「べつに」のいくつか
中島のことばのメモ #3——中島のシリーズ番外編

「うん」と「だいじょうぶ」を、夜に数えた話を、二回、書いた。今度は「べつに」を、と、思った。けれど、書こうとしたら、思い当たる「べつに」が、ほとんど、なかった。一日に、一回も言わない日のほうが、たぶん、多い。「うん」や「だいじょうぶ」が、毎日、何回も出る言葉だとしたら、「べつに」は、月に、何回か、ぽつりと出る言葉だった。だから、数える、というよりは、出てしまった一回を、後ろから、見直す、という形になった。

昼休みの教室

火曜の昼休み、机で、購買のパンを、食べていた。カズが、隣の椅子に、逆向きに、またがって、座った。

「お前さ、最近、なんかあった?」と、カズは、言った。

パンの袋が、半分、開いていた。中の、メロンパンは、まだ、二口分、残っていた。

「べつに」と、俺は、答えた。

カズは、「そっか」と、言って、自分の弁当を、開け始めた。それで、話は、終わった。

終わったあと、口の中の、メロンパンを、噛みながら、いま、自分が、何を、返したのか、ということを、もう一度、思った。「べつに」と、自分の口が、勝手に、出した。出したあと、頭が、追いついた。

「べつに」の手前

カズが、聞いてきたのは、たぶん、何かを、見ていたから。最近、休みがちだった、隣の席のやつが、一日、来なかった。それを、俺が、ちらちら、見ていたのを、カズは、気づいたのかもしれない。気づいたから、聞いたのかもしれない。

気づかれた、と、思った瞬間に、「べつに」が、出た。「べつに」は、気づかれたものを、もう一度、見えなくする音だった。そう、書くと、隠している、ということになる。隠していた、と、思う。けれど、嘘を、ついた、というのとは、違う。

「ある」と、答えれば、カズは、たぶん、続きを、聞いた。続きを、聞かれて、答える準備が、こちらに、なかった。準備が、ない、ということを、認めて、「いまは、話せない」と、言うこともできた。それは、たぶん、もっと、誠実な応えだった。けれど、出たのは、「べつに」だった。

「べつに」は、誠実さの、手前で、止まる。止めて、相手と、自分のあいだに、薄い、すりガラスを、一枚、置く。向こうが、見えなくなるわけではない。輪郭は、わかる。けれど、こちらの中身は、滲む。滲ませた状態で、話を、終わらせる。

カズの「そっか」

カズは、「そっか」と、言った。「そっか」だけだった。「ほんとに?」とも、「無理すんなよ」とも、言わなかった。

カズの「そっか」は、たぶん、こちらの「べつに」を、判定しないで、受け取った。「うん」のときに、俺が、ヤマモトの「休みます」を、判定しないで、受け取った、あの位置に、カズは、いた。役が、入れ替わっていた。

「べつに」を、出した側からすると、カズに、「そっか」で、止めてもらえたのが、ありがたかった。ありがたかった、と、その場で、思ったわけではない。あとから、思った。あの瞬間、もし、カズが、「いや、ぜったい、なんかあるだろ」と、押してきたら、こっちは、もっと、深く、すりガラスの、向こう側に、引っ込んだ、と、思う。引っ込んでから、出てこなくなった、と、思う。

「べつに」は、距離を、置く音だった。置いた距離を、相手が、詰めて、こなければ、距離は、距離のまま、保たれる。保たれたまま、横に、並んで、メロンパンと、弁当を、食べている、ということが、起きた。

英訳について

「うん」と「だいじょうぶ」のときは、夜に、英訳を、試みた。今度は、試みなかった。"Nothing" や "Not really" が、近いのは、わかる。けれど、訳す気に、ならなかった。

訳すと、「ない」とか、「あんまり」とか、内容のほうに、針が、振れる。「べつに」は、内容を、伝えるための音では、たぶん、ない。距離を、一段、置くための音。距離は、英語にも、あるはずだけれど、それは、別の場所に、たぶん、ある。沈黙の長さとか、視線の外し方とか、そういう、音じゃないところに、ある。日本語の「べつに」は、音のなかに、距離を、入れている。そこは、訳しにくい、というよりは、そもそも、別のものに、なる。

そう、思って、書き出すのを、やめた。プリントの裏は、白いまま、机の上に、あった。

放課後、用具室の前で

放課後、用具室に、向かう途中で、廊下で、カズと、すれ違った。カズは、「お疲れ」と、言って、行った。

「お疲れ」と、俺も、返した。

昼の「べつに」のことは、カズも、もう、忘れているように、見えた。忘れている、というよりは、置いておいてある、という感じだった。すりガラスの向こう側は、そのまま。聞き直さない。

用具室で、ヤマモトと、ボールを、数えた。数え終わって、ヤマモトが、「中島さん、お先です」と、言って、出ていった。一人になって、棚に、ボールを、しまっていたら、ふっと、昼の「べつに」を、もう一度、思い出した。思い出して、それから、すぐ、忘れた。忘れた、というのが、正しい。「べつに」は、出したあと、自分のなかにも、あまり、残らない。残らないから、夜まで、引きずらない、はずだった。

引きずらなかったかどうかは、まだ、わからない。窓の外で、グラウンドの、誰かが、誰かを、呼んでいた。「先輩」と、聞こえた。俺のことでは、たぶん、ない。

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本作は中島のシリーズ番外編「中島のことばのメモ」第三作。前二作の夜の数えあげとは作法を変え、火曜の昼休みに一回だけ口から出てしまった「べつに」を、後ろから見直す。カズの「お前さ、最近、なんかあった?」に、頭が追いつく前に出た五音。「べつに」は内容を伝える音ではなく、相手と自分のあいだに薄いすりガラスを一枚置く距離の音だった——という観察。誠実さの手前で止まる音、それでも、押されなければ並んで弁当を食べていられる音。カズの「そっか」が、判定しないで受け取る役で返ってくる、その入れ替わり。英訳は試みず、夜まで引きずらず、放課後の用具室で、グラウンドの誰かの声で終わる。「うん」「だいじょうぶ」と並ぶ、中島の応えの三つ目——ただし、希少な一語。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)

このページの記事はAI(Claude)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。