コンビニのおにぎりの限界効用
ジュンのことばのメモ——ジュンのシリーズ番外編

高校二年、二組、森田。水曜の三限の倫理のあと、放課後の数学研究会で二時間半。家までの途中の駅前のコンビニに寄った。夕方の六時を少し過ぎたところ。自動ドアの前で、店内の白い光が、外の暗さよりも先に目に入った。

夕方の、棚の前

おにぎりの棚の前に立った。鮭、梅、ツナマヨ、昆布、明太子、それと焼たらこ。鮭は今日が特売の日で百二十円。梅は通常価格の百四十円。ツナマヨは百六十円で、昆布は百三十円、明太子は百八十円、焼たらこは百七十円。値札の下に、税込の小さな数字が並んでいた。

頭のなかで、空腹の度合いを十段階で見積もった。七、と出た。昼の弁当は十二時半。最後に食べたのは数学研究会のあいだに齧ったソイジョイだった。

七の空腹に対して、おにぎりは何個が最適か。数式を立てかけて、立てる前に、棚の前で立てている自分に、気づいた。

一個目の、効用

一個目のおにぎりは、効用が高い。空腹七のうち、おそらく四から五を埋める。一個目は、何を選んでも、たぶん満足する。

けれど、何を選ぶかで、二個目以降の効用関数の形が変わる。鮭を一個目に置くと、二個目に同じ味の系統を選ぶと逓減が早い。梅を一個目に置くと、塩分の刺激が次の選択を引っ張る。ツナマヨは満足の絶対値が高いが、油分が後半の効用を下げる。昆布は地味だが、長く効く。

頭のなかで、簡単な表を作った。

種類単独効用連続効用(二個目)備考
鮭(特売)価格対効用が今日は最大
次の選好を引き伸ばす
ツナマヨ最高三個目をほぼ無効化する
昆布中の下逓減が緩やか
明太子塩分が次に重なる
焼たらこ中の下明太子と近接、選択の冗長性

表は、棚の前に立ったまま、一秒もかからず、頭のなかに浮かんだ。表が浮かんだ時点で、もう、半分くらいは食べ始めている、という感覚があった。

二個目から、逓減

二個目は、一個目より満足度が落ちる。これは、ミクロ経済学の教科書の最初のほうに出てくる、限界効用逓減の法則。グラフにすると、こうなる。

効用 │ ● │ ● │ ● │ ● │ ● ← 二個目 │ ● │ ● ← 三個目(マイナスに近い) └─────────── 個数

三個目は、効用がほぼゼロに近づき、満腹感の不快に転じれば、マイナスになる。教科書のグラフは、横軸を消費量、縦軸を効用、として、右に行くほど傾きが緩やかになる、なめらかな曲線で描かれる。コンビニの棚の前で、その曲線を、教科書のページのまま、思い出した。

結論:今日は、二個。一個では空腹七のうち三が残る。三個では効用が逓減してマイナスに踏み込む。二個が最適。

結論を出してから、何を二個か、を選んだ。鮭の特売を一個目、梅を二個目に置く。鮭は価格対効用比で今日の最大。梅は鮭のあとの逓減を、最も緩やかにする組み合わせ。ツナマヨは魅力だが、二個目に置くと逓減が急で、選好の経路として最適ではない。

計算していると、気づく

鮭と梅をかごに入れて、レジへ歩きかけたところで、足が、半歩、止まった。

限界効用、と頭のなかで言った瞬間に、もう、食べる前に、満足が始まっていた。

これは、教科書には書いていない現象だった。教科書は、消費して初めて効用が発生する、という前提で書かれている。けれど、実際には、棚の前で、計算をした時点で、効用関数の上を、頭が、すでに、走っている。一個目の味も、二個目の味も、まだ口に入れていないのに、口のなかで、再生されている。

これを、効用関数の中に、どう組み込めばいいか。事前効用、と仮の名前をつけた。実消費に至る前に、計算と予期によって発生する満足。これを差し引かないと、二個食べたあとの「思っていたより、効用が低かった」という残りを、説明できない。

