アンドウユイ(ポエマイゼーション:ソノダマリ)
教務の窓口にいると、毎年12月から3月にかけて、学生の顔つきが変わる。履修相談ではない。就活相談だ。「アンドウさん、ガクチカがないんです」。この悲鳴を、何百回聞いただろう。
ソノダさんがポエマイゼーションを定義したとき、私は思った。あなたが分析してきた広告ポエム、学生たちは毎年それを自分で書いているんですよ、と。
マンションには「上質がそびえる」がある。SaaSには「DXを加速する」がある。高校には「一人ひとりが輝く場所」がある。
就活生には「ガクチカ」がある。
「学生時代に力を入れたこと」。エントリーシート(ES)の定番設問。全国の大学3年生が同時期に、同じ構文で、自分という商品の広告コピーを書く。
「サークルの代表として30名のメンバーをまとめ、意見の対立という困難を乗り越え、イベントを成功に導きました。この経験を通じて、リーダーシップとコミュニケーション能力を身につけ、人として大きく成長しました」
これを読んで、何か具体的なことがわかるだろうか。何のサークルか。何のイベントか。意見の対立とは何と何の対立か。「成長」とは何がどう変わったのか。
何もわからない。マンションポエムと同じだ。具体性が蒸発して、印象だけが残っている。
ソノダさんが50本かけて見出した6つの操作。全部、ESの中で動いている。
マンションポエムの三原理。訴求ポイントが弱いほどポエムが濃くなる。ESもまったく同じだ。
本当に成果がある学生は事実を書ける。「プログラミングコンテストで全国3位」「TOEIC 950点」「論文が学会で採択」。事実があるとき、ポエムは要らない。
事実がないとき、言葉で埋める。「成長しました」「視野が広がりました」「多様な価値観を学びました」。書くことがないほど、ポエムが長くなる。
台湾のマンション名が「帝王」になり、韓国のマンション名が「來美安」になるように、学生の体験は就活マニュアルというフィルターを通ると「ガクチカ構文」に翻訳される。
「バイト先の居酒屋で皿洗いが速くなった」→「飲食業でのアルバイトを通じて、効率的な業務遂行力を培いました」。体験が、企業が好む言語に翻訳される。その過程で、居酒屋の匂いも、皿洗いの冷たさも、消える。
「アジャイル」から開発手法の定義が蒸発するように、「コミュニケーション能力」からも具体的な中身が蒸発している。
傾聴力なのか。交渉力なのか。プレゼン力なのか。初対面の人と話す力なのか。全部「コミュ力」に蒸発する。何百人が同じ言葉を使うとき、その言葉に固有の意味はない。DXポエム#4のカタカナ暗号辞典と同じ構造だ。
マンションのチラシに隣のビルが写らないように、ESには失敗が書かれない。正確に言うと、失敗は「乗り越えるもの」としてのみ存在を許される。
「困難を乗り越えました」。ESに登場する困難は、常に乗り越えられる。乗り越えられなかった困難——留年、中退、人間関係の破綻——は消去される。導入事例に解約企業が載らないのと同じだ。
「古い」が「味がある」に変装し、「定員割れ」が「少人数の温かさ」に変装するように、ESでも変装が起きる。
ES変装辞典(アンドウ調べ)
名前を変えるだけで、日常が実績に変わる。これはポエマイゼーションの変装そのものだ。
「拡張可能」が「スケーラブル」になると権威が増すように、ESでもカタカナが増幅装置として機能する。
「話を聞く力」→「アクティブリスニング」。「段取り力」→「プロジェクトマネジメント」。「仲間との協力」→「チームビルディング」。カタカナにした瞬間、居酒屋バイトの経験がビジネススキルに聞こえる。
窓口で学生が言う。「ガクチカがないんです」。
ない、わけがない。3年間大学に通った。講義を受けた。バイトをした。友達と遊んだ。何かしらの時間を過ごした。「ない」のは体験ではない。ポエマイゼーションの技術だ。
就活マニュアルを読む。「サークルの代表として困難を乗り越え成長した」という正解例を見る。自分の体験を見る。居酒屋のバイトと、サークルの飲み会と、ゼミの発表。どうやってあの構文に変換すればいいのかわからない。
つまり「ガクチカがない」は、正確には「セルフポエマイゼーションができない」ということだ。
マンションの事実をポエムに変換するのはコピーライターの仕事。
自分の事実をポエムに変換するのは就活生自身の仕事。
だからESはセルフポエマイゼーション——自分自身のポエム化——の訓練場になる。
マンションポエムには「正解」がない。「上質がそびえる」が良いコピーかどうかは、売れたかどうかでしか測れない。しかも売れた原因がコピーなのか立地なのか価格なのか、切り分けられない。
ESには「正解」がある。内定が出るかどうかだ。
これがESポエマイゼーションの残酷さだ。ポエマイゼーションに成功した学生は選考を通過する。失敗した学生は落ちる。しかも何社も落ちた学生は「自分にガクチカがないからだ」と思い込む。違う。変換の技術がないだけかもしれないのに。
同じ「居酒屋バイト3年間」を、ある学生は「飲食業での顧客満足度向上施策の企画・実行」と書き、ある学生は「居酒屋で3年バイトしました」と書く。同じ事実から、一方はポエムを生成でき、他方はできない。
マッチングアプリとESの共通点
マッチングアプリのプロフィールも、セルフポエマイゼーションだ。「休日はカフェ巡り」「旅行が好き」「笑いの絶えない家庭を築きたい」。自分を恋愛市場に出品するためのポエム。
ESは就職市場に自分を出品するためのポエム。どちらも「自分という商品の広告コピー」を自分で書く。
違いはひとつ。マッチングアプリには「いいね」が返ってくるが、ESにはお祈りメールが返ってくる。
書店の就活コーナーに行くと、ESの書き方マニュアルが山積みになっている。どの本にも「正解の型」が載っている。
【ガクチカの型】
(1) 結論(何に力を入れたか)
(2) 背景(なぜ取り組んだか)
(3) 課題(どんな困難があったか)
(4) 行動(何をしたか)
(5) 結果(どうなったか)
(6) 学び(何を得たか)
この型自体は合理的だ。論理的に構成されているし、読みやすい。問題は、全員が同じ型を使うことだ。
高校パンフレットの「一人ひとりが輝く場所」を思い出す。あの言葉は、何十校ものパンフに載っていた。何十校が使える言葉に固有の意味はない。同じことがESで起きている。何万人が同じ型で書くとき、型には識別力がない。
採用担当者の前には、何百枚もの「困難を乗り越えて成長した」ESが積まれている。ポエムの海の中で、ポエムは見分けがつかない。
ソノダさんの対抗手段は「具体性を要求すること」だった。ポエムに対して「具体的には?」と問えば、ポエムは答えられない。事実は答えられる。
面接とは、まさにそれだ。面接官はESを逆ポエマイゼーションしている。
面接官の逆ポエマイゼーション
ポエマイゼーションが上手い学生は、ESを通過する。しかし面接では逆ポエマイゼーションに耐えなければならない。ポエムの裏に事実がない学生は、面接で崩れる。
つまり就活で本当に必要なのは、ポエマイゼーションと逆ポエマイゼーションの両方だ。事実をポエムに変換する力と、ポエムを事実に戻す力。書く力と、問われたときに答える力。
窓口で「ガクチカがない」と言う学生に、私が伝えていること。ソノダさんのフレームワークを借りて整理すると、3つになる。
就活生のための3つのルール
ソノダさんは「ポエムを愛でながら、騙されない」と書いた。ESについても同じことが言える。
ESを書くことは悪ではない。自分の体験を、企業が求める言語に翻訳すること。それは「伝える技術」であり、社会に出てからも使う力だ。研究成果をわかりやすく伝える。プロジェクトの成果を上司に報告する。全部、ポエマイゼーションの親戚だ。
しかし「ガクチカがない」と泣く学生を見ていると、思うことがある。
就活は、22歳に「自分をポエム化しろ」と要求するシステムだ。しかも正解がある。「正しいポエム」を書けた者が通過し、書けなかった者が落ちる。ポエマイゼーションの技術と、その人の本当の能力は、必ずしも一致しないのに。
マンションの広告が上手いからといって、マンションの品質が高いとは限らない。ESが上手いからといって、その学生が優秀だとは限らない。逆も然り。
ポエマイゼーションの技術がないだけで、
「ガクチカがない」と思い込まないでほしい。
あなたの3年間は、ポエムにならなくても、そこにある。
DXポエム#6でナカムラタクミが言った。「全員が、どこかの分野では15歳なんだよ」。
就活生は、就活市場では15歳だ。初めてポエムを書く。初めて自分を広告にする。テンプレートに頼る。「正解」を探す。不安で、必死で、ときどき泣く。
教務の窓口にいる私にできることは多くない。履修の相談には乗れる。でも内定は出せない。
ただ、ひとつだけ。
「ガクチカがない」のではなく、「ポエムにする技術がまだない」だけだよ、と伝えることはできる。技術は学べる。事実は、あなたの中にすでにある。
マンションポエムを笑う力は、ESを書く力と、たぶん同じ筋肉で動いている。ポエマイゼーションを知ることは、ポエムを書く側にも、読む側にも、効く。