中島、高校二年、四組。妹の話を聞いた、その週の、日曜日の夜。九時すぎ。自分の部屋で、ベッドに、寝そべって、天井を、見ていた。スマホが、机の上で、振動した。
振動の音は、短かった。LINE の、メッセージ通知。スマホを、手に、取った。
名前を、見て、しばらく、画面を、見ていた。
隣の席のやつ、からの、メッセージ。
「俺、こいつと、LINE、交換してないはず」と、頭の中で、思った。けれど、画面に、名前が出ている、ということは、交換していた、ということ、だった。
記憶を、探った。たぶん、一年の頭、新しいクラスで、何かの、係決めのときに、交換した。そのあと、一回も、メッセージのやり取りを、していなかった。だから、忘れていた。
メッセージは、短かった。
「明日、行けるかも」
それだけ、だった。
俺は、しばらく、画面を、見ていた。
「明日、行けるかも」を、何度か、読んだ。「行ける」じゃ、ない。「行けるかも」。「行く」じゃ、ない。「かも」。
「かも」を、こちらが、「行く」に、変換してしまうのは、たぶん、押しつけだった。「かも」を、「行かない」に、変換するのも、違う。「かも」は、「かも」のまま、受け取るしか、ない。
何を、返すか、考えた。
「待ってる」は、たぶん、違う。期待を、相手に、押しつけることになる。期待を、押しつけられたら、来る、ということが、義務に、なる。義務に、なったら、たぶん、来にくくなる。
「無理しないで」も、違う気が、した。これは、相手の、状況を、こちらが、勝手に「無理している」と、判定する、ニュアンスがある。判定されたい、と思って、メッセージを、送ってきたわけじゃ、ないだろう。
「学校で会ったら、おはよう、と言うね」は、丁寧すぎる。これまで、毎朝、来たら、おはよう、と言っていた、そのまま、続ける、というだけのこと、を、わざわざ、宣言するのは、変だった。
もっと、短い、何かが、いい、と、思った。
俺は、こう、返した。
「おう」
送ってから、画面を、見ていた。
既読が、ついた。けれど、相手からの、返信は、来なかった。
その夜、しばらく、寝つけなかった。
「明日、行けるかも」と、隣の席のやつが、こちらに、送ってきた、ということが、思ったより、自分の中に、響いていた。
これまで、俺は、隣の席のやつへ、こちらから、「おはよう」を、続ける、と、決めていた。決めていたのは、こちら側で、相手の、状況や、気持ちを、確認する、ことなく、続ける、ということだった。続ける、というのは、こちら側の、ひとり仕事だった。
けれど、今夜のメッセージで、関係は、こちらの、ひとり仕事では、なくなった。相手の側から、動きが、来た。動きが、来た、ということは、相手も、こちらの、続けていることに、たぶん、気づいていた、ということだった。
気づいていた、ということ自体が、こちらにとって、何かを、変える、ようなこと、では、なかった。続けていたのは、相手に、気づかせるため、では、ない。続けていたのは、こちらの、ケアの形、として、それしか、できなかったから、続けていた。
けれど、気づいていた、と、知らされる、ということで、続けていたことが、関係の、片側だけのもの、では、なかった、ということが、見えた。両側の、関係に、なる、可能性が、ふっと、開いた。
開いた、けれど、開いた、ということを、こちらが、押し広げるのは、違う気が、した。
「明日、行けるかも」のまま、受け取る。「おう」のまま、送る。それで、終わり。それ以上は、押し広げない。
これが、いまの、俺に、できる、応え方だった。
月曜の朝。いつも通りの時間に、家を、出た。電車に、乗った。学校に、着いた。教室に、入った。
隣の席は、空いていた。
「行けるかも」は、「行けなかった」に、なっていた。
俺は、自分の席に、鞄を、置いた。教科書を、出した。隣の席の、空いた机を、ちらっと、見て、それから、自分の机に、視線を、戻した。
がっかりした、わけじゃ、ない。「かも」は、保証では、なかった。最初から、「かも」だった。「行く」と、約束されていた、わけじゃない。だから、来なかった、ということで、約束を、破られた、ということでも、ない。
けれど、ほんの少しだけ、何かが、違っていた。昨夜の、「明日、行けるかも」を、読まなかった、ことに、しよう、と、思いそうに、なった。読まなかった、ことに、すれば、「行けなかった」も、「来なかった」と、同じこと、になる。これまでと、同じ。
