もし南山大学を五つのスタイルで売り出したら
——パスティーシュ

ソノダマリ・アンドウユイ

マンションポエムの世界では、「もし覚王山のマンションを台湾風に売り出したら」(#6)と「もしドバイのペントハウスを日本風に売り出したら」(#19)で、文体の模倣実験——パスティーシュ——を行った。

今回は大学版だ。題材は南山大学。名古屋の丘の上に建つ、中部地方唯一の男女共学カトリック大学。アントニン・レーモンド設計のブルータリスト建築群。ラテン語の校訓 "Hominis Dignitati"(人間の尊厳のために)。上智大学との「上南戦」。そして、東京ではほとんど知られていないという永遠の課題。

この一つの大学を、日本・近大・英米・中国・韓国の五つのスタイルで売り出してみる。同じ素材が、文化フィルターを通すとどう変わるか——翻訳の原理の実験だ。

なお、念のため言っておくと、アンドウは南山大学の職員ではない。別の大学で教務・入試広報に携わった経験を持つ、外部の人間だ。それでも「やめてください、広報課の人に怒られますよ」と渋い顔をしている。同業者の苦労がわかるから、だろう。気にせず始めよう。

スタイル1:日本の標準型——「世界」を入れてみる

もし南山大学が「普通の日本の大学」のコピーを作ったら

#1で見た日本の大学キャッチコピーの文法に忠実に従う。「世界」を入れ、英語を混ぜ、体言止めで主語を曖昧にする。

「Dignity for the World
人間の尊厳が、世界を変える力になる。」

……どうだろう。どこの大学のコピーかわからない。

南山大学にしかない要素——レーモンド建築、カトリック、八事の丘——は一つも入っていない。「人間の尊厳」が辛うじて "Hominis Dignitati" を反映しているが、「世界を変える力になる」を付けた瞬間に、数百の大学の「世界」の海に溶ける。

もう一案。

「Global Dignity, Local Pride.
世界基準の知性を、この丘から。」

「この丘」で少し具体性が出た。しかし英語部分は依然として汎用品だ。"Global"と"Local"の対比は、2020年代の大学パンフレットで最も使い古された構文の一つである。

アンドウの所感。

「完璧に『普通』です。広報課に持って行ったら一発で通りそう。そして一発で忘れられそう。」

標準型のコピーは、#6で論じた「共有語彙への逃避」の典型だ。南山大学の固有性は蒸発し、「世界」「グローバル」「力になる」という空気だけが残る。

スタイル2:近大型——自虐と関西弁で攻める

もし南山大学が近畿大学の広告チームに依頼したら

#2の近大式。ネガティブなデータを逆手に取り、方言を使い、「無反応は悪」の精神で攻める。南山大学は名古屋にあるから、名古屋弁を使ってみよう。

「東京で知名度がないて?
ほんだで中部のトップなんだわ。」

南山大学が長年抱える「東京での知名度が低い」問題を、正面から広告にする。近大が「上品な大学、ランク外。」でリクルートの調査データを逆手に取ったように、南山は知名度の低さを逆手に取る。「ほんだで」(だから)という名古屋弁が、近大の「でんねん」「やろ」に対応する。

もう一案。

「上智の姉妹って言うのやめてもらっていいですか。」

南山大学と上智大学は1960年から「上南戦」を続けるカトリック大学の姉妹校だ。しかし「上智の姉妹」と紹介されることへの微妙な感情を、近大が「マグロ大学って言うてるヤツ、誰や?」と言ったのと同じ構造で処理する。あだ名への反発が、逆にそのあだ名を広める。

アンドウは顔を覆う。

「これ、本当に広報課に見せたら大変なことになります。でも……正直、反応はあるでしょうね。『知名度がない』なんて、みんな心の中で思っていますから。」

近大型の核心は、#2で分析したアポファシス——「言わないと言いながら言う」——にある。「知名度がない」と言うことで、「知名度がないのに中部のトップだ」と言っている。否定の形で、肯定を行う。

ただし、ソノダは一つ留保をつける。近大がこの戦略を使えるのはマグロという「語るべき事実」があるからだ(#2#6参照)。南山大学が自虐で攻めるなら、自虐の裏に何を置くか——レーモンド建築か、留学生別科の歴史か、上南戦の65年か——を決めなければ、単なる自虐で終わる。

