50人の前で話した日
——図書館講演録:ソノダマリ、名古屋市の図書館で「マンションポエム」を語る

ソノダマリ

名古屋市の図書館から講演依頼が来た。「マンションポエムについて話してほしい」。45分の講演と15分の質疑応答。定員50名。

私はエッセイを書く人間だ。話す人間ではない。100本書いてきたが、人前で話したのは片手で数えるほど。しかも図書館。聴衆は学術学会のような同業者ではない。主婦、定年退職者、大学生、そしてなぜか不動産屋。

引き受けた。断る理由がなかった。というより、どんな人がマンションポエムの話を聞きたいのか、純粋に知りたかった。

講演——45分で100本を話す方法

結論から言う。45分では100本の話はできない。

だから構成を絞った。「上質がそびえる」から始めて、ポエマイゼーションの6つの操作を1つずつ、1スライド1分で紹介する。補填、翻訳、蒸発、消去、変装、増幅。それぞれマンションポエムと、もうひとつ別の領域の例を並べる。高校パンフの「一人ひとりが輝く」、DXポエムの「アジャイルでスケーラブル」、匂わせ暗号の「閑静な住宅街」。

スライドの最後に、3つの対抗手段を出す。書いてないものを問え。実物を見に行け。同じ言葉が繰り返されたら疑え。

45分のうち35分で本編が終わった。残り10分は実例クイズにした。不動産広告のキャッチコピーを見せて、「これは6つの操作のどれでしょう」。手が挙がる。答えが割れる。面白い。正解は1つではないからだ。

講演は、うまくいったと思う。笑いも起きた。拍手もあった。しかし本当に面白かったのは、そのあとだ。

質疑応答——聴衆のほうが面白い

司会「それでは質疑応答に移ります。どなたか——」

手が5本同時に挙がった。図書館の講演会で手が5本同時に挙がることは珍しいらしい。司会が少し驚いた顔をしていた。

質問1——「了解」はポエムか

最初の質問者は、40代の主婦。

主婦「すみません、ちょっと変な質問なんですけど」

ソノダ「変な質問が一番面白いので、どうぞ」

主婦「うちの旦那のLINEもポエムですか? 『了解』しか来ないんですけど」

会場が笑った。

ソノダ「逆ポエムですね」

主婦「逆?」

ソノダ「ポエマイゼーションは、事実に言葉を足すことで印象を作る。『了解』は逆です。言葉を削ることで——削りすぎて——情報がゼロになっている。蒸発の極限形です。もとの文が蒸発して、何も残っていない。『今日のご飯はカレーでいい?』に対する『了解』は、カレーに同意しているのか、今日の夕食という概念に同意しているのか、あなたのメッセージを受信したという通知なのか、わからない」

主婦「全部わからないんですよ! 『了解』って何に了解してるの、って聞くと『全部』って返ってくるんです」

会場がまた笑った。

ソノダ「マンションポエムの『上質がそびえる』と、ご主人の『了解』は、実は同じ問題です。具体性がない。どちらも具体性を問えばいい。『上質とは具体的に何ですか』と問うのと、『了解って何に了解したの』と問うのは、同じ動作です」

主婦「あ、3つの対抗手段の1番ですね。『書いてないものを問え』」

ソノダ「完璧です。夫婦のLINEにもポエマイゼーションの分析は使えます。使ったほうがいいかどうかは、私には判断できませんが」

「了解」は蒸発の極限形。言葉を足しすぎて具体性が消えるのがポエム。言葉を削りすぎて具体性が消えるのが「了解」。方向は逆だが、着地点は同じだ。

質問2——書いている側の人

2番目の質問者は、50代の男性。スーツを着ている。

男性「あの、私、不動産屋なんですが」

会場がざわめいた。ソノダも少しざわめいた。

ソノダ「今日一番緊張する瞬間が来ました」

男性「いや、怒ってないです。面白かったです。ただ、私がポエムを書いている側なんです。チラシのキャッチコピー、私が考えてるものもあります」

ソノダ「……」

男性「で、聞きたいのは、ポエムを書くのは悪いことですか

会場が静かになった。

ソノダ「悪くないです」

男性「え?」

ソノダ「DXポエムの最終回で書きました。ポエムは悪ではない。広告には広告の仕事がある。3秒で印象を伝えるために、ポエムは合理的な手段です。問題は、読む側がポエムを事実と混同すること。書く側の問題ではなく、読む側の問題です」

