道具の、しまい方
茅野のことばのメモ #2——茅野のシリーズ番外編

茅野、高校二年、二組。火曜の稽古の、終わりの時間。四階の和室。岡野先生は、別の生徒の、お点前を見ている。私は、自分の使った道具を、片付けはじめる。窓の外は、四時半すぎの、薄い橙。畳の縁に、その色が、一筋、落ちている。

布の動き

茶碗を、清める。

布を、たたむ。四つ折りにして、それから、もう一度、半分に折る。手のひらに収まる大きさになったら、茶碗の縁を、内側から外側へ、ひと拭き。それから、見込みを、ひと拭き。布の動きは、決まっている。決まっているけれど、毎回、同じではない。茶碗の濡れ方が、その日のお茶によって、違うから。布の、湿る場所が、毎回、わずかにずれる。

湿った布を、もう一度、たたみ直す。湿りが、布の内側に入るように、折る。湿りを、外に出さない。

布を、たたむ、というのは、ただ折りたたむこと、ではない、と、思う。湿りを、内に入れる、という動作でもある。次に使うとき、布の表面が、乾いていれば、また、内から拭ける。湿った面は、内側で、ゆっくり、乾いていく。

外に見えるのは、四つ折りの、布。けれど、布の中には、今日のお茶の、湿りが、薄く、入っている。

茶筅を、戻す

茶筅を、湯ですすぐ。お茶の緑が、湯の中に、薄く、流れる。流れて、消える。

すすいだ茶筅を、茶筅立てに、乗せる。茶筅立ては、白い陶器で、上の面が、少しだけ、丸い。丸い面に、茶筅の穂先を、下に向けて、立てる。立てると、穂先が、ふわっと、外側に、開いていく。

新しい茶筅は、穂先が、内側に、丸く、巻き込まれている。何度か使ううちに、穂先は、少しずつ、外側へ、開く。開いたまま、しまうと、次に使ったときに、点てにくい。だから、稽古のあとに、茶筅立てに乗せて、湿った穂先を、もう一度、内側へ、戻していく。

戻す、と言ったけれど、完全には、戻らない。穂先は、すこしずつ、開いていく。開いていく速さを、茶筅立ての形が、ゆるめている。ゆるめながら、開かせている、という感じが、近いかもしれない。

茶筅が、いつか、使えなくなる、ということは、岡野先生から、聞いている。穂先が、ばらけて、戻らなくなったら、新しい茶筅に、替える。替えるまでの、何ヶ月かを、茶筅立てが、ひそかに、長くしている。

長くしている、ということを、茶筅立てに、礼を言うわけでは、ない。ただ、茶筅立てに、茶筅を乗せる、その手の動きが、礼の、形に、なっている、のかもしれなかった。

英語で、言うと

「しまう」を、英語で、なんと言うのだろう、と、ふと、思った。

"put away" が、最初に、浮かんだ。put して、away する。置いて、離す。たしかに、しまう、という動作の、表面を、拾っている。けれど、私が、いま、布を四つ折りにして、棗の蓋の上に乗せている、この動きが、"put away" と、呼べるかというと、なにか、足りない、気がした。

"store" は、もう少し、固い。蔵に、入れる、ような響き。茶杓を、箱に戻す動作は、たしかに、"store" に、近いかもしれない。けれど、棗を、定位置に置く、というだけの動作は、"store" と言うほど、しまい込んで、いない。

"clean up" は、片付け、の感じが、いちばん近い。けれど、"clean" には、汚れを、落とす、という色が、ついている。私は、いま、汚れを落としている、というより、湿りを、内側に、入れている。汚れと、湿りは、同じものでは、ない。

"return to its place" は、字義どおりだと、いちばん、正確かもしれない。元の場所に、戻す。けれど、長い。長いということは、ひとつの動詞では、足りない、ということでもある。

「しまう」のなかには、置く、離す、しまい込む、汚れを落とす、元の場所に戻す、という、いくつかの動作の、薄い気配が、全部、入っている。さらに、次に使うときの、準備、という気配も、入っている。布を、湿りごと、内に折るのは、明日の稽古の、ための動作でも、ある。

英語の、どれかひとつを、選んでも、ほかの気配が、こぼれる。こぼれたまま、訳す、という選択も、ある。けれど、いまの私は、訳さないで、「しまう」のままで、置いておく、ほうを、選びたかった。

選びたかった、というところで、止める。

向きを、揃える

茶杓を、布で、ふく。すっと、ひと拭き。茶杓は、竹の、細長い、匙。茶を、ひとすくいするための、道具。拭いたあとに、箱に、戻す。

箱の中には、茶杓の、形に合わせて、薄い、くぼみが、ある。くぼみに、茶杓の、丸みのある側が、下になるように、置く。置く向きは、決まっている。茶杓の、先のほうが、箱の右側になるか、左側になるか、流派によって、違うこともあるけれど、稽古場では、ひとつに、決まっている。

向きを、揃える。

揃える、というのは、決まりだから、揃える、という感じも、ある。けれど、決まりだから、というだけでは、ない、何かも、ある。揃っている、ということを、目で、確かめる、という時間が、片付けの、なかに、入っている。確かめている、その時間に、何かが、整う。整う、というのは、道具が、整う、ということでは、なくて、私の、ほうが、整う、ということ、なのかもしれない。