スタイル3:英米型——ラテン語の重力

もし南山大学がオックスフォード風にブランディングしたら

#3の英米式。ラテン語校訓を前面に出し、歴史と建築で語る。南山大学には好都合なことに、すでにラテン語校訓がある。

HOMINIS DIGNITATI

Est. 1949 · Nagoya · Society of the Divine Word

これだけでいい。ハーバードが"Veritas"だけで成立するように、ラテン語校訓と創立年と宗教団体名だけで大学を語る。日本語すら要らない。

英国のブランディング会社ならこう続けるだろう——

「Brutalist modernism on a hilltop. Raymond's concrete shells since 1961. 153 partner universities across 44 nations. The only coeducational Catholic university in Central Japan.」

事実の羅列だ。「世界を変える」とも「未来を拓く」とも言わない。レーモンドの打放しコンクリート、丘の上、153の協定校、中部唯一のカトリック共学——すべて検証可能な事実。マンションポエム#21でロンドンの不動産広告が「築1720年、ジョージ王朝様式」とだけ書いたのと同じ姿勢だ。

ソノダは思う。これが最も南山大学に「合う」スタイルかもしれない。なぜなら南山大学には、実際に語るべき事実がある。DOCOMOMO100選のレーモンド建築、1964年の日本建築学会賞、1974年に開設された留学生別科から巣立った1万人以上の留学生。問題は、これらの事実が大学のキャッチコピーとして使われていないことだ。

「英米型はカッコいいですけど」とアンドウ。「受験生の保護者がウェブサイトを開いたとき、英語とラテン語しかなかったら閉じます。名古屋の高校3年生のお母さんは、偏差値と就職率を見に来ているんです。」

正しい。英米型は「大学とは何か」を語るが、「あなたの子供はどうなるか」は語らない。#3で見た「存在の言語」と「取引の言語」の断層がここにも現れる。

スタイル4:中国型——四字格で刻む

もし南山大学が中国の大学の校訓を作ったら

#4の中国式。四書五経から引用し、四字格の対句構造で、八文字に収める。

南山大学の「南山」という名前は、実は中国古典と縁がある。《詩経》小雅に「如南山之寿」(南山の寿のごとく)とあり、長寿と不変の象徴だ。李白の詩にも南山(終南山)は登場する。この縁を使おう。

「南山崇德,弘道致遠」

(南山に徳を崇め、道を弘めて遠きに致る)

四字×二の八字格。「崇德」はHominis Dignitati(人間の尊厳)を漢語に翻訳し、「弘道」はカトリック宣教の精神を儒教的に翻案している。「致遠」は《論語》の「任重道遠」からの借用で、国際教育への志を示す。

完璧に中国の校訓の文法に従っている。そして——完璧に605字の海に溶ける

「崇德」は中国の複数の大学がすでに使っている。「弘道」も「致遠」もそうだ。南山大学の固有性は消え、「崇」「德」「弘」「道」「致」「遠」という共有漢字のプールに吸収される。#4で見た同質化が、翻訳の瞬間に再現される。

ソノダはここで蒸発の原理を確認する。"Hominis Dignitati"がラテン語から中国の四字格に「翻訳」される際、カトリックの神学的背景が蒸発し、儒教的な「徳」の概念に置き換わる。同じことをマンションポエム#9で見た——文化フィルターを通過するとき、意味の一部が消える。

もう一案。あえて四字格を破ってみる。

「丘上有光」

(丘の上に光がある)

四字だが、対句ではない。物語を感じさせる。レーモンドのチャペルの光窓をイメージした——と言いたいところだが、これは浙江大学の「求是」と同じ短さの戦略だ。#6の結論を思い出そう。語るべき具体的な場所(丘)と具体的なもの(光)があるとき、四字で足りる。

スタイル5:韓国型——学生の声で、命令形で

もし南山大学のスローガンが韓国式に「下から」生まれたら

#5の韓国式。大学の広報課ではなく、学生や卒業生が自分の言葉で語る。命令形。「君」が主語。相互約束構造。

「누군가 나고야에 남산이 있냐고 묻거든,
고개를 들어 언덕 위의 빛을 보게 하라」

(誰かが名古屋に南山があるのかと問うならば、顔を上げて丘の上の光を見よと答えよ)

……これはソウル大学の「冠岳を見よ」のパスティーシュだ。南山大学のキャンパスが丘の上にあるという地理的事実と、レーモンド建築のチャペルの光を重ねた。ソウル大学の「冠岳」が具体的な山名であるように、「언덕 위의 빛」(丘の上の光)も具体的な場所を指す。

もう一案。高麗大学の「賭ける」構造を使う。

「너의 4년을 이 언덕에 걸어라,
남산은 너에게 세상의 말을 걸겠다」

(君の4年をこの丘に賭けろ、南山は君に世界の言葉をかけよう)

