マツモトヒナ × ソノダマリ
日曜日の午後。3年ぶり。名古屋駅の近く、窓際の席。アイスカフェラテとホットチャイ。
「最近どう」「子ども大きくなった」のあとに、ヒナがこう切り出した。「ソノダさん、聞いてよ。最近ね、研究室の依頼で、ちょっと変なお題のエッセイ書いたの」「サブシディアリティ、っていうの。横文字。カトリック社会教説の言葉らしくて」
そこからまた、世間話が変な方向に転がっていく。
ソノダ「ちょっと待って。サブシディアリティって言った?」
マツモト「うん。カトリック社会教説の——」
ソノダ「ヒナちゃん、それ、ポエマイゼーションだよ」
マツモト「え?」
ソノダ「だってさ、やってることは『代わりにやりすぎない、手は貸す』でしょ。それだけのことを、カタカナ8文字の横文字に着替えさせてる。変装だよ、変装。日常の当たり前のことを、難しい言葉に着替えさせることで、特別なことに見せている」
マツモト「……あ」
ソノダ「マンションの広告が『駅から遠い』を『閑静な住宅街』に着替えさせるのと、構造は同じ。『やりすぎるな』を『サブシディアリティ』に着替えさせてる」
マツモト「じゃあこのシリーズ自体がポエムってこと?」
ソノダ「そう。でもね、ポエムが全部悪いわけじゃない、っていうのが100本書いてわかったことだから。名前をつけることで見えるようになることもある。『やりすぎるな』だと流してしまうけど、『サブシディアリティ』って言われると、ちょっと立ち止まるじゃない」
マツモト「確かに。横文字で言われると、なんか考えなきゃいけない気になる」
ソノダ「それがポエムの力だよ。名前の力。ただし——」
マツモト「ただし?」
ソノダ「名前に酔うと、中身を忘れる。サブシディアリティって10回言うより、黙って子の横で本を読むほうが、たぶん実践としては深い」
マツモト「ふふ。バレてる」
マツモト「ソノダさん、聞いてよ」
ソノダ「うん」
マツモト「『肩代わりせず、肩を貸す』ってシリーズで、私、2本書いたの。エレベーターホールに鏡を置く話と、子の宿題に赤ペン入れる話」
ソノダ「読んだよ。宿題のほう、刺さった」
マツモト「ありがと。でね、書いたら、自分はもう答え出した気でいたの。『肩を貸す。代わりにやらない』って」
ソノダ「うん」
マツモト「でも昨日、子の宿題見てて、結局赤ペン取ったの」
ソノダ「ふふ」
マツモト「笑わないで」
ソノダ「ごめん。続けて」
マツモト「で、そのとき思ったの。私、エッセイの中ではいいこと書けるけど、家ではできてないなって」
ソノダ「エッセイの中の自分と、家に帰った自分が、別人ってこと?」
マツモト「別人ってほどじゃないけど……ポエムに近い、かも」
ソノダ「……」
マツモト「自分が書いたエッセイが、自分のセルフポエマイゼーションだったらどうしようって、ちょっと怖くなった」
エッセイで書いた『肩を貸す』は、できなかった日々の言い換えだったかも。
ソノダ「ヒナちゃん、ひとつ聞いていい?」
マツモト「うん」
ソノダ「『肩代わりしている』を『肩を貸している』に着替えさせるのって、変装だよね」
マツモト「えっ」
ソノダ「変装操作。事実を別の言葉に着替えさせる。マンションの『日当たり良好』と同じ構造」
マツモト「……それ言われると、痛い」
ソノダ「でも待って。変装が悪いって言ってるんじゃないよ」
マツモト「うん」
ソノダ「100本目のあとがきで書いたじゃん。タカハシさんの弔辞のエッセイから拾った言葉。『変装は救いのために』」
マツモト「あ、覚えてる」
ソノダ「『今日全部代わりにやってあげちゃった』を『今日は疲れてたから、ちょっと支えただけ』に翻訳することで、自分を責めずに次の日に進める。これは嘘ではあるけど、明日のための嘘。明日もう一度子に向き合うために、今日の自分を許す嘘」
マツモト「やさしい変装、か」
ソノダ「前のカフェトークのあなたの言い方を借りるなら、ね」
マツモト「ふふ。覚えててくれたんだ」
『肩を貸した』は、できなかった日のための、やさしい変装。
マツモト「もうひとつ聞いていい?」
ソノダ「いくらでも」
