シリーズ第七作。視点が、同業他社(啓進ゼミナール)の人事担当の女性に切り替わる。Part 1 v1 で削除された「いろいろ、あるでしょうね」のシーンを、彼女の側から復活させる。
佐久間ゆり子。五十三歳。啓進ゼミナール、人事担当、二十年目。神奈川の駅前で展開する、塾チェーン。アスターよりは、ちょっと、大きい。スタッフは、四十人。女性は、十六人。半数には、届かない、けれど、半分に近い。
去年の春、塾業界の合同研修で、進学塾アスターの佐藤先生と、休憩時間に立ち話した。
「アスターさんは、女性スタッフ、何人いらっしゃいますか?」と、わたしは聞いた。
「私、一人です」
「……一人」
わたしは、コーヒーカップを、傾けたまま、止まった。
「それは……いろいろ、あるでしょうね」
そう言って、わたしは、佐藤先生の名刺を、もらった。「何かあったら、相談してください」と、付け加えた。
そのあと、佐藤先生から、連絡は、来なかった。
うちの会社、女性スタッフは、十六人いる。だから、佐藤先生のような「一人だけ」の問題は、たぶん、ない。
けれど、別の問題は、ある。
管理職は、十二人中、女性は、二人。役員会には、女性、ゼロ。出産育休を取った女性は、過去三年で、四人。けれど、復帰後にフルタイムに戻ったのは、一人。
うちにも、佐藤先生のような女性たちが、いる。ただ、人数が多いから、孤立は、しにくい。それだけ、かもしれない。
今年の春、啓進に、新しい女性が、入った。三十代前半、教育系の前職。
書類を見て、わたしは、ちょっと、止まった。前職の塾名が、進学塾アスターだった。
「あれ、アスターさん? 内定、辞退されませんでしたか?」と、面接で、わたしは聞いた。
彼女は、ちょっと、笑った。「あの面接の、ですか? はい、辞退しました。それから、別の塾を経て、こちらに」
「そうだったんですね」
わたしは、佐藤先生の名刺を、机の引き出しから、出して、見た。
彼女と、後日、お茶を飲む機会があった。
「アスターさんの面接で、なぜ辞退されたか、聞いてもいいですか?」と、わたしは聞いた。
「所長さんが、面接の最後に、『うちは女性スタッフは佐藤さん一人なんですよ』って、笑顔で言ったんです」
「あー」
「悪意は、なかった、と思います。けれど、私が、二人目として入る覚悟が、要る、と感じました」
「……」
「それで、辞退しました」
彼女は、コーヒーを、ゆっくり飲んだ。
「佐藤先生、いまも、お一人ですか?」
「最近、二人になったらしい、と聞きました」
「そうなんですね」
彼女は、それ以上、何も、言わなかった。
彼女と別れたあと、わたしは、自分の机に戻った。
佐藤先生の名刺を、もう一度、見た。
メールを、打とうかな、と思った。「お元気ですか。あれから、いかがですか」と。
打とうかな、と思って、打たなかった。
わたしの「打たない」理由は、たぶん、忙しさ、ではなかった。佐藤先生にとって、わたしから連絡が来ることが、救いになるかどうか、わからなかったから。
救いにならなくても、迷惑には、ならない、と思う。けれど、迷惑にはならない、というのと、ありがたい、というのは、ちがう。
わたしは、メールの下書きを、保存した。送信は、しなかった。
来週も、人事の会議がある。うちの会社で、来年度、女性管理職を、もう一人、増やすか、議論する。たぶん、増えない、と思う。理由は、いろいろ。
「いろいろ、ある」を、わたしは、自社で、生きている。
佐藤先生も、自社で、生きている。
わたしの引き出しの、佐藤先生の名刺。
来週も、たぶん、出さない。
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← 第三作:「縁がなかった」の、あと(山田謙一郎・52歳・所長)
← 第二作:二人になっても(高橋瑞希・25歳)
← 第一作:一人だけ、では(佐藤紗英子・35歳)
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本作はシリーズ第七作・第一稿。視点を、同業他社(啓進ゼミナール)の人事担当の女性に切り替える。Part 1 v1 で削除された「いろいろ、あるでしょうね」のシーンを、彼女の側から復活させる。佐久間ゆり子(53歳、啓進ゼミナール人事20年)の視点で、自社では女性スタッフ16人(40人中)と多数派に近いが、管理職12人中2人・役員会ゼロ・育休復帰フルタイム1/4という別の構造。今年の春、啓進に入った新人(三十代前半、教育系前職)が、実はアスターの辞退応募者だったと判明。後日お茶で「所長さんが『佐藤さん一人なんですよ』と笑顔で」「悪意はなかった、けれど、覚悟が要る、と感じた」と聞く。佐久間は机の引き出しから佐藤の名刺を出して、メールの下書きを保存するが、送信しない。「打たない理由は、忙しさではない、救いになるかわからなかったから」。結語「『いろいろ、ある』を、わたしは、自社で、生きている。佐藤先生も、自社で、生きている。わたしの引き出しの、佐藤先生の名刺。来週も、たぶん、出さない」。