事前効用が高いほど、事後の効用は、相対的に下がる。期待値が、結果を、削る。

合理的選好、という言葉は、この削れの分を、たぶん、取りこぼしている。経済学の言葉のなかで、選好は、消費の瞬間に確定する、ということになっている。実際の自分は、選好を、棚の前で、すでに、半分使っている。

レジで、お金を払う

レジは、いつものお姉さんだった。「お弁当温めますか」と聞かれて、「冷たいままで」と答えた。バーコードが鳴って、二百六十円。レシートを受け取って、財布のなかの硬貨入れに、十円玉を一枚、戻した。

「ありがとうございました」

「お疲れさまです」

と、口が動いた。お姉さんに、なぜ「お疲れさまです」と返したのか、自分でも、よく、わからなかった。レジでお客が「お疲れさまです」を返すのは、たぶん、最適ではない。けれど、出てしまった。

レジの効用関数には、合理性とは別の、何か、別の項が、たぶん、ある。

帰り道

コンビニの自動ドアを出て、駅までの道を歩き始めた。袋のなかで、おにぎりが、二つ、軽くぶつかる音がした。

歩きながら、一個目の鮭を、まず、開けた。フィルムを、線の通りに、引いた。今日は、きれいに剥がれた。鮭の身が、白いごはんの真ん中に、見えた。

一口目は、空腹七のうち、四を埋めた。予測通り。

二口目で、棚の前で計算した「事前効用」のぶん、味の発見が、薄かった。これも、予測通り。事前効用の理論は、自分の口のなかで、再現された。

けれど、三口目で、鮭の脂の感じ方が、予測より、少し、強かった。これは、計算に入れていなかった。家を出る前に、何時間、歩いたか、走ったか、教室の机に向かったか、によって、味の受け取り方が変わる、ということを、効用関数は、たぶん、表現できない。

表現できないのに、味は、変わる。

これを、誤差、と呼ぶか、合理性の外の温度、と呼ぶか、まだ、決めていない。決めていないまま、駅の改札に、着いた。

噛んで、確かめる

家に着いて、二個目の梅を、自分の部屋で、開けた。

梅の酸味は、棚の前で予測した「鮭のあとの逓減を、最も緩やかにする」を、ほぼ、当てていた。鮭の脂のあとに、梅の酸が来ることで、口のなかが、いったん、リセットされる感じがあった。事前の表は、二個目の連続効用の欄を「高」にしていた。妥当だった。

妥当だったのに、最後の一口で、梅の種を、口から、出したとき、何かが、残った。

残ったもの、というのは、二組のシリーズで、何度か、出会った感覚に、似ていた。x の値が、ひとつ、出る。出ても、何かが、残る。今日は、二個のおにぎりを、最適に、選んだ。最適に選んだのに、何かが、残った。

残ったものを、効用関数に、組み込もうとして、組み込めなかった。組み込めない、というのが、たぶん、今日の、観察だった。

梅の種を、ティッシュに包んで、机の端に置いた。袋を、たたんだ。レシートを、見た。鮭、百二十円。梅、百四十円。合計、二百六十円。

合計の数字は、ひとつだった。

合計の数字の外側に、たぶん、いくつか、まだ、書かれていないものが、ある。書かれていないものを、書けるかどうか、は、また、別の日の課題、ということにした。

窓の外で、街灯が、ひとつ、灯った。

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本作はジュンのシリーズ番外編「ジュンのことばのメモ」第一作。コンビニのおにぎり棚の前で、限界効用逓減の法則が起動する、ある夕方の観察。鮭と梅の二個を、合理的に選び、合理的に食べ、合理的に終わったあとに、効用関数の外側で、何かが残る。事前効用の発見、レジでの「お疲れさまです」、鮭の脂の予測誤差、梅の種を出したあとに残るもの——いずれも、ジュンの計算癖が、計算の外側に、薄く、漏れていく断片として置かれている。シリーズ本編で出会った「数値化できないものは、ゼロじゃない」「誤差は、合理性の中に、含まれている」が、コンビニの棚という、もっと小さな場所で、もう一度、別の形で、立ち上がる。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。