マツモト「最近、子の宿題見てるとき、頭の中で自分を採点してるの」
ソノダ「採点?」
マツモト「『今、私はレベル3? それともレベル4まで降りた?』って。自分のエッセイで作ったレベル分けで、自分を測ってる」
ソノダ「ああ……それ、グッドハートだ」
マツモト「グッドハート?」
ソノダ「最近シリーズに、水野さんがエッセイを書いたんだけどね。グッドハートの法則っていう。『測定対象になった指標は、本来の目的として機能しなくなる』」
マツモト「……」
ソノダ「あなたが『肩を貸す母』を測定対象にした瞬間、肩を貸すこと自体が目的じゃなくなる。目的は『合格点を取ること』にすり替わる」
マツモト「あー……合格点取りたくなる。自分に成績つけたくなる。で、子は——」
ソノダ「フレームの外」
マツモト「うわっ。当たってる」
ソノダ「サブシディアリティ実装テスト、毎日受けてるね」
マツモト「合格してるかな」
ソノダ「合格を気にした瞬間、もう半分落ちてるね」
マツモト「ひどい」
ソノダ「ふふ」
『肩を貸す母』を採点しはじめた瞬間、子はフレームの外に出る。
マツモト「ソノダさん」
ソノダ「うん」
マツモト「結局、私、ちゃんとできてる気がしないの。毎日ぐちゃぐちゃ。朝バタバタ、お弁当冷凍食品、宿題赤ペン取りたくなる、夜怒っちゃう、寝る前に後悔する」
ソノダ「うん」
マツモト「で、また朝が来る」
ソノダ「……ぐちゃぐちゃで、続いてるんだよね」
マツモト「うん」
ソノダ「私、100本書いてさ」
マツモト「うん」
ソノダ「最初は『ポエムは嘘だ』って言ってたわけ。100本かけて気づいたのは、ポエムを書く人を笑っちゃいけない、ってことだった」
マツモト「うん、覚えてる」
ソノダ「同じことが、サブシディアリティでも言える気がする」
マツモト「同じこと?」
ソノダ「『ちゃんとできてない母』を笑っちゃいけない。たぶんそれが、『ちゃんとできてない』ながらも続けてる人を、いちばん侮辱しないことなんだよ」
マツモト「……」
ソノダ「できてる/できてないより、続いてることのほうが、たぶんずっと深いんだ」
マツモト「それ、ありがたい」
ソノダ「いや、ヒナちゃんが教えてくれたんだよ、たぶん」
ぐちゃぐちゃで、続いている。
それが、たぶん、『肩を貸す』の正体。
マツモト「あのさ、最後にひとつ」
ソノダ「うん」
マツモト「私、寝る前に口グセがあって」
ソノダ「なに」
マツモト「『明日もがんばろ』って言うの」
ソノダ「……」
マツモト「あれ?」
ソノダ「ヒナちゃん、それ、最高のリポエマイゼーションだよ」
マツモト「リポエマイゼーション?」
ソノダ「事実は何? 今日疲れた、やり残しある、子に怒っちゃった、夫の弁当作ってない、洗濯物まだ干してない」
マツモト「全部当たってる」
ソノダ「それを翻訳して、未来形に着替えさせる。『明日もがんばろ』」
マツモト「うん」
ソノダ「これは嘘じゃない。あなたは明日、実際にがんばるから。事実に基づいた、誠実なポエム」
マツモト「ポエム……」
ソノダ「リポエマイゼーションは、嘘のないポエム。事実から逃げないポエム。あなたの口グセは、毎晩それやってる」
マツモト「気づかなかった」
ソノダ「気づかずにやれてる人が、いちばん上手なんだよ。私みたいに、分析してから書く人より、ずっと」
『明日もがんばろ』は、
誠実な、毎日の、小さなリポエマイゼーション。
カフェを出る。空が傾いている。
歩道橋のところで、ヒナがふと振り返って言った。
マツモト「結局さ、肩を貸せてるかどうか、わからないままだね」
ソノダ「うん」
ソノダ「でもね、ヒナちゃん」
マツモト「うん」
ソノダ「わからないまま続けるのが、いちばん難しいことなんだよ。たぶん、いちばん大事なことでもある」
マツモト「……」
マツモト、すこし笑って。
マツモト「明日もがんばろ」
ソノダ「うん。私もそうする」
二人は別々の改札に向かった。
カフェの席には、アイスカフェラテの溶けかけの氷と、ホットチャイの底にうすく残ったミルクの輪が、それぞれの形で、少しだけ残っていた。
松本 陽菜 × 園田 真理