男性「それを聞いて安心しました。でも正直に言うと、自分でも『これ意味ないな』って思いながら書いてるコピーもあるんです」

ソノダ「たとえば?」

男性「『都心を、纏う』とか」

会場が笑った。不動産屋本人も笑った。

ソノダ「都心は纏えないですよね」

男性「纏えません。でも、上司に『もっとエモくしろ』って言われるんです」

ソノダ「あ、それ、先日カウンセリングに来た人と同じです。『エッジを効かせろ』。上司のカタカナ指示もポエマイゼーションです」

男性「上司のポエマイゼーション!」

ソノダ「以前、あるコピーライターからメールをもらったことがあります。『あなたのエッセイを読んで、自分の仕事を見つめ直した。ポエムを書く側も、具体性と向き合うべきだと思った』と。書く側の人がそう言ってくれたのは、嬉しかった。だから今日、あなたがここに来てくれたことも、嬉しいです」

ポエムを書く人も、ポエムの中で生きている。「もっとエモくしろ」という上司の指示自体がポエムだ。ポエマイゼーションは、書く側と読む側の共犯関係で回っている。

質問3——就活ESはポエムか

3番目は大学生。たぶん3年生。就活シーズンの顔をしている。

大学生「就活のESってポエムですか?」

ソノダ「完全にポエムです」

即答した。間髪入れなかった。

大学生「えっ」

ソノダ「アンドウユイが書いたエッセイがまさにそのテーマです。『サークルの代表として30名をまとめ、困難を乗り越え、成長しました』。何のサークルか。何の困難か。何がどう成長したのか。具体性が全部蒸発している。マンションポエムの『上質がそびえる』と同じ構造です」

大学生「じゃあ、ESにポエムを書かないほうがいいんですか」

ソノダ「いい質問です。書かないほうがいい。でも、書かないと通らないという問題がある」

大学生「……」

ソノダ「マンションの広告は、ポエムを書かないと売れない——とデベロッパーは思っている。就活のESは、ポエムを書かないと通らない——と学生は思っている。アンドウのエッセイで書いたのは、ポエムを書くなということではなくて、ポエムの中に1行だけ事実を入れろということ。『30名をまとめた』ではなく『予算15万円で学園祭の模擬店を黒字にした』。数字と固有名詞は蒸発しない」

大学生「数字と固有名詞……」

ソノダ「ポエマイゼーションの6つの操作は、全部、具体性を消す方向に動く。逆に言えば、具体性を入れれば入れるほどポエムから遠ざかる。あなたのESに数字が1つもなかったら、それは危険信号です」

ESはセルフポエマイゼーション。自分という商品の広告コピー。ポエムを完全に排除はできない。でも「数字と固有名詞」を1行入れるだけで、蒸発が止まる。

質問4——名刺のない自由

4番目は、60代後半の男性。穏やかな声。

男性「私、去年定年退職しまして」

ソノダは一瞬、喫茶店の記憶が蘇った。ワタナベさん。名刺のないひと。

男性「名刺がなくなってからのほうが自由です」

ソノダ「……自由」

男性「講演の中で、名刺のポエムの話がありましたよね。会社名と肩書きで自分を定義する、って。それ、ものすごくわかるんです。38年間名刺があった。名刺を渡せば自己紹介が終わった。便利だった。でも今思えば、名刺が自分の代わりに喋っていた。自分の言葉じゃなかった」

