茅野、高校二年、二組。期末テストが終わった、夏休みの直前の、土曜日。母方の祖母の家を、訪ねた。電車で、二時間半ほど。母の実家は、駅から、歩いて十分の、古い住宅街にある。
玄関の、引き戸を、開けた。土間の匂いが、鼻に、入ってきた。木と、お線香と、夏の、湿気の混じった匂い。子供の頃、お盆や、お正月に、家族で来ていた、その匂いだった。
「お祖母ちゃん、来たよ」
奥の、襖が、開いた。お祖母ちゃんが、出てきた。八十五歳。背は、私より、二十センチほど、低い。半年前に会ったときより、もう少し、小さくなった気がした。
「あら、よく来たね」
「お土産、お母さんが」
母から預かった、和菓子の箱を、渡した。お祖母ちゃんは、両手で、受け取って、軽く、頭を、下げた。受け取り方は、若い頃に、稽古で覚えた、形だった。
「上がって、上がって」
「お邪魔します」
居間の、奥に、和室があった。和室の、その先に、縁側がある。縁側の、ガラス戸を、開けると、小さな庭が、見えた。お祖母ちゃんが、世話をしている、低い、木と、苔と、石。
「茶道部、続いてるんでしょう」と、お祖母ちゃんが、言った。
「続いてます」
「お点前、見せてくれる?」
「お祖母ちゃんに、点てるんですか」
「うん。三代目に、点ててもらうの、長く、やってない」
お祖母ちゃんが、自分の道具を、出してきた。茶碗は、私が、家で使っているのとは、違う。古い、しっとりした、土の色。お祖母ちゃんが、結婚するときに、自分の母から、譲られた、ものだという。
「これで、点てて」
「はい」
縁側に、毛氈を、敷いた。茶碗、茶筅、茶杓、棗。湯は、お祖母ちゃんが、台所から、鉄瓶で、運んできた。鉄瓶は、家のものより、もっと、古い、深い色をしていた。
正座する。深呼吸。茶筅を、湯で温める。茶碗を、清める。茶杓で、抹茶を、二すくい、入れる。湯を、注ぐ。茶筅で、点てる。
所作は、和室で、稽古しているときと、同じだった。お祖母ちゃんの茶碗は、家のものより、少し、深い。湯の、量を、ほんの少し、調整した。
点てた、お茶を、お祖母ちゃんの前に、置いた。
お祖母ちゃんは、茶碗を、両手で、軽く、回した。回しながら、お祖母ちゃんの手が、ほんの少し、震えていた。震えていることを、お祖母ちゃん自身は、たぶん、気にしていなかった。気にしないで、回した。
「いただきます」
ひとくち、飲んだ。それから、しばらく、何も、言わなかった。庭の、葉が、風で、軽く、揺れていた。
「整っているね」と、お祖母ちゃんは、言った。
「ありがとうございます」
「整っている、というのは、お点前の、最初の、関門。あなたは、もう、その関門は、通った」
「ありがとうございます」
「もうひとつの関門が、これから、あるけれど」と、お祖母ちゃんは、続けた。
「もうひとつ?」
「これは、もう少し、先のお話」
お祖母ちゃんは、お茶を、最後まで、飲んだ。茶碗を、両手で、毛氈の上に、置いた。お辞儀を、した。
「次は、私が、点てるよ」と、お祖母ちゃんは、言った。
「お祖母ちゃんが?」
「あなたに、点てるの、いつぶりかしら」
「子供の頃、お正月に」
「そう、あれ以来、ね」
お祖母ちゃんは、茶碗を、洗った。新しい湯を、注いだ。茶杓で、抹茶を、二すくい、入れた。
抹茶を、入れる、その手が、ほんの少し、震えていた。茶杓の、抹茶の、量が、わずかに、揃っていなかった。一すくい目より、二すくい目のほうが、わずかに、多かった。
湯を、注いだ。茶筅で、点てた。
茶筅の動きも、私が、稽古で習ったような、整った、しゅっしゅっ、ではなかった。少し、揺れていた。揺れた茶筅で、お茶が、点てられていった。
整っていなかった、と言ってしまうと、強すぎる。けれど、整っているか、と聞かれたら、整っている、とは、言えなかった。私の、稽古でいうところの、整い方では、なかった。
お祖母ちゃんは、点てたお茶を、私の前に、置いた。お辞儀を、した。
「いただきます」
ひとくち、飲んだ。
飲んでから、しばらく、何も、言えなかった。
お祖母ちゃんのお茶は、整っていなかった。けれど、おいしかった。
おいしかった、という言い方は、少し、雑かもしれない。正確には、おいしさの中に、何かが、残っていた。所作の、形が、若い頃のように、整わなくても、お茶の、何かが、残っていた。
その何かを、私は、すぐには、言葉に、できなかった。
しばらく、黙って、お茶を、飲み終えた。茶碗を、丁寧に、両手で、置いた。お辞儀を、した。
「お祖母ちゃん」
「うん」
「整わなかった、所作なのに、お茶が、整っていた、気がします」
お祖母ちゃんは、静かに、笑った。
「もうひとつの関門の、話だね」と、お祖母ちゃんは、言った。
「はい」
「型は、年とともに、緩やかに、なるの。指先が、思ったほど、動かなくなる。手が、震えるようになる。膝が、痛くなる。同じ動きが、できなくなる」
