揺らぎは、似ていた
ジュンとアヤ、図書室で——ジュンのトロッコ問題シリーズ #7(最終話)

ジュン、高校二年、二組。ハルの初試合から、十日ほど経った金曜の放課後。図書室で、本を、返した。返した本を、別の生徒が、借りようとしていた。

図書室、カウンター

金曜の放課後、図書室に、寄った。返却期限の本が、二冊、あった。

司書の先生に、本を、渡した。先生が、バーコードを、読み取った。読み取りながら、「森田、サンデル、読んでたんだ」と、言った。

「うん」と、答えた。倫理の授業の、トロッコ問題の続きを、自分で、読みたかった。

カウンターの横に、別の生徒が、立っていた。同じ高校の、女子。一組のはずだった。顔は、知っていた。名前は、知らなかった。

司書の先生が、その生徒に、「あ、ちょうどよかった、サンデル、いま、返却された」と、言った。

女子生徒が、こちらを、見た。

「あ、ありがとう。返したばっかりだったんだね」

「うん」

「私も、読みたくて、予約してたの」

「面白かったよ」

「そう」

先生から、聞いた

司書の先生は、奥の部屋に、入っていった。カウンターの前で、自分と、その女子生徒は、しばらく、立っていた。

「2組の、森田、だよね」と、その生徒が、聞いた。

「うん。1組の」

「小川アヤ」

「小川さん」

「アヤで、いいよ」

頷いた。アヤさんと、頭の中で、繰り返した。

「倫理の先生から、聞いたことが、ある」と、言った。

「先生、何て?」

「『1組に、納得しないって、職員室に、駆け込んできた生徒が、いる』」

アヤさんが、笑った。

「それ、私」

「だと思った」

「森田のことも、先生、何か、言ってた」

「何?」

「『2組に、即答した生徒が、いる』」

「それ、自分」

二人、笑った。図書室で、声を、立てない、笑い方だった。

「対称的、だね」と、アヤさんが、言った。

「対称的」

書棚の前で

サンデルの本は、もう一冊、別の棚に、似たテーマの本があった。アヤさんが、それも借りたい、と言った。倫理学の棚は、図書室の、奥のほうだった。一緒に、歩いた。

棚の前で、アヤさんが、上の段の、別の本を、取ろうとしていた。手が、届かなかった。

「これ?」と、言って、アヤさんの隣から、本を、取った。

「ありがとう」

「うん」

本を、アヤさんに、渡した。

「あの、ありがと」

「何が」

「本、取ってくれた」

「うん」

アヤさんが、本を、両手で、しばらく、持っていた。

「いま、森田、変な返事の、仕方、してた」と、アヤさんが、言った。

「変?」

「『何が』って」

「うん」

「私、それ、よく、言うの。親友と」

「親友?」

「ミユ。同じクラスの」

「ミユさん」

「ミユから、教わった、リズムなんだ。『ありがと』『何が』『何かは、分かんないけど』『いつでも』」

アヤさんが、四つの、言葉を、一気に、言った。

「いつでも」と、最後の言葉を、復唱した。

「うん」

「いつでも、というのは、何が」

「分からないまま、答える、ことができる、リズム」

「分からないまま、答える」

「うん」

残るもの

窓側の、空いている席に、二人で、座った。図書室は、放課後、それほど、混んでいなかった。

「森田は、即答した、って、先生、言ってた」と、アヤさんが、言った。

「した」

「五人より、一人?」

「そう」

「いまも、そう?」

「いまも、五人より、一人を選ぶ。けど、選んだあとで、何かが、残る、っていうのを、最近、知った」

「残るもの」

「うん」

「残るものって、何?」

「合理的に決めたあとに、何かが、残る。それが、何なのかは、まだ、分からない」

「分からない、で、止まる、ね」

「止まる」

「私もね、最近、数で並べる側に、立ったの」

「数で?」

「クラスの、合唱コンクールの、指揮者の、投票で」

「うん」

「数にしたくない、って、ずっと、思ってたのに、結局、数にした」

「矛盾、と、感じた?」

「矛盾、と、思った」

「自分も、矛盾を、いくつか、抱えてる」

アヤさんが、頷いた。それから、しばらく、机の木目を、見ていた。

「数で並べる側に立ったあと、選ばれなかった子の、口元が、ほんの少しだけ、堅かった気がしたの」

「気がした」

「気がしただけかも、しれないのに、それが、残った」

「残るもの、って、それかも、しれない」と、言った。

「森田のと、同じ?」

「同じ、かもしれない。形は、違うかも、しれない」

「形」

「うん」

誤差と、届く

「鈴木先生が、こう、言ってた」と、アヤさんが、言った。「『結果として、誰かに先に届き、誰かに後で届く』」

「うちでも、同じこと、言ってた」と、答えた。火曜のアヤさんのクラスと、水曜のこちらのクラスで、同じ単元を、教えていた。

「『先に届く・後で届く』を、私、いろんな場面で、思い出した」

「いろんな場面」

「譲り合い、投票、家族の介護、おばあちゃんへの電話、おばあちゃんが転んだ夜、親友との会話、おばあちゃんが目を覚ました朝。ぜんぶの場面で、先に届くものと、後で届くものが、立ち上がった」