ソノダ「以前、同じことをおっしゃった方がいます。その方は、名刺がなくなって『自分が何者かわからなくなった』とおっしゃった。最初は」

男性「最初は私もそうでした。でもね、半年くらい経って、気づいたんです。名刺がないから、相手が肩書きではなく私を見てくれる。『元○○部長です』って言わなくなったら、『何が好きなんですか』って聞かれるようになった」

会場が少しだけ、しんとした。

男性「今日、ここに来たのも、マンションポエムが面白そうだったから。名刺があった時代は、こんな講演には来なかった。部長が図書館でマンションポエムの話を聞いてるなんて、かっこ悪いから」

ソノダ「かっこ悪くないですよ」

男性「ありがとう。名刺がなくなったら、かっこ悪いことが怖くなくなった。ポエムがなくなったら、ポエムじゃないものが見えるようになった。園田さんの講演、すごく楽しかった。ポエムのない耳で聞いたから、よく聞こえた」

拍手が起きた。講演者ではなく、質問者への拍手。

ワタナベさんは「ポエムなしの自分で生きてみる自由」と言った。この人は、その自由を半年間生きたあとに来た。名刺がない耳で聞くマンションポエムの話は、きっと、名刺がある耳で聞くのとは違う響きがしたのだろう。

質問5——「おまけ」をもうひとつ

質疑応答の時間が終わりかけたとき、司会を務めていた図書館の司書が手を挙げた。

司書「すみません、私からも1つだけ。図書館もポエムですか?」

ソノダ「図書館?」

司書「うちの図書館のキャッチコピー、『知の森に、出会いがある』っていうんです」

会場が笑った。司書も笑っていた。

ソノダ「完璧なポエムです。補填と変装の合わせ技。図書館を『知の森』に変装させて、具体的なサービス内容を書かない。何の本がある、開館時間はいつ、Wi-Fiはあるか——全部が『知の森』に補填されている」

司書「でも、このキャッチコピー、私が考えたんです」

2人目の「書いている側」だった。会場が拍手した。

講演後——書くのと、話すのと

講演が終わって、帰りの地下鉄の中で考えた。

100本のエッセイを書いてきた。50本目でポエマイゼーションを定義した。100本目で座談会をやった。書くことは私の仕事場だ。得意だとは言わない。でも慣れている。

50人の前で話すのは、まったく違った。

書くのは一方通行だ。私が書いて、読者が読む。読者の反応は見えない。コメント欄もない。反応が返ってくるとしたら、たまに来るメール。それだけだ。

話すのは双方向だ。「了解」はポエムかと問われて、蒸発の極限形という言葉が出た。あれは書いたことのない分析だ。不動産屋が「都心を、纏う」と告白したとき、書く側の共犯関係が目の前に立った。大学生のESの質問で、アンドウのエッセイが実用として機能する瞬間を見た。退職者の「ポエムのない耳」という言葉は、ワタナベさんの「ポエムなしの自由」の続きだった。司書が自分のポエムを告白したとき、会場全体が共犯者になった。

質問されて初めて気づくことがある

100本のエッセイでは、私が問いを立てて、私が答えてきた。質疑応答では、50人がそれぞれの人生から問いを持ってきた。旦那のLINE。自分が書くチラシ。就活のES。名刺のない暮らし。図書館のキャッチコピー。全部、私が想定していなかった角度だ。

講演で得た気づき

講演録を書いてみて思う。これは講演録ではない。50人の分析録だ。

私は45分間「ポエマイゼーションとは何か」を話した。50人は15分間「ポエマイゼーションは自分の人生のどこにあるか」を話した。15分のほうが面白かった。100本のエッセイより、5つの質問のほうが射程が広かった。

書くのは一方通行。話すのは双方向。でもどちらも、「上質がそびえる」を笑ったあの日から繋がっている。笑う力が、聞く力になった。

50人の前で話して、50人に教わった。
それが講演というものだった。

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。講演は架空のものであり、実在の図書館とは関係ありません。