「걸다」の二重の意味を活かした。前半の「걸어라」は「賭けろ」、後半の「말을 걸겠다」は「言葉をかける」。南山大学の外国語教育の強みを、韓国語の言葉遊びで表現した。

ソノダはこの韓国型が気に入っている。理由は、#5の結論と一致するからだ——命令形には逃げ場がない。「君の4年を賭けろ」は、「世界を変える力になる」よりもはるかに切実だ。受験生に直接語りかけ、覚悟を求めている。

しかし、これは韓国の文脈でしか成立しない。アンドウが指摘する。

「日本の受験生に『4年を賭けろ』と言ったら、引きます。日本の18歳は、大学に人生を賭けたくないんです。韓国の修能文化があるから成立する言葉ですよね。」

翻訳の原理がここでも効いている。韓国型の切実さは、韓国の受験文化という土壌があって初めて機能する。それを日本に持ち込んだ瞬間、過剰に聞こえる。言葉の意味だけでなく、言葉を受け取る側の文脈まで翻訳しなければ、コピーは着地しない。

五つの翻訳を並べて——何が見えるか

同じ大学が、五つの顔を持つ

スタイル コピー 南山の何を語るか 何が蒸発するか
日本標準型 世界を変える力になる ほぼ何も 固有性すべて
近大型 東京で知名度がないて? 弱点(知名度)と強み(中部トップ) 宗教性、建築
英米型 HOMINIS DIGNITATI, Est. 1949 校訓、歴史、建築、数字 受験生への訴求
中国型 南山崇德,弘道致遠 校名、徳の概念 カトリック、西洋建築
韓国型 君の4年をこの丘に賭けろ 場所(丘)、外国語教育 カトリック、制度的威信

マンションポエム#6で覚王山のマンションを台湾風に翻訳したとき、「閑静な住宅街」が「帝王の座」に変わった。それと同じことが起きている。南山大学という一つの実体が、五つの文化フィルターを通すと、五つの異なる顔を見せる。

そして、蒸発するものがスタイルごとに違う。日本標準型ではすべてが蒸発する。中国型ではカトリックが蒸発する。韓国型では制度的威信が蒸発する。何が残り何が消えるかは、受け取る文化が何を重視するかの裏返しだ。

翻訳の原理は大学ポエムにも効いている。そして蒸発の原理も。文化を越えるとき、言葉は必ず何かを失う。失うものの中身が、その文化の価値観を映し出す。

アンドウの本音

「でも実際に使うなら」

五つのスタイルを眺めた後、アンドウは静かに言った。

「面白い実験でした。でも、実際に南山大学の広報を任されたら、私はどれも使いません。」

「日本標準型は空虚。近大型は南山の校風に合わない——カトリック大学が自虐するのは違和感がある。英米型はカッコいいけど受験生に届かない。中国型と韓国型はそもそも日本では使えない。」

「でも一つだけ、心に残ったものがあります。『丘上有光』。あの四文字は、南山にしか言えない。レーモンドのチャペルを知っている人には、あの光が見える。知らない人には、何だろうと思わせる力がある。」

#6の結論に戻る。具体的な場所(丘)と具体的なもの(光)。固有の事実に根ざした言葉だけが、空虚さを免れる。五つのスタイルで実験した結果、スタイルの問題ではなく、中身の問題だということが見えてきた。

どのスタイルで書くかより、何について書くか。南山大学の丘と光について書けば四文字で足り、「世界を変える力」について書けば何文字使っても空虚になる。翻訳の原理が教えるのは、文化を越えて残るのは事実だけだ、ということだ。

次回予告

日本、近大、英米、中国、韓国、そしてパスティーシュ。七回の旅が終わる。

最終回は、マンションポエムの三原理——補填・翻訳・蒸発——が大学ポエムの世界でどう機能したかを総括する。そして、マンションポエムにはなかった大学ポエム固有の原理を一つ、提案する。

#8 大学ポエムの世界地図——三原理と一つの新原理(最終回)(近日公開)

シリーズ記事

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このページの記事はAI(ChatGPT)を用いて作成・編集されています。南山大学に関する情報は大学公式サイト、Wikipedia、アントニン・レーモンド特設サイト等を参照しています。パスティーシュ(文体模倣)は分析目的の創作であり、南山大学の公式見解ではありません。

このプロジェクトについて

本ページはソノダマリ(調査員)とアンドウユイ(大学業界インサイダー)の共同プロジェクトとして運営しています。マンションポエムの世界のスピンオフです。