茅野、高校二年、二組。九月の、最初の月曜日。夏休みが終わって、二学期が始まった、初日。教室の、窓側、後ろから二番目の席が、私の場所。トロッコ問題の授業から、もう、四ヶ月以上が、経っていた。
九月の、朝。教室は、夏休みが、終わったばかりの、騒がしさで、満ちていた。日焼けした、いとこ。引退試合があった、運動部の、生徒。塾の、夏期講習の、話。クラスの、ほとんどが、立ち上がって、誰かと、話していた。
私は、いつもの席に、いた。窓側、後ろから二番目。鞄を、机の横に、掛けて、教科書を、二冊、出した。
席に、座ったまま、教室の、前の方を、見ていた。
窓側、いちばん前の席、または、二列目の席に、森田が、座っていた。同じクラスの、即答する生徒。何ヶ月か前、倫理の授業で、トロッコ問題に、即答した、その生徒。森田は、ノートを、開いて、何かを、書いていた。夏休みの、課題か、何かの、計算式かもしれない。
森田と、私は、同じクラスで、四ヶ月、ほとんど、話したことが、なかった。一度も、話したことがない、というのは、たぶん、嘘だった。掃除当番が同じだった日、または、教室の用事で、一言、二言、交わしたことが、あったはず。けれど、深く、話した、という意味では、ゼロだった。
森田は、私の存在を、たぶん、知らなかった。クラスに、四十人くらいいる、その中の、ひとり。それが、私の、森田から見た、位置だった。
森田に、話しかけてみようか、と、ふと、思った。
四ヶ月の、夏休みのあいだ、私は、お茶を、点てて、母に、お祖母ちゃんに、シズクに、和菓子屋の店主と、出会い、お盆の親戚に、点てた。それぞれの場面で、私は、自分の、稽古の、形を、深めた。深めた、という言い方は、傲慢かもしれない。けれど、夏休み前と、いまの、私の、稽古の、温度は、たぶん、違う。
違う、と、自分で、感じている。
その変化の、いくつかは、森田の、即答が、きっかけ、でもあった。森田が、即答した、あの倫理の授業の日に、私は、即答できない自分を、初めて、自覚した。即答できない自分の、稽古の形が、何なのかを、考え始めた。考え始めて、夏休みのあいだに、いくつか、答えに、近いものを、見つけた。
その意味で、森田は、私の、稽古の、間接的な、きっかけ、だった。
「ありがとう」と、森田に、言ってみてもいいのかもしれない、と、一瞬、思った。
けれど、思っただけで、立ち上がらなかった。
立ち上がらなかった、というのは、たぶん、私の、選択だった。
なぜ、立ち上がらないのか。
森田は、私の、稽古に、間接的に関わった。けれど、関わった、ということを、私が、森田に、伝えるのは、たぶん、必要ない。森田は、自分の、即答が、誰かの、稽古の、きっかけになった、ということを、知らなくても、生きていける。森田の、即答は、森田自身の、繰り返しの、結果として、出たもの。私の、稽古は、私自身の、繰り返しの、結果として、深まったもの。二人の、繰り返しは、別々に、進んでいる。
別々に、進んでいる、ということが、悪いこと、ではなかった。むしろ、それぞれが、それぞれの場所で、別々に、繰り返している、ということが、たぶん、大事だった。
もし、私が、森田に、話しかけたら、二人の、別々の繰り返しが、ひとつの、繰り返しに、混ざりはじめるかもしれない。混ざる、ということが、悪いこと、ではない。けれど、混ざる、ことを、選ぶ前に、別々に、深める時間が、もっと、必要なのかもしれない。
必要なのかもしれない、で、止まる。
止まる、ということが、いまの、私の、稽古の、形だった。
頭の中で、もうひとり、立ち上がった人がいた。一組の、アヤさん。私は、まだ、会ったことがない。会ったことがない、というのは、面識がない、という意味で、廊下で、すれ違ったり、昼休みに、一組の前を通って、見かけたり、ということは、たぶん、ある。けれど、知っている、という意味では、ゼロだった。
アヤさんは、納得しないと、職員室に、駆け込んだ、と、噂で、聞いていた。即答した森田と、納得しないアヤさん。同じ、トロッコ問題に、別の、形で、応えた二人。
夏休みのあと、二学期の、最初の倫理の授業で、アヤさんは、また、何かを、言うかもしれない。または、言わないかもしれない。私は、それを、二組の教室から、間接的にも、知ることは、ない。アヤさんの、二学期の、稽古は、アヤさんの、繰り返しの中で、進んでいる。
アヤさんに、話しかけてみよう、とは、思わなかった。アヤさんと、私は、廊下で、すれ違っても、お互いに、誰だかわからない、はず。アヤさんは、私の存在を、知らない。私も、アヤさんを、本当の意味では、知らない。
知らない、という関係が、悪いこと、ではなかった。知らないまま、それぞれの場所で、稽古を、続ける、というのも、ひとつの、関係の、形だった。
森田と、アヤさんと、私。三人とも、たぶん、トロッコ問題のことを、まだ、それぞれの、形で、考えている。森田は、合理的に。アヤさんは、納得しないまま。私は、所作の中で。
三人の、稽古の、形は、違う。同じ場所には、たぶん、たどり着かない。同じ結論にも、たぶん、ならない。
