東、高校二年、五組。金曜の放課後、家に帰る道で、ふっと、思った。一日のうちに「すみません」を、何回言っただろう。
頭の中で、朝から、巻き戻して、数えてみた。
朝、駅の改札を通るときに、前の人のリュックに肩がぶつかって、「すみません」。一回。
一限が始まる前、廊下で英語の先生とすれ違って、軽く「すみません、おはようございます」。二回。
三限の直前、カナにペンを忘れたことを伝えて「すみません、ペン貸して」。三回。
お昼休み、購買のお姉さんを「すみません」と呼んで、サンドイッチをひとつ。四回。
放課後、駅前の本屋で「すみません、この本、ありますか」と店員さんに。五回。
家に帰る前、LINEで母に「すみません、本屋寄って遅くなる」。六回。
家に着いて、お向かいのおばさんから果物のおすそ分けをもらって、「すみません、いつもありがとうございます」。七回。
七回の「すみません」が、一日のなかで、別々のレイヤーで機能していた。
朝の駅でぶつかった時の「すみません」は、お詫び。けれど、そんなに重いお詫びでもない。英語にするなら「Sorry」がいちばん近いけれど、「Sorry」は文脈によっては重すぎる。「Excuse me」のほうが軽いが、これは次の場面の「すみません」と被る。
廊下で先生とすれ違った時の「すみません、おはようございます」は、お詫びというよりは、軽い会釈と挨拶の混ざった感じ。英訳しにくい。「Excuse me, good morning」だと、なぜ「Excuse me」を入れるのか、英語話者にはたぶん不思議だろうと思う。
カナにペンを借りる時の「すみません、ペン貸して」は、お願いの前置きの「すみません」。英訳なら「Sorry, can I borrow a pen?」あたり。けれど、英語ネイティブは「Sorry」を頭に置かないことのほうが多い。「Could you lend me a pen?」だけで十分だと、たぶん彼らは思う。
購買のお姉さんを呼ぶ時の「すみません」は、注意を引く「すみません」。これは「Excuse me」がいちばん近い。けれど「Excuse me」には、「あなたの注意を、ちょっと、もらいます」という、わずかに能動的な感じがあって、日本語の「すみません」の、もう少し腰の低い感じとは、温度が違う。
本屋で店員さんに聞く時の「すみません、この本、ありますか」も、注意を引く「すみません」。けれど、購買のお姉さんを呼ぶ時よりも、わずかに、丁寧。同じ五音の言葉が、相手によって、温度を、自分で調整している。
LINEで母に送った「すみません、本屋寄って遅くなる」の「すみません」は、家庭内のお詫び。家庭内のお詫びには、英訳というものが、たぶん、あまり要らない。家族のあいだで「すみません」を使うことそのものが、たぶん、家庭の文化の一部。
お向かいのおばさんから果物をもらった時の「すみません、いつもありがとうございます」の「すみません」は、お礼の「すみません」。これは、英語ネイティブには、いちばん不思議に映る、はず。お礼を言うのに、なぜ「お詫び」のような言葉を使うのか。「Thank you」で終わる場面で、日本語は「すみません」を入れる。「もらってばかりで、申し訳ない」という、お詫びとお礼が混ざった温度。
七つの「すみません」を、英訳すると、こうなる。
七つの場面で、七つの違う英語が、それぞれ別のレイヤーを拾う。「Sorry」「Excuse me」「Thank you」「Could you」「Good morning」、それから英訳しにくい家庭内のもの。日本語の「すみません」は、五音のなかに、これらのレイヤーを、薄く折り重ねて、運んでいる。
一語で済む、というのが、便利でもあり、英訳するときの困りごとでもある。
ハッケンサックの小学校で、これらの場面に対応する瞬間は、五年間で、たくさんあったはず。誰かにぶつかったり、先生とすれ違ったり、友達にペンを借りたり、店員さんを呼んだり、家族にお詫びしたり、ご近所さんからおすそ分けをもらったり。
けれど、わたしはそのとき、「Sorry」を一語ですべての場面に使う、ということはしなかった。場面ごとに、別の英語の単語を使い分けていた。「Excuse me」「Sorry」「Thanks」「Hi」。それぞれの場面で、それぞれの単語が、ちょうど機能していた。
英語に「すみません」のような万能な一語がない、というのは、英語が劣っているということではない。英語は、場面ごとに、別の単語を使う。日本語は、ひとつの言葉で、複数の場面を、ふんわりカバーする。両方とも、それぞれの言語の、それぞれのやり方で、社会のなかでの「軽いお詫び・軽いお願い・軽いお礼」を機能させている。
機能のしかたが、ぜんぜん違う、というだけだった。
訳せないことばは、訳せないままで、置いておく。日本語の「すみません」は、日本語のなかで、五音のあいだに、複数のレイヤーを折り重ねて、機能している。英語のなかで同じ機能を再現することは、たぶんできない。
それは、欠けているのではなくて、別の温度で、別の機能を、別の言語が、引き受けている、ということだった。
明日もまた、わたしは「すみません」を、何度か言う。たぶん、七回より多いか、少ないか、それくらい。一日の終わりに、また、ふっと、数えてみるかもしれない。
→ 第二稿:すみません、の、いくつか(v2・書き直し)
→ 第一稿への辛口レビュー
→ 次話:もったいない、を、訳しかけて(東のことばのメモ #3)
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← 関連:隣に、置いて、答える(東のシリーズ最終話)
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本作は東のシリーズ番外編「ことばのメモ」シリーズ第2話。一日のうちに七回言った「すみません」。朝の駅でぶつかって、廊下で先生に、カナにペンを借りる、購買のお姉さんを呼ぶ、本屋の店員さんに、LINEで母に、お向かいのおばさんに。七つの場面で、お詫び・挨拶・お願い・注意引き・家庭内・お礼の、別々のレイヤーが立ち上がる。英訳すると「Sorry」「Excuse me」「Could you」「Thank you」と、それぞれ別の単語が拾う。日本語の「すみません」は、五音のなかに複数のレイヤーを折り重ねて運ぶ。英語は場面ごとに別の単語を使う。両方が、それぞれのやり方で機能している。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)