「はい」
「そうなったときに、所作の、芯だけが、残る。芯だけになると、形が、崩れていても、お茶は、お茶のまま、残る」
「芯」
「型を、繰り返した、その、もっと、奥に、残っていた、何か。形が、すり切れたあとに、見える、もの」
「すり切れたあとに」
「型を、しっかり、繰り返した人だけが、すり切れたあとに、芯を、残せる。型を、いい加減に、繰り返した人は、すり切れたら、何も、残らない」
「型は、芯を、残すために、繰り返すんですか」
「結果として、ね。型を、繰り返している、その時には、たぶん、誰も、芯のことは、考えてない。考えなくていい。考えなくても、繰り返しが、芯を、作る」
お祖母ちゃんは、それから、自分の茶碗を、両手で、洗った。手が、震えていた。震えながら、丁寧に、洗っていた。
夕方、お祖母ちゃんの家を、出た。駅まで、歩いた。電車に、乗った。
電車の窓の、夏の景色を、見ていた。田んぼの、緑が、深かった。
頭の中で、お祖母ちゃんの、震えていた手と、その手で、点てられた、お茶が、残っていた。
整っていない、所作だった。けれど、お茶は、整っていた。整っていないものの中に、整ったものが、あった。これが、お祖母ちゃんの、お茶だった。
私の、いまの、稽古は、整える稽古だった。整えることに、専念していた。整える、ということが、私の、いまの、関門だった。
もうひとつの関門が、ある、と、お祖母ちゃんは、言った。型が、緩やかになったあとに、芯が、残る、関門。これは、十年か、二十年か、もっと先か、いつ来るのかは、私には、わからない。わからないけれど、来る、ということは、お祖母ちゃんが、見せてくれた。
来る、と知っている、ということが、いまの、稽古の、温度を、変えるかもしれない。
変えるかもしれない、で、止まる。
止まることが、いまの、私の、稽古の、形だった。
家に着いた。母が、リビングで、本を読んでいた。
「お祖母ちゃん、元気だった?」
「元気でした」
「お点前、見せた?」
「見せました。お祖母ちゃんも、点ててくれました」
「お祖母ちゃんのお茶、どうだった?」
「整っていなかった、けど、整っていました」
母は、本を、閉じた。
「そう。それが、お祖母ちゃんのお茶」
「お母さん、若い頃、お祖母ちゃんに、習った、って言ってたけど」
「習った」
「いまも、点てる?」
「滅多に、点てない。けど、たまには、点てる」
「整ってる?」
母は、しばらく、考えてから、「整いつつ、ある」と、言った。「私も、まだ、関門の、途中」
「もうひとつの関門も、知ってる?」
「知ってる、というか、聞いた、というか。お祖母ちゃんから、何度か」
「私も、今日、聞きました」
「そう」
母は、本を、もう一度、開いた。私は、自分の部屋に、戻った。
夜、ベッドで、天井を、見ていた。
トロッコ問題のことを、また、考えていた。
あの問いに、答えを、出すか、出さないか、というのは、たぶん、最初の関門の、話だった。即答する、納得しない、何も言わない——どれも、自分の、最初の関門で、自分が、どう振る舞うかの、形だった。
もうひとつの関門が、ある、はずだった。
論理を、信頼していた森田が、いつか、論理が、すり切れたとき、何が、残るか。納得しないと駆け込んだアヤさんが、いつか、納得しなさが、すり切れたとき、何が、残るか。所作を、繰り返している私が、いつか、所作が、すり切れたとき、何が、残るか。
残るもの、というのは、最初には、見えない。形を、しっかり、繰り返した人だけが、すり切れたあとに、見ることができる。
三人の、これから、何十年か後の、すり切れたあとに、何が、残るかは、いまの、私には、わからない。わからないけれど、たぶん、何かが、残る。
何かが、残るかどうかは、いまの、自分の、繰り返しに、かかっている。
かかっている、ということを、知っている、ということが、たぶん、今夜の、私の、結論だった。
夏休みは、明日から始まる。和室は、夏休みの間も、開いている。私は、明日も、お茶を、点てに、行くだろう。
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【茅野のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第3話。茅野は、母方の祖母を訪ね、整わない所作で点てられたお茶が、整っていることを、体感する。「型は、年とともに、緩やかに、なる。すり切れたあとに、芯だけが、残る」というお祖母ちゃんの教え。徳倫理の「最初の関門」と「もうひとつの関門」。アヤの納得しなさ、ジュンの論理、茅野の所作——三人の、何十年か先に、何が、残るかが、いまの繰り返しにかかっている、という発見。