「先に、後で」

「うん」

「自分は、別の言い方を、覚えた。『誤差は、合理性の、中に、含まれている』」

「誤差?」

「データは、平均的な、最適解を示す。個別のパフォーマンスには、誤差がある。誤差を、合理性の外に、捨てるんじゃなくて、合理性の中に、含める」

「森田らしい、言い方」

「うん」

「私の『先に届く』と、森田の『誤差の中』は、たぶん、似てる、けど、違う」

「似てる、けど、違う」

「形が、違う」

「形が、違う、まま、で、いい」と、言った。

言ってから、これは、自分にとって、新しい、結論だった、と、気づいた。

揺らぎは、似ていた

アヤさんが、しばらく、何も、言わなかった。それから、ゆっくり、言った。

「立場が、ちがうのに、揺らぎは、似ている」

「揺らぎは、似ている」と、復唱した。

「森田、即答する人だったんでしょ?」

「うん」

「いまは?」

「即答もする。即答したあとで、揺れることも、覚えた」

「私は、最初、納得できなかった。いまは?」

「いまも、納得できてないのか」

「納得できないまま、考え続けてる」

「考え続ける」

「うん」

「考え続ける、って、自分も、やってる、最近」

「森田も?」

「うん」

窓の外で、夕方の光が、長くなっていた。図書室の、閉室の、鐘が、聞こえた。

じゃあ

アヤさんが、「そろそろ」と、言った。

「うん」と、答えた。

本を、二冊、抱えて、アヤさんは、立ち上がった。

「じゃあ」と、アヤさんは、言った。

「じゃあ」と、答えた。

「またね」とも、「また」とも、二人とも、言わなかった。

言わなかった、ということは、たぶん、二人とも、分かっていた。

図書室を出て、廊下を、反対方向に、歩いた。アヤさんは、東階段の方へ。こちらは、西階段の方へ。

廊下の、角で、立ち止まりかけた。立ち止まらず、そのまま、曲がった。

振り返らなかった。

振り返らなかった、けれど、振り返ったら、アヤさんも、たぶん、振り返っていた、気が、した。

気がした、ということは、ゼロ、では、なかった。

振り返ったかどうかを、確認しないことが、いま、合理的だった。確認すれば、答えは、ひとつに、決まる。確認しないでおくと、振り返った、と、振り返らなかった、のふたつの可能性が、開かれたまま、残る。開かれたまま、というのが、ゼロじゃない、ということだった。

確認しないまま、廊下を、歩いた。

部屋で、最後の一行

夜、自分の部屋で、ノートを、開いた。

これまで、書いてきた、言葉が、並んでいた。

「同期しない、二人」
「分析は、愛だ」
「数を、見ない、ということは、数の中の、誰かを、見ない、ということ、かもしれない」
「数値化できない、というのは、ゼロ、ということじゃない」
「誤差は、合理性の、中に、含まれてる」

新しいページに、もうひとつ、書いた。

「揺らぎは、似ていた。形は、違うままで、いい」

書いてみて、しばらく、見ていた。

立場が、違う相手と、話して、揺らぎが、似ていた、と、知った。けれど、形は、違っていた。違っているまま、二人とも、考え続けている。

同じ場所には、たぶん、行かない。同じ結論にも、たぶん、ならない。違うまま、それぞれの場所で、それぞれの形で、考え続ける。

これが、今夜の、結論だった。

合理性の幅は、広がり続けるのかもしれない。広がり続けても、自分は、たぶん、自分のまま、合理的でいる。アヤさんも、アヤさんのまま、納得しないまま、考え続ける。

たぶん、それで、いい。

たぶん、で、止まる。止まることが、いまの、合理性、だった。

明日、月曜が、来る。月曜の、三限、倫理の授業。先生は、別の単元の、話を、するだろう。アヤさんは、別のクラスで、同じ先生の、別の単元の、話を、聞いている。

同じ時間に、別の教室で、別の生徒が、同じ先生の話を、聞く。同じ話が、別の生徒に、別の形で、届く。形が、違う、ということが、悪いこと、では、なかった。

ノートを、閉じた。

窓の外で、街灯が、ひとつ、灯っていた。

ジュンのトロッコ問題シリーズ・完

← 前話:誤差の中に(ジュンのトロッコ問題シリーズ #6)
← シリーズ #5:最適解
← シリーズ #4:サイドバック
← シリーズ #3:同期しない、二人
← シリーズ #2:悪くない、合理的なだけ
← シリーズ #1:答えは、出る
ネタばらし:ジュンのトロッコ問題シリーズの種明かし——七話で何を書こうとしたか
← 関連:火曜の三限、もう一度(同じ三週間、別のクラスの一組のアヤ。アヤが先生に「納得しないまま、考え続けます」と告げたのは、本作の、十日ほど前)
← 関連:トロッコ問題シリーズ(アヤ側)の種明かし
← 関連:会話劇五景——シリーズの裏の狙い
← シリーズ目次に戻る

本作はジュンのトロッコ問題シリーズ・最終話。図書室で、別のクラスのアヤと、初めて出会う。立場が違う相手と話して、揺らぎが似ていた、と知る。けれど、形は違っている。違うまま、二人とも、考え続ける。「揺らぎは、似ていた。形は、違うままで、いい」がジュンのシリーズの最後の言葉。アヤとジュンの二つのトロッコ問題シリーズが、ここで合流し、それぞれの方向に、また、分かれていく。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。