けれど、三人とも、それぞれの、繰り返しの中で、何かを、深めている。深めている、ということだけが、共通している。
深めているもの、を、お互いに、見せ合う必要は、たぶん、ない。見せ合わなくても、それぞれの、繰り返しは、続いている。続いている、ということが、いつか、それぞれの場所で、芯に、なる。
お祖母ちゃんが、五十年の稽古で、芯を、残したように。お盆のおじさんが、四十年点てていなくても、若い頃の稽古の芯を、身体に、残していたように。シズクが、毎回違う味を、受け入れることで、芯に、近づいていったように。和菓子屋の店主が、九十年続く店の、所作で、芯を、生きているように。
芯は、見えない。見えないけれど、ある。それぞれの、人の中に、ある。
朝のホームルームの、チャイムが、鳴った。鈴木先生が、教室に、入ってきた。倫理の先生で、私のクラスの、担任でもある。鈴木先生は、夏休みのあいだに、少し、日焼けしていた。
「夏休み、どうでしたか。今日から、二学期です」と、鈴木先生は、言った。
クラスのみんなが、それぞれ、何かを、答えた。「楽しかった」「だるい」「課題、終わってない」。
私は、何も、言わなかった。けれど、頭の中で、夏休みの、いくつかの場面を、思い出していた。お母さんに、点てたお茶。お祖母ちゃんの、震える手。シズクの、毎回違う味。和菓子屋の、店主の、包む所作。お盆のおじさんの、四十年。
これらは、私の、夏休みの、稽古の、形だった。
火曜の三限が、明日も、来る。倫理の授業が、二学期も、続く。鈴木先生が、また、何かを、教えてくれる。教えてくれたものを、私は、また、所作の中で、考える。考えて、答えを、出さないまま、続ける。
続ける、というのが、たぶん、私の、いまの、生き方だった。
その日の放課後、和室に、行った。火曜は、岡野先生の、稽古の日。シズクと、ほかの茶道部員が、もう、来ていた。
「茅野くん、夏休み、どうだった?」と、シズクが、聞いた。
「お茶、いっぱい、点てました」
「私もだよ」と、シズクは、笑った。「毎回、違う味、いっぱい、点てた」
「私は、整える、ほうの、稽古、を、続けました」
「うん、それが、茅野くんの、形」
「シズクさんの、形は、毎回、違う、形」
「うん」
稽古が、始まった。岡野先生が、来た。先生は、私の、お点前を、見て、「夏休みのあいだに、何か、変わったね」と、言った。
「ありがとうございます」
「変わった、というよりは、深まった、と、言ったほうが、正確かしらね」と、先生は、続けた。
「深まった、ですか」
「深まる、というのは、止まる、ことと、繰り返すことの、両方を、含む。あなたは、夏休みのあいだに、たぶん、両方を、している」
私は、頷いた。先生の言うとおり、だった。
夜、ベッドで、天井を、見ていた。
二学期の、最初の日が、終わった。
森田に、話しかけなかった。アヤさんとも、会わなかった。三人とも、それぞれの場所で、それぞれの、稽古を、続けた。続けている、ということだけが、共通だった。
これが、たぶん、私が、四ヶ月の、稽古で、たどり着いた、いまの、形、だった。
たどり着いた、と書いて、すぐに、消したくなった。たどり着いた、というのは、終わり、を、意味する。私の、稽古は、終わっていない。終わらない。明日も、続く。明後日も、続く。来週も、来年も、続く。
続く、というのが、たぶん、たどり着いた、ということ、だった。
続けることが、たどり着くことだ、というのは、形容矛盾かもしれない。けれど、矛盾を、抱えたまま、続ける、というのが、私の、稽古の、形だった。
明日、火曜が、来る。三限の、倫理の授業が、ある。鈴木先生が、何か、別の単元を、教える。私は、聞きながら、頭の中で、お茶を、点てている。
窓側、後ろから二番目の席で、私は、稽古を、続ける。
茅野のトロッコ問題シリーズ・完
→ ネタばらし:茅野のトロッコ問題シリーズの種明かし——七話で何を書こうとしたか
← 前話:お盆(茅野のトロッコ問題シリーズ #6)
← シリーズ #5:包む、所作
← シリーズ #4:同じ茶、違う味
← シリーズ #3:三代目
← シリーズ #2:お母さんに、一服
← シリーズ #1:所作の中で
← 関連:先生、納得がいきません(一組のアヤ)
← 関連:答えは、出る(同じ二組の森田)
← 関連:アヤのトロッコ問題シリーズの種明かし
← 関連:ジュンのトロッコ問題シリーズの種明かし
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本作はシリーズ第7話、最終話。二学期の最初の月曜日、教室で、茅野は森田に話しかけない。アヤとも会わない。三人とも、それぞれの場所で、それぞれの稽古を続ける。「話しかけない」ことを、選ぶ。それぞれの繰り返しが、それぞれの場所で、芯になる。徳倫理の結語:「続けることが、たどり着くこと」「続く、というのが、たどり着いた、ということ」。アヤの「納得しないまま、考え続けます」、ジュン(森田)の「合理性の幅は、広がる」、茅野の「続ける」——三つの倫理が、別々の場所で、それぞれの形のまま、続く。