どっちでもいい」と私が言って、ミユが「中庭」と決めたとき、ミユの中で、購買の踊り場の希望が、ちいさく、削れる、ような気がする。

削れる、というのは、結果には、出ない。お弁当を、二人で、食べて、五限のチャイムまでに、教室に、戻る。それで、終わる。

結果に出ない削れを、私は、選びたくなかった。だから、引っ込めて、自分から「中庭」と決めた。私が決めることで、ミユの中のもしあったかもしれない希望は、削られないまま、残る。残ったまま、「中庭でも、いいよ」と、選び直される。選び直された希望は、削れない、と、私は、思っている。思っているだけで、確かめていない。

夕飯、なんでもいい

「どっちでもいい」と、自分の口からは、なるべく、言わない、と決めているのは、たぶん、お母さんから、その言葉を、たくさん、受け取ってきたから、だった。

「夕飯、何がいい?」と、お母さんが、台所から、聞く。私が「なんでもいいよ」と、答える。「なんでもいいって言われるのが、いちばん、困るんだけど」と、お母さんが、言う。

困るのは、お母さんで、私ではない。私は、本当に、なんでもよかった。麻婆豆腐でも、鯖の塩焼きでも、たぶん、同じくらいの満足度で食べる。差がない、ということを、お母さんに、どう伝えるか。「なんでもいい」は、お母さんには、「決めるのが面倒」と聞こえる、らしかった。「決めるのが面倒」と「本当に、差がない」は、ちがう。私の中では、ちがう。けれど、口から出る言葉は、同じ四音だった。

その夜、私は「じゃあ、麻婆豆腐」と、追加で、言うようにしてみた。お母さんは「最初から、そう言いなさいよ」と、笑った。麻婆豆腐は、別に、特別、食べたかったわけではない。最近、食べていなかったから、出した。「最初から」というのが、いつのことなのか、自分でも、よく、分からなかった。

I don't mind の温度

その週の英語の授業のあと、ジョーンズ先生に、「どっちでもいい」を、英語にしたら、どうなりますか、と聞いた。先生は、いくつか、挙げてくれたあと、I don't mindの話を、してくれた。

「私は、気にしません」と訳すと、なんだか、冷たい。けれど、英語のI don't mindは、冷たくは、なかった。「あなたが選んでくれて、いいよ」「私は、それで、減らない」という温度が、薄く、入っている、と、先生は、言った。mindは、心が、傾くこと。don't mindは、心が、傾かないこと。傾かないから、あなたの好きなほうで、いい。

私の「どっちでもいい」のうしろにも、ときどき、似た温度が、ある気がする。気がするだけで、いつもそうとは、限らない。傾いているのに、傾きを、隠しているときも、たぶん、ある。隠した傾きは、相手に届かないまま、相手の選択を、薄く、誘導する。誘導されたあとで、相手は、何を選んだのか、分からなくなる。

これからも、「どっちでもいい」を、たぶん、使う。使うときに、口の中で、I don't mindのほうを、いっしょに、思い浮かべる。「私は、それで、減らない」と、添えて、出す。添えると、四音が、少しだけ、ちがう四音になる、気がする。気がするだけで、まだ、確かめていない。

ミユに、もう一度

金曜の放課後、ミユと、駅まで歩きながら、私は、中庭のベンチの日のことを、ぽつりと、話した。「どっちでもいい、って、言いそうになって、言わなかった」と、私が言うと、ミユは、ちょっと、笑った。

「アヤ、たまに、そういうの、ある」

「そういうの」

「決めるの、こっちに、回さないでくれる感じ」

私は、ちょっと、驚いた。回している、つもりは、なかった。回さないでいる、つもりも、なかった。私は、ただ、回したくなかったから、自分で、決めただけだった。

「ミユは、どっちでもいい、って、言うとき、ある?」と、聞いた。

「あるよ」と、ミユは、言った。「ほんとに、どっちでもいいときと、アヤに決めてほしいときと、半分、半分」

「半分、半分」

「アヤが決めると、私、安心するから」

安心する、というのは、私が、考えていなかった。決めてもらうこと自体が、相手の中に、安心を、置く。安心を、置くために、相手に、決めてもらう。これは、希望が、削れる話とは、ちがう、別の方向の話だった。方向は、ちがう。けれど、口から出る四音は、同じ「どっちでもいい」だった。

改札の前で

駅の改札の前で、ミユは、右に、私は、左に、別れた。「お疲れ」「お疲れ」と、いつもの言葉を、交わした。

歩きながら、「どっちでもいい」の四音のことを、もう一度、なぞっていた。同じ四音の中に、たぶん、いくつかの、ちがう中身が、畳み込まれている。差がない場合、決めてもらいたい場合、面倒な場合、希望を隠している場合、安心を置きたい場合。畳み込まれているものを、ぜんぶ、開いて、相手にわたすことは、できない。開きながらわたしていたら、お昼の時間が、なくなる。

畳み込まれたままで、わたす。わたしながら、相手がどれを開けて、受け取ったか、あとで、ちらっと、見る。外れていたら、もう一度、別の言葉で、添える。添えるための言葉を、私は、まだ、十分には、持っていない。持っていない、ということは、これから、持っていく、ということだった。

家の最寄りの駅で、降りて、住宅街を、歩いた。風が、深い緑の葉を、揺らしていた。納得は、まだ、していない。していないまま、玄関に、着いた。

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本作はアヤのシリーズ番外編「アヤのことばのメモ」第一作。中庭のベンチで、ミユにお昼の場所を聞かれて、「どっちでもいい」と言いそうになって、言わなかった、という、ちいさな引っ込め。引っ込めた理由を、その後の数日で、母との夕飯の場面、英語のI don't mindの温度、ミユとの帰り道で、ゆっくり、なぞっていく。同じ四音のなかに、差がない場合、決めてもらいたい場合、面倒な場合、希望を隠している場合、安心を置きたい場合、いくつかの中身が、畳み込まれている。義務論者のアヤは、選択の重みを軽く扱えないから、四音のうしろの中身を、推し量ろうとして、迷う。納得は、まだ、していない。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。