道具は、決まった向きで、置けば、整って、見える。私が、いなくても、整っている。けれど、私が、向きを、確かめながら、揃えていく、その動作が、私の、その日の、稽古の、終わりの、形を、整える。

道具の向きを、揃えながら、私の、何かも、揃っている。揃っている、と感じる、その瞬間が、毎回、ある。毎回、ある、というだけで、それを、言葉にしようとは、しない。言葉にしないで、次の動作に、移る。

岡野先生の、手

顔を、上げた。

岡野先生は、和室の、向こう側で、別の生徒の、お点前を、見終えていた。生徒が、片付けに、入る。岡野先生は、自分の前にも、道具がある。先生も、自分の使った道具を、片付けはじめる。

先生の、棗を、しまう動作を、見ていた。布で、ふいて、蓋を、閉じる。蓋を閉じる前に、いったん、棗を、両手で、軽く、持ち直す。持ち直して、それから、蓋を、上から、ゆっくり、降ろす。降ろすときの、最後の、わずかな間。蓋と本体が、触れる、その直前で、先生の手は、ほんの一瞬、止まる。止まって、それから、蓋が、収まる。

音は、しない。蓋と本体が、ぶつかる、音が、しない。音がしないように、先生の手が、最後の間で、速さを、ゆるめている。

その間を、見ていた。先生は、その間を、意識して、作っているのか、それとも、五十年か、何十年かの、稽古の、結果として、自然に、出ているのか、私には、わからない。たぶん、自然に、出ている。けれど、自然に出ているように、見える、というのは、若い私には、まだ、難しい。

自分の、棗を、見た。蓋は、もう、閉じてあった。閉じる、ときの、自分の手の、最後の間を、思い出そうとしたけれど、思い出せなかった。考えずに、閉じていた。考えずに、閉じる、というのは、馴染んでいる、ということでも、あるけれど、間が、生まれていない、ということでも、ある。

もう一度、棗の蓋を、開けた。中身は、もう、片付けてある。蓋を、開けて、それから、ゆっくり、閉じてみた。最後のところで、手を、止めようとした。止めようとして、止めた。けれど、先生の、止め方とは、何かが、違っていた。違っている、というだけ、わかった。違う、で、止める。

続いている

水指の、蓋を、戻す。鉄瓶を、火から、外す。釜の中の、湯を、すこし、残す。残す、というのも、決まりだった。完全に、空に、しない。次の稽古のための、準備の、ような気配が、ここにも、ある。

道具を、しまう、という動作は、お手前の、終わりの、動作のように、見える。けれど、しまい方の、ひとつひとつには、次の稽古の、ための気配が、入っている。布の湿りを、内に折る。茶筅を、立てる。棗の蓋を、ぶつけずに閉じる。釜に、湯を、残す。

終わりの動作のなかに、始まりの動作が、薄く、入っている。終わりと、始まりが、はっきり、分かれていない。分かれていないまま、片付けが、進んでいく。

お手前と、片付けは、続いている。続いている、ということを、初めて、はっきり、感じた、というわけでも、ない。岡野先生の、何かを聞いて、初めて、気づいた、というのでも、ない。ただ、片付けの、その日の、布の、最後のたたみ方の、ところで、ふっと、続いている、ということが、自分の、手の動きの、なかに、見えた、という感じだった。

見えた、というのは、外の、目で、見た、ということでは、ない。私の、内側で、薄く、揺れた、何かを、見えた、と、呼んだ。呼ばないでも、よかったかもしれない。呼んでも、こぼれる。こぼれたまま、片付けが、終わった。

和室を、出る

道具を、定位置に、戻し終えた。畳の上に、なにも、残っていない。座っていた跡だけが、ほんの少し、残っているかもしれない。残っているまま、和室を、出た。

廊下に出てから、もう一度、和室を、振り返った。畳が、傾いた橙の光のなかに、静かに、ある。私が、入ってくる前の、和室と、いま、私が、出ていく和室は、たぶん、同じではない。同じではないまま、明日も、誰かが、ここで、お手前を、する。次の、誰かのために、私が、いま、しまった、布が、また、開かれる。

布が、明日、開かれるとき、湿りは、もう、内側から、消えている。消えているけれど、消える前に、薄く、布の、繊維のなかに、何かを、残していく、のかもしれない。残しているのか、いないのかは、布には、わからない。私にも、わからない。わからない、で、止める。

明日も、火曜ではないけれど、稽古は、続く。続いている、ということだけ、わかれば、十分だった。

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本作は、茅野のシリーズ番外編「ことばのメモ」の二作目。火曜の稽古の終わり、四階の和室で、自分の使った道具を片付ける。茶碗を清める布の動き、茶筅を茶筅立てに戻すこと、茶杓の向きを揃えること、棗の蓋の閉じ方。「しまう」を英訳しようとして、put away も store も clean up も return to its place も、どれかひとつを選ぶと、ほかの気配がこぼれる、と確かめる。岡野先生の、棗の蓋を閉じる手の、最後のわずかな間を見て、自分の手では、まだ違う、と知る。違う、で止める。終わりの動作のなかに、次の稽古のための気配が薄く入っていて、お手前と片付けは続いている、と気づく。#1の「お手前の、繰り返しのなかの差」と対をなす、「片付けの、繰り返しのなかの整え」の番外編。徳倫理の「性向の習慣化」を、片付けの所作のなかに、薄く漏らす。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。