毎朝、すれ違う
中島と、犬の散歩のおじさん——中島のトロッコ問題シリーズ #5

中島、高校二年、四組。隣の席のやつから「明日、行けるかも」の LINE が来た、その翌週の、火曜の朝。家から駅まで、いつもの通学路を、歩いていた。途中の、二つ目の角で、いつもの、犬の散歩のおじさんと、いつものように、すれ違おうとしていた。

いつもの角

家から、駅まで、徒歩で、十二分。途中、二つ目の角に、犬の散歩を、しているおじさんが、いる。たぶん、毎朝。たぶん、というのは、いつも、というほど、確信を持って、言えないからだった。「いつも」は、自分の中での、印象。実際、おじさんが、毎朝、いるかどうかを、毎日、確認したわけじゃ、ない。

けれど、たぶん、毎朝、いる。茶色の、中型犬を、連れている。リードを、軽く、握って、歩く速度は、ゆっくり。犬は、立ち止まったり、何かを、嗅いだりする。おじさんは、それに、合わせて、歩いている。

俺は、おじさんの、顔を、はっきり、思い出せない。年は、たぶん、六十代、七十代、くらい。眼鏡を、かけていた、気がする。けれど、確信は、ない。

これまで、毎朝、すれ違ってきた、はずだった。挨拶を、したことは、ない。お互い、目を、合わせたことも、たぶん、ない。すれ違う、というよりは、お互いに、その場に、いる、ということだけが、共通の事実、だった。

立ち止まっている

火曜の朝。いつもの角に、おじさんが、いつものように、いた。けれど、いつもと、少し、違っていた。

歩いていなかった。立ち止まっていた。犬は、おじさんの、足元で、座っていた。

おじさんは、空を、見ていた。何を、見ているのかは、わからない。雲、なのか、電線、なのか、その向こうの、何か、なのか。ただ、立ち止まって、空を、見ていた。

俺は、いつもの速度で、近づいていった。おじさんは、こちらに、気づいていない、ように、見えた。

すれ違う、その瞬間に、何が、起きるか、考えた。これまでなら、すれ違ったあとで、おじさんが、いつもの場所に、いた、ということを、薄く、確認して、駅に、向かう。それだけ。

けれど、今朝は、おじさんが、立ち止まっている、ということが、いつもと、違っていた。違っている、ということを、俺が、見たことが、たぶん、これまでとは、違っていた。

俺が、おじさんを、見たから、おじさんが、立ち止まっている、ということが、目に、入ってきた。これまでも、立ち止まっていた朝が、たぶん、あった、はず、なのに、目に、入っていなかった。

「お兄ちゃん、たぶん、見てないんだよ」と、妹は、言っていた。妹の、犬の散歩道の、隣のおばあちゃんを、俺が、見ていなかった、ように。俺は、自分の、毎朝の、通学路の、おじさんを、見ていなかった。

声をかける

すれ違う、その一歩前で、俺は、立ち止まった。

立ち止まったのは、自分でも、意外だった。立ち止まる、ことを、決めた、わけじゃ、ない。気づいたら、止まっていた。

「おはようございます」と、俺は、言った。

おじさんは、空から、視線を、こちらに、戻した。少し、間が、あった。

「あ、どうも」

そう、おじさんは、答えた。声は、平らだった。驚いた、わけでも、戸惑った、わけでも、ない。「あ、どうも」と、ふつうに、答えた。

俺は、それ以上、何も、言わなかった。「いい天気ですね」も、「犬、可愛いですね」も、たぶん、押しつけだった。「大丈夫ですか」は、もっと、押しつけだった。立ち止まっていた、というだけで、おじさんが、大丈夫じゃない、と、こちらが、判定するのは、違う。

「行きますね」とも、言わなかった。ただ、軽く、頭を、下げて、歩き出した。

おじさんは、また、空を、見ているか、それとも、犬と、また、歩き出したか、振り返らなかったので、わからなかった。

駅まで

駅まで、残りの五分を、歩いた。

頭の中で、いま、起きたことを、整理した。

俺は、これまで、たぶん、半年か、一年か、毎朝、おじさんと、すれ違っていた。今朝、初めて、声をかけた。声をかけた、ということが、何を、意味するのか、自分でも、よく、わからなかった。

これまでは、おじさんを、見ていなかった。今朝、立ち止まっている、ということが、目に、入ってきた。目に、入った、というだけ、で、声をかける、ことに、つながった。

「目に、入ったから、声をかけた」というのは、論理的な、流れだ。けれど、これまでも、たぶん、立ち止まっている朝は、あった、はず、だった。立ち止まっていない朝も、見えていなかった。今朝、立ち止まっている、ということが、見えた、というのは、何かが、変わった、ということだった。