けれど、それは、たぶん、違う。読んだ、ということは、事実だった。「明日、行けるかも」と、相手が、送ってきた、ということも、事実だった。これらの事実を、なかったことに、するのは、相手の、動きを、こちらが、消す、ということだった。それは、たぶん、ケアの、反対だった。
事実は、事実として、受け取る。「行けるかも」が、来た。「行けなかった」も、起きた。両方を、受け取る。
そして、明日も、おはよう、を、続ける。
その日の夜、ベッドで、もう一度、天井を、見ていた。
スマホは、机の上で、振動しなかった。隣の席のやつから、追加のメッセージは、来なかった。「来なくて、ごめん」も、来なかった。「明日も、行けるかも」も、来なかった。
こちらから、何かを、送ろうか、一瞬、考えた。「無理しないで、いいよ」と、送ったら、たぶん、押しつけになる。「明日、待ってる」も、違う。「いつでも来てね」は、丁寧すぎる。
結局、何も、送らなかった。
送らなかった、というのも、ひとつの、応えの形、だった。送らないことで、こちらの、続ける、ということが、変わらない、ということを、伝える。あるいは、伝えない、にしても、こちらが、動かない、ということを、こちら自身に、確認する。
動かない、というのは、関心がない、ということ、では、ない。続けている、ということを、相手の、動きで、変えない、ということだった。「明日、行けるかも」が、来ても、「来なかった」になっても、こちらの、おはよう、は、続く。続けることが、こちらの、ひとり仕事として、変わらない。
変わらない、ということが、たぶん、こちらの、応えの、芯だった。
火曜の朝。教室に、行った。隣の席は、空いていた。
水曜の朝。空いていた。
木曜の朝。空いていた。
金曜の朝。隣の席に、隣の席のやつが、いた。
「おはよう」と、俺は、言った。
「おはよう」と、隣の席のやつが、答えた。
それだけ、だった。LINE のことは、お互いに、何も、言わなかった。「来れた」とも、「来れなかった、ごめん」とも、言わなかった。「行けるかも」が、四日後に、「行けた」になった、ということを、確認することも、なかった。
確認しないこと、が、たぶん、いまの、俺たちの、関係の、形だった。
授業が、始まった。隣の席のやつは、ノートを、開いた。俺も、自分のノートを、開いた。
四日空けて、おはよう、を、聞いた。聞けた、ということは、続けた、ということが、報われた、ということ、では、ない。続けることが、たまたま、相手が、来た日に、おはよう、を、言える、結果に、なった、というだけ、だった。
たまたま、というのが、たぶん、関係の、本当の形、なのかもしれない。
金曜の夜、ベッドで、また、天井を、見ていた。
「明日、行けるかも」が、来てから、五日後に、隣の席のやつが、教室に、いた。LINE で、約束したわけじゃ、ない。「明日、行けるかも」は、「明日」のまま、終わって、四日後の、別の朝に、来た。
これは、約束の、履行では、ない。約束では、なかった。「かも」のままだった。「かも」が、いつか、たまたま、「行った」に、なる、ことも、ある、ということだった。
「かも」を、約束に、変換しないこと。約束に、変換しないから、来なくても、責めない。来たら、いつもどおり、おはよう、と言う。これだけ、続ける。
続けることが、ケアの、形だった。続けることが、相手の、自由を、尊重する、ということだった。
続ける。それしか、できない。続けることだけは、できる。
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【中島のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第4話。隣の席のやつから、夜、突然「明日、行けるかも」と LINE が来た。中島は「おう」と返す。翌朝、隣の席は空いていた。「行けるかも」は「行けなかった」になった。けれど、責めない。「かも」は保証ではなかった。「かも」を約束に変換しない、というのが、ケアの倫理。四日後、たまたま、隣の席に、隣の席のやつが、いた。「おはよう」を交わした。それだけ。確認しないことが、関係の形。