「うん」のいくつか
中島のことばのメモ——中島のシリーズ番外編

中島、高校二年、四組。木曜の三限の倫理が終わった、ある一日のなかで、自分が「うん」を、いくつ、言ったか、数えてみた、という話。数え始めたのは、夜になってから。ベッドの上で、天井を見ていたら、ふっと、今日の「うん」が、いくつか、思い出された。

朝、台所で

「ご飯、できたよ」と、母が言った。

「うん」と、俺は答えた。

これは、応える「うん」だった。呼ばれて、聞こえた、ということを、母に、伝える音。「行きます」を、短くした、というよりは、「聞いた」という事実だけを、返す音。

味噌汁の湯気の向こうで、母は、もう、別のことを、している。返した「うん」が、母の手元に、届いていたのか、いないのか、わからない。届いていなくても、たぶん、よかった。

通学路で

二つ目の角で、犬の散歩のおじさんと、会った。

「おはようございます」と、俺は言った。

「あ、どうも」と、おじさんは答えた。

ここに、「うん」は、入っていなかった。おじさんの「あ、どうも」のなかに、「うん」が、薄く、混ざっている、ような、気がした。「どうも」の前の「あ」のところに。けれど、それは、俺の側の聞き取りで、おじさんが、それを「うん」と、呼ぶかどうかは、別の問題だった。

教室で

カズが、隣に来て、「数学のプリント、見せて」と、言った。

「うん」と、俺は答えた。

これは、軽い、受容の「うん」だった。同意の「はい」と、ほぼ同じ意味。けれど、「はい」と、カズに返したことは、たぶん、一度も、ない。

プリントを、机から、取り出して、カズに、渡した。カズは、「サンキュ」と、言って、自分の席に、戻った。

「うん」だけで、貸し借りが、成立している、ということが、考えてみると、不思議だった。「いいよ」とも、「どうぞ」とも、言っていない。「うん」だけで、許可と、受け渡しが、起きる。

休み時間

隣の席のやつが、教室に、来ていた。最近は、ほぼ毎日、来ている。

休み時間に、隣の席のやつが、ぽつりと、「昨日、よく、寝られた」と、言った。

俺は、「うん」と、答えた。

これは、相づちの「うん」だった。聞いてるよ、続けて、という意味の「うん」。けれど、隣の席のやつは、続けなかった。「昨日、よく、寝られた」だけで、話を、終えた。

続きを、待ったほうが、よかったか、と、一瞬、思った。けれど、続きを、催促するのも、違う気がした。「よく、寝られた」だけで、本人が、伝え終えた、と、している、なら、こっちが、引っ張り出すのは、押しつけだった。

相づちの「うん」は、続きを、引き出すための音だ、と、教科書には、書いてある、かもしれない。けれど、続きを、引き出さない「うん」も、ある。聞いた、と、伝えるだけで、終わる「うん」。

用具室で

放課後、バスケ部の練習が終わって、用具室で、ヤマモトと、ボールを、数えていた。

「中島さん、明日、テスト勉強で、休みます」と、ヤマモトが、言った。

「うん」と、俺は、答えた。

これは、受け止めた、という「うん」だった。判定は、していない。「いい」とも、「だめ」とも、言っていない。「休む」という事実を、聞いた、と、ヤマモトに、返している。

ヤマモトは、たぶん、判定を、求めて、いなかった。判定が、欲しければ、「休んでも、いいですか」と、聞いた、はず。「休みます」と、宣言したのは、判定を、求めていない、ということ。だから、こっちも、判定は、出さない。

「うん」のあとに、何かを、付け足すか、迷った。「テスト、頑張れ」とか、「無理するな」とか。付け足さなかった。付け足すと、ヤマモトの、「休みます」の、判定を、こっちが、勝手に、しているように、なる。

「はい」だと、許可、になってしまう。「いいよ」だと、明確に、肯定。「うん」は、その手前で、止まる。事実を、受け取った、という、ところで、止まる。

家で、妹と

家に、帰って、リビングで、妹が、テレビを、見ながら、「お兄ちゃん、これ、面白いよ」と、画面を、指差した。

俺は、画面を、ちらっと、見た。お笑い番組だった。何が、面白いのか、よくわからなかった。

「うん」と、俺は言った。

これは、避ける「うん」だった。同意ではない。否定でもない。具体的に、答えたくない、というときの「うん」。妹が、面白い、と思っているなら、それで、いい。

妹は、「お兄ちゃん、ぜんぜん、見てない」と、言って、テレビに、向き直った。それで、よかった。「面白い」と、嘘を、つかない。「面白くない」と、断定もしない。「うん」で、自分の、判断を、保留したまま、妹の、いる場所を、邪魔しない。

英訳の試み

夜、自分の部屋で、机に、向かった。倫理のプリントの、裏に、今日の「うん」を、書き出して、英訳を、試みた。

母への「うん」は、たぶん、"Yeah" だった。短い、応えの音。

カズへの「うん」は、"Sure" に、近かった。けれど、"Sure" は、はっきり、許可している。「うん」のなかに、"Sure" の、八割が、入っている、くらい。

ヤマモトへの「うん」は、英語に、訳しにくかった。判定を、保留する、という、機能を、持つ英語の、一語が、すぐには、思いつかなかった。"Mm" が、近いかもしれない。けれど、それは、相づちに、寄りすぎる。

三つだけ、訳してみて、やめた。一語で、いろんな場面を、薄く、横断する、ということが、英語の側で、難しい、ということが、なんとなく、わかった。それで、十分だった。

ベッドに、寝そべって、天井を、見ていた。

今日、書き出したのは、六つ。書き出さなかった「うん」も、たぶん、ある。部活の、班の確認のときの「うん」、廊下で、呼ばれたときの「うん」、レジで、お釣りを、受け取ったあとの「うん」。書き出さない「うん」のほうが、たぶん、多い。

「うん」は、応えの、いちばん短い、形だった。短いから、出やすい。出やすいから、自分でも、気づかないうちに、出ている。考えないで、出る「うん」が、相手の、言葉を、判定しないで、受け取る、ということに、なっている、らしい。

判定しないで、受け取る、というのが、何の倫理なのかは、わからない。教科書には、たぶん、「うん」のことは、書いていない。書いていないけれど、毎日、何回も、出している。出していて、それが、関係を、ちょっとずつ、続けている、気がする。

窓の外で、街灯が、ひとつ、灯った。

「うん」と、俺は、自分のなかで、言った。

これは、自分への「うん」だった。納得、というほどでも、ない。今日が、終わった、という、事実を、自分に、返す音。

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本作は中島のシリーズ番外編「中島のことばのメモ」第一作。木曜の三限の倫理のあと、ある一日のなかで自分が言った「うん」を、夜、数えてみる、という観察。母への応え、カズへの軽い受容、隣の席のやつへの相づち、ヤマモトへの判定の保留、妹への避ける「うん」、自分への「うん」——同じ一語が、別々の場面で、別々の機能を、薄く、運んでいる。英訳を三つだけ試みて、残りはやめる。「うん」が、判定を、保留したまま、相手の言葉を、受け取る音だった、という発見。シリーズ本編で出会った「答えを出さないことも、応えになる」「いることが、続けること」が、「うん」という一語の上で、もう一度、別の形で、立ち上がる。(本作は第一稿。批判ページと第二稿あり。)

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。