変わったのは、たぶん、俺の、見る場所、だった。妹が、「お兄ちゃんには、お兄ちゃんの、見る場所があるでしょ」と、言ったあとから、俺は、自分の、見る場所を、ぼんやり、意識するように、なった。意識するように、なってから、自分の、毎朝の動線で、誰が、いるかが、ぼんやり、目に、入ってくるように、なった。

毎朝、すれ違っていた、おじさん。今朝、立ち止まっていた、おじさん。これは、これまでも、繰り返されていた光景の、ひとつ、だった。光景は、変わらない。変わったのは、見ている、俺の方、だった。

翌朝

翌朝、水曜日。家を、出て、いつもの通学路を、歩いた。二つ目の角に、おじさんが、いた。今朝は、立ち止まっていなかった。犬と一緒に、ゆっくり、歩いていた。

すれ違う、その一歩前で、俺は、立ち止まった。

「おはようございます」

「あ、どうも」

それだけ、だった。昨日と、同じ。

軽く、頭を、下げて、歩き出した。歩き出して、五歩くらい、進んだあと、後ろから、おじさんの声が、聞こえた。

「いい朝ですね」

俺は、振り返って、頷いた。

「いい朝、ですね」と、こちらも、答えた。

おじさんは、犬と一緒に、ゆっくり、歩いていった。俺は、駅の方へ、歩き続けた。

続けるか、続けないか

駅まで、残りの五分を、歩きながら、考えた。

明日も、声をかけるか。明後日も。

続けるか、続けないか、という選択は、これまで、自分の中で、明確に、選んだことが、なかった。隣の席のやつへの「おはよう」は、半分、なんとなく、続けていた。それを、ある日、決めて、続ける、と、自分に、言った。バスケ部のヤマモトへの、いつもどおりの「お疲れ」は、これも、なんとなく、続けていた。

犬の散歩のおじさんへの、おはようございます、は、決めて、続ける、ということに、するのか、それとも、なんとなく、続ける、ということに、するのか。

たぶん、決めなくても、いい。決めなくても、明日の朝、俺が、駅まで、歩く、その通学路に、おじさんが、いる。いたら、おはようございます、と、たぶん、言う。言わない朝も、ある、かもしれない。言う朝が、続けば、続いている、と、後から、振り返って、思える。

続ける、ということを、こちらが、決める前に、続いていく、ということが、ある、のかもしれない。

夜、ベッドで、天井を、見ていた。

今日と、昨日の、おじさんとの、二回の、すれ違いを、思い出した。「おはようございます」「あ、どうも」「いい朝ですね」「いい朝、ですね」。これらの、短い言葉が、俺の、生活の中に、新しく、加わった。

新しく、加わった、と書いたけれど、たぶん、加わったのは、言葉だけ、では、ない。これまで、「すれ違う」だけだった、おじさんとの関係が、今、「言葉を、交わす」に、変わった。変わったというよりも、見えていなかった関係が、見えるようになった、というほうが、たぶん、正確だった。

関係は、たぶん、声をかける前から、あった。すれ違う、ということ自体が、関係の、ひとつの、形だった。声をかけることで、その関係が、こちらの、目に、入るようになった。

こうして、見るようになった関係は、隣の席のやつや、ヤマモトとの関係と、同じく、続けるか、続けないか、を、毎朝、選ぶ、関係に、なる。選ぶ、というよりは、続いていく、関係に、なる。

俺の、見る場所が、ひとつ、増えた。妹は、おばあちゃん。俺は、隣の席のやつ、ヤマモト、それに、おじさん。これからも、たぶん、増えていく。増えていくこと自体が、生活の、ひとつの、続け方なのかもしれない。

明日も、駅まで、歩く。おじさんが、いれば、おはようございます、と、たぶん、言う。続ける。それしか、できない。続けることだけは、できる。

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← 関連:先生、納得がいきません(一組のアヤ)
← 関連:答えは、出る(二組の森田)
← 関連:所作の中で(二組の茅野)
← 関連:包む、所作(茅野が和菓子屋の店主を観察した、街の他人との関わり)
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【中島のトロッコ問題シリーズ予告】
本作はシリーズ第5話。中島は、毎朝の通学路で、犬の散歩のおじさんと、これまで挨拶もせずすれ違ってきた。妹のひと言(#3)が、自分の見る場所を、ぼんやり意識するきっかけになった。今朝、おじさんが立ち止まっている、ということが、目に入った。「おはようございます」と声をかけた。翌朝も。茅野が和菓子屋の店主を観察したのに対し、中島は声をかけて関係を開く——徳倫理とケアの倫理の応え方の違い。「決めなくても、続いていく、ということが、ある、のかもしれない」。

このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。登場人物・